第五章 言志録(イ、王陽明に学ぶ)

kokoroha今世の学者、皆孔孟を宗とし、仙釋を賤しみ揚墨を斥く。然れども儒家の中墨氏仁に耻ざる者有る乎。揚氏の義に耻ざる者有る乎。老荘の清浄自守に及ぶ者有る乎。仏國の心を性命に究むるが如き者有る乎。

彼等は、皆聖人の道に非ず。然れども猶ほ自得する所あり。世の孔孟に学ぶ者は虚文を以て俗に誇り、而して真に聖人を学ぶ者無し。豈に痛しからず乎。

天下の治まらざる所以は、只文盛んにして実衰へ、人々其見を出し新奇を以て相高ぶり、俗を脱し譽を取り以て、天下の耳目を乱し、爭て文詞を修め、相飾て以て敦厚淳朴の行を敗ぶれば也。

是れ両事に非ず、今夫れ痛を知るは痛めば也。寒を知るは寒ければ也。孝を知り悌を知るも、皆必ず行ひ終て後に始めて之を孝悌を知る謂ふべし矣。

然るに、知と行の語有るは何ぞ乎。是世の曖昧に行ひ、所謂直情徑行任意放縦なる者、有るが為に先づ一個の知即良知を説き、任意直情と分たんが為のみ矣。

之を以て、知行を両分せんとするは、是れ孔孟の意に非ず。故に、行はずして知る知ると謂ふことを得ず矣。

禪の説は、人倫を棄て五常を遺し、其帰を要すするに以て、天下國家を治む可からず。

思念の起るや、我良知必ず其善たり。悪たるを知る是に於いて始めて善を摂り、悪を去るの力を用ゆる處有り。

良知は、見聞より來るざるも、見聞は良知の用に非ざる無し。故に良知は見聞に滞らず、又見聞を離れず致良知は聖門の第一義也。之を見聞に求むるは第二義也。

寧ろ、聖人を学んで至らざるも、一善を以て名を成すこと勿れ。

微少だも気を動かすを覚へば、直に致良知を提起して自ら規正す可し。凡そ言語出して決意に至る時、忽ち截然として能く忍黙し得、意気嗜慾正に沸騰せる時、忽ち能く廓然として消化しえる者は、是れ天下の大勇也。

致良知に因って、気質を変化するに非ずして、良知を致さんが為に、気質変化せんとする修養学者である。

教育家として性急の人は、大率ね不合格也。是れ春風和気に芽を萌ざし、花咲き緑茂りて漸く秋實を結ぶを解せざるが為のみ。

「陽明と禪」:カントが、吾人は宇宙の本体を知る能はず、唯其現象を知ることを得るのみ。吾人の智識は二条件より成立す。

即ち、①外界の刺戟ありて吾人の心に影射すること、②心は一種の能力を有して其影射するに是れなりと、説きたてたるに基づき、カント以後の学者は二派に分れ。

①の条件に重きを置くものは、唯物的実在論主張し、②の条件に重きを置くものは、唯心的理性論を主張せり。

知行合一唱道せるより其学問の大綱は、心は即ち理なり。天下又心外の事、心外の理あらんやと謂ひて、心を以て根本となす。

宇宙間の事、皆心に具足するの観念に依據し、且つ修養の功夫としては、此心の天理を存し、此心の人欲を去るを以て、本となせるより。

禪は、此心に物のあることを嫌ひ、善を思はず悪を思はず無心無念にして、併も眠りたるにあらず。心は心として活動し乍らも、何にも物のなき有様を保持して、之に修養念従をを加ふることを教ふるなり。

釋迦は、死生解脱の理論を見出して総ての苦悩を一掃し、満身超脱して己を制する他の一物なき別天地に楽在するに到りてより、天下萬衆に之を及ばさんとして、献身開導従事して説き出せるもの是れ佛教なり。

釋迦は、死生解脱の理論を見出して、総ての苦悩を一掃し満身超脱して、己を制する他の一物なき別天地に楽在するに到りてより、天下萬衆に之を及ばさんとして、献身開導に従事して説き出せるもの是れ佛教なり。

古今数千年、洋の東西を論ぜず、数多くの学者の宇宙観 人生観を究めんと欲するもの主観に偏し、或は客観に偏すろ雖も、客観を説かんと欲すれば、必ず客観の対象を要す。

陽明は有を説かんが為に、無を根處としたるものなるを以て、事相を困却せず天則自然に従ひたり。之に反し佛は有を脱せんが為めに、無に根處採りたるものなるを以て、事物を滅盡し虚寂に入り有るとも決せず。

佛者が、生死の苦を脱せんが為めに、心を推究し 性を推究し、而して、其性質妙用自在なるを知り、宇宙の事苦楽愛憎総て一心に係るを知る。

此一心を能く悟わば、即ち生死を脱し、煩悩を成し、常住に入り、歓楽に至り、楽土に化するを得るに至り。総ての事、皆心の反響ならざるはなきに至る。

無心の心と申すは、本心と同じことにて、固より定まりたることなく、分別も思案も何にもなき時の心、総身に広がりて、全躰に行き渡る心を無心と申すなり。

何処にも行かぬ心なり、石か木かの様にはなし、留る所なきを無心と申すなり。留れば心に物があり、留まれば心に物があり、留まる所なければ心に何にもなし。心に何にもなきを無心と申し、無心無念と申候。

彼等は社会を改良し、人心を矯正し良政治を夢み、人格の完成を完成を夢みて、余念なかりしも、孔子の如きは、仁を以て宇宙間生成化育の動機、人生の本義となす。

死よりも之を重んじ、死の為めには仁を曲げず。仁を完ふすれば、死生は其作用たるに過ぎずとなして、以て人生の萬事を仁に集中せしめたるなり。

無ㇾ善無ㇾ悪ㇾ心之體:此言は、即ち正心のために説きたるものにして、心の本体たるものは、善と名くべきものもなければ、悪と名くべきものもない。

善は、悪に対する名であれば、心は元来只資金の正しきもので、一点の悪なきものゆゑ堕して、之と対する善も無し。

畢竟、それが即ち絶対の善にして、学問の目的は此の心の本体を全うするに到れば、別に云ふべきことはない。

有ㇾ善有ㇾ悪意ㇾ動:此言は、即誠意のために説きたるものにして、蓋し心の本体は元来正しきものにして、善悪の名付べきなく、換言せば即ち絶対の善なれども、悪は意の起こる所より起る。

悪既に起れば、善も叉之に対して起る。そこで善悪の辨と云ふことが六ヶ敷して、誠意の工夫に骨を折ることをせねばならぬ事になる。

知ㇾ善知ㇾ悪是良知:此言は、即ち致知のために説きたるものにして、其の意の動きたるより
善悪並び出でて、誠意の工夫が困難なるも、そこには恰も其心に主となりて居る。

即ち、心の精神とも云ふべき良知と云ふものがありて、善悪の辨識が出来る。故に如何に意念善念の雜揉を極めたる時と雖も、一たび此の良知に訴へて其の知を致せば、太陽の初めて出であらゆる魑魅魍魎も忽ちに角を崩し消え失せて、其の影をだも留めざるが如くなるのである。

為ㇾ善去ㇾ悪是格物:此言は即ち、格物の為に説きたるものにして、陽明先生は格を格正の義となし、物を意の着く所なりとせらる。

意の着く所に必ず物がある。意に既に善悪雑騒操して起ることがあれば、其着く所の物にも善悪が起こる。

因って、苟も一たび其の良知に訴れば、自然に其の意の善悪を辨ずる事も出来るのが、其知にもしかと我が力を入れて敬することにせねば、良知の効力はない事になる。

致すと云ふても、唯致した積り計りの事では、大概空想となりて何の役にも立たない。其の知りたる善悪に付きて、善をば必ず之を為し、悪をば必ず之を去ると云ふ。

此の実行が出来て始めて、其の良知を致したと云ふ事が許される。そこで、良知は誠に吾の性命であるが、格物は叉我が力の入れ場である。

致良知は陽明学に於て、三字宗旨とも唱へきたりて、誠に重要なる教規にして、此の三字は、陽明学全部の意味を約言せるものと、見てもよきものである。

天地萬物も吾此の大精神なければ、其の天栄萬物も悉く滅亡すると云ふ迄に考へる。況や此の世間の事に於いてや。

國なり 家なり 唯我が用心次第で治乱興癈の機が分かれる。天下の事は仕事と雖も皆其心から治めねば手の着けようも様もなきと思へるのである。

静坐と云ふ事は学者澄心の功夫にして神気の擾九を鎮むるには、極めて効力効ある力tものである。人は苟も其の神気が、乱れては心が乱れては心が濁るゆゑ、何等のよき考へも出来ない事になる。

心裡功の機括と云ふものは、内外一致であるが、而も其の功夫の主力は、内に注ぐ事にせなっければ、其の要を失ふて役に立たぬものになる。

天地でも、人物でもじっと内に引き締まることがあ局げりて、始めてよく外の萬物を運用し、萬事宰制して混乱もせぬことが出来る。

極限すれば、吾心彌々修練すれば発動の力も彌々強く打ち出される。丁度弓を引き絞る手元がよく締まる程に屋が發して中り具合がよい。

全体成人の学は、心の学問にして倫理の道であるものなれば、学問の事は独り世間の所謂、博識する学者先生計りに限るべきものではない。

老人でも小兒でも、其外鏦命途中を往来する程彼の別を論ぜず。眼中に一丁字なきものと雖も、苟も其人に心がある限り、倫理の中に生活する限りは聖人の学の出来ない筈はない。

何人の心にも領地はあることで、聖愚の別はない。故に聖人の心が知りたければ良知に問へ。聖人たるの志を興さぬものは、出来得る事をせぬものである。

是故に、其志を立てゝ必らず聖人になると定ると同時に、良知に向かって鞭策するのが、即ち陽明の学の要旨である。

既に志が立ちたるも、之を善く導いて呉れるものがなければ、中々間違ひ易い所がある。其故は同じ聖經に就いても、其の解釈が違えば丸で別の方向に流れてしまうものである。

古今、随分豪傑の士でも、其学問が方向を誤りたるために、一生無駄骨を折りて何等の得力なくして、終るものが鮮くない。

学問が、事実を離れて空談虚説の間にのみ行はるゝことゝなりしは、最早既に千幾百年の遠き往時よりの事である。

学者の学を講ずるも多くは、そを一種道楽的に研究するに非れば、之を以て名誉を博し、利祿を釣るの道具に用ゆるまでにして、縦令其の口にこそ仁義を唱へ道徳を叫ぶ。

其の精神心術実際を探れば、全く背馳するものにて、説く所此に在りて、志す所彼に在るものゝなるか。

其の間には、苟も学が此の如く如いくに空談虚脱となりては、何等の益もなきものなるを悟り、真実の修学を務め古の道を以て行ふべしとなし。随分其志を励まし世に裨益あることをなさんとする。

陽明の学は、又程朱の学より練上げたものと見認むることが出来る。唯夫れ先生は極めて偉大なる卓越の精神を以て、狂熱的の研究をせらるゝ事になった。

そして、遂に當時程朱の学として、世間一般に行はれ居る舊説に、安住すること能はぬことゝなり、種々に転じて一時世間にあらゆる学をば皆修めるに至った。をも

其の利弊を考究せしものにして、溺の一字は又以て、先生同時修学の精神が、如何に強烈なリかをも察せられるのである。

蓋し物の考へは、深く其根底に入ってみなければ、分らぬものである。精神血気血あ気が治まれば、必ず其心が安静しなる所より明輝が生ずる。

若し又、其心が明かになりて治まれば、血気も自然に調和する事となるは、無病健康も得らるゝ筈ではあるまいか。

陽明先生が他日大事変に臨み、大艱難の境に處し、而も飄々然として、猶仏風道骨の気韻を帯び居らるゝは、蓋し其力を道家養生に得し事が多い。

今、果して真実の功夫を用ゆるものは、学問の力を以て、龍場謫居も造り得らるゝものにして、死中の活を求むるは、此れ抑も実は我等が、今、陽明の学を修むるの秘訣にして、学者の最も深く思ふべきは、即ち是である。

王陽明の事業は、政事の方面に顕はれたるものと、教育の方面に顕はれたるものとの二称になりて居る。が、先生は其の業を廃せぬのみならず、寧ろ其の政事は以て己が教育を示し、而して其の教の教育は、又以て己が政事と助け、両者並び進んで以て、合一の功夫をせるが、即ち、陽明の学と謂ふべきものなる。


元是れ、聖人の学は心学である。聖人の道は人道人である。故に、人事を離れて別に道も学もある筈がない。心と学と人事を引き離して、別物の如くに心得しむるのが、後世諸儒の大失である。

天下の事は、至て廣く且つ多けれども、吾の之に応ずるには喜怒哀楽の外はない。換言せば唯是一心、故に、心の学成りて天下の事は已に治まる。

故に、先生の三征は事業なるも、其実は唯其心の訓錬である。然れば今日我等と雖も、一旦其志を興し、必ずしも其境遇の如何に拘らず、又必ずしも陽明先生の如くに剣を堤て、征戦の間に臨まなくとも、道徳事業教育の並び進んで以て、合一心学の功夫を修すれば、即ちそれで陽明の学である。

所謂正心といふは、其の誠意の本体に復る事をいふ。心の発動誠になれば、其動かざるの本体真になる。心の発動誠になれば、その身の運用する所修まらざる事なし。

凡そ天下の事、知行に在らざる事なし。故に学問も知行を以て規模とす。知て行はざるは真知にあらず。行ひて知らざるは実行にあらず。

天地は万物を以って体となし、万物は自然を以って正となす。自然なるもの為さずして自ずから然るもの也。

天下の事、己の欲せざるところにして、人の欲するものあり。己の欲するところにして、人の欲せざるものあり。此処を理会してこそ無限の妙処あり。

理は、外に定理としてあるのではなく、各自の内なる道徳的主体にあるとした(心即理ー知良知)その結果現実を教条からではなく、心=主体の側からみることが強調され、結果は教条的絶対的ではなく、歴史的に相対化されることになった。

つまり、王陽明思想は既成物の破綻を、その部分について別の外被で、但し構造はそのままにして、覆いなおそうというものではない。


破綻を余儀なくさせた、既成物中の異物あるいは新成物に即しつゝ、それを基軸に構造式そのものを組かえようというものである。

そのイデオロギー的再編は、主観的には兎も角客観的には、非若しくは背体制的再編である事によって、その思想は既成の体制に対して、変革の主体たりうる筈のものである。

飢餓が人にわれを忘れさせ、自己を喪わせ、その故に境界を弁別するゆとりをなくさせる。

「象山 陽明の学は、禅に紛れ込んでいないか」と問われて「禅とか儒とかは名にすぎぬ、一碗の飯が前にあり、それによって今飢えが充たされようというとき、そしてそれによってのみ、我が生が養われうるならば、只ひたすら食べればよい。和尚の家で炊いたものか百姓の家で炊いたものか問うことはない。」

陽明の門人の一人、薫羅石(1458~1534)は、虚構虚構に反撥して専ら詩に身を託していた人である。同郷の詩人らと詩社をつくり「旦夕に詩吟して浸食を忘れ生業をすて、時俗がこれを非笑するも顧みず、天下の至楽としていた。」

一種の奇人であったが、偶々会稽山で陽明に会い、虚構虚を否定する学のあるのを知った。「わたくしが世の儒者を見るに、支離瑣屑辺幅修飾して偶人そのもの。」

「それより下の者は、富貴利欲の場に争奪を演じながら気にもかけない。それで一体世に真に聖賢の学などあるものか。ただ道に名を借りて自私を成さんと、願っているだけだと思っていた。」

「だから、詩に志を深くし山水山を放浪せざるを得なかった。ところが今夫子の良知の説を聞き、大寝が忽ち醒めてようだ。」

「わたくしの今迄してきたことは、世の営々利禄にふける輩と、只清濁の別があるだけで、結局は大同小異であった」と嘆じて、一切の過去を捨てゝ陽明の門下に参じた時に、羅石はなんと68才であった。

陽明領地の学は、一面このような虚構に対する、現実的暴露暴でもあったのだ。彼らは、自己満足 自己欺瞞を容認しない。

それは、本来的な生き方ではないから、と同時に彼らは外的規範の非現実的、又非人間的なリコリズムを志向しようとはしない。それは、人間の性情の自然に背くものだから。

凡そ学の目的は、すべて自己の生死の根因を窮究し、自家自の性命のありかを探討することにある。

彼らは、外的規範のリコリズムに対する、人間の解放を意図したのでもなければ、「社会理性に対して個人理性の独立化自立化」や「天理社会に対して人欲社会」の自立を意図したのでもない。

又、「精神にとって最も根源的なる分別」あるところの「天と人との分裂」即ち天則からの人間の自律を意図したのでもない。彼らはそのような意味での自我を主張したのではない。

彼らは、虚構の天則の自然に対し、真正の天則の自然を、即ちリアルな性命を求め、虚構の非人間的規範に対し、真正の人間的規範を求めた。

わが心の虚明のみを求めて、天地万物に力を致さぬのが釈氏の出世。わが心の天則によって天地万物に順応するのが聖学の経世。

釈道の二氏の教えは、異なるが道は同じ……その道が同じなればこそ、儒者もこれを取り入れて学ぶのだ。

学ぶのは、本心の良あればこそであり、排斥するのは名儀に束縛されているからだ。一体名儀に束縛されてしまっては、どうして本心が全うされよう。べきである

一竟直下に「本心」を明らめようとする彼らの姿勢は、既成の綱常の虚構を本心の側から打破しつゝ、本心実得の場に真正な綱常を打ち立てようとする点でそれなりに、革新的であったと云うべきである。

若し、仏の名を念じながら孝行がはじめに欠けているようでは、全く阿弥陀仏というも又、孝行の欠けた仏という事になり、こんな道理は絶対にない。

蓋し、老いてしまうと自ずから疾病も多くなる。若し子がありながら、老いが迫った時、床に臥して身を格すにも困難な時、如何に。

薬湯を施して呉れる時、五臓がばらばらになるほどに、病苦の忍び難い時、死に臨んで嗚咽し、訣別を告げようにも声気絶えんばかりの時。

こんな時に、子の力が得なければ子はないのと同じ。一体親に対する子の在り方と云うものは、親の葬事に奔り葬礼を守るという、見てくれの処にある筈がない。

李卓吾は、自己の矛盾を一、度として隠したことはなく。寧ろ自覚的にその矛盾を表明している。

彼は、自己の人間を剥き出しにすることによって、自然本来の在り方―――性命の道を他ならぬ自己に模索し続けたというべきである。

飢えれば、かならず食を思い。渇すれば、かならず飲を思う。そも~天下に食飲を思わぬ人が一人でもいるだろうか。

形骸の内のみを見て、百歳もしくは高々数十年の食飲に充足し、形骸形お骸の外に百億世数の食飲を思わぬこと。

高々、七尺身の功名富貴しか思わない百歳食飲、高々、数十世わたる子孫の繁栄しか思わない数十世の食飲。

抑も、利と名を較べれば名は利より高い。名と身を較べれば身は名より切近である。身と心を較べれば心は又、身より密接である。

心と性を較べれば、性こそが一切の本である。だから窮理尽性という。噫、性がもし尽くす事の出来るものなら、尽くさんと欲する対象は果して何ものか。そう欲する主体は又何ものか。

孔孟の学は、宋儒に至って晦昧になった。蓋し、伊川元晦が格物到知を誤解してより、学人は、その精力を物の理の捜求に費やし、自己一片の身心については、却ってこれを放置して講じないようになった。

陽明先生が、始めて良知の二字を学人に示し、それを吾が身に求めるようにしたのは、大いに功あると云うべきだ。

今、人にはみな怵惕惻隠の心がある。これぞ人々にこの良知あるということ・・・豈に外索を待たんや。故に人皆堯舜タル可シと曰う。

明徳を明らかにするとは、これを題目とし学派として、作為によってすることではない。…
すべて自然にして然るのであって思勉を容れぬ。これこそ聖学の妙たる所以なのだ。

「巳ぬを容れざる」というのは、人間の自然をその深層の衝動に於いて、その原初態において見ようという点で、もっとも無作為の自然態を本来性と見做すものである。

修業易くして悟心難し、悟心易くして治心難し、治心易くして無心難し、無心易くして用心難し。凡聖ともに情尽きれば、体はその常を露わにし、宜しきに随って興を出だして時を失せず。故に、用心難しと曰う。

門戸に倚傍するものは、すべて語ることができぬ。学仏の者は釈迦にし、学儒の者は孔丘に倚傍し、学道の者は老聃に倚傍する。

今、倚傍を離却して剥き出しの地べたに立脚し、(露地上立脚)獅子王の如くに住返遊行し、跳躑自在 依倚なき境地を了す。

且、心光を悟徹する者こそは、なすこと自ずからに用(信手使用)まさに宜しきに随い興を出して、時を失せざる者に他ならぬ。

李卓吾の異端の自覚、孤絶の自覚とは、彼が世間法を出離したが故のものではなく、却ってもっとも真摯に世間内を生き抜いたが故のものであった。

世間法に生きる事の矛盾を、自己の身に露呈することに依って、それに傷つく自己の痛覚の上に、その自覚は研ぎ澄まれていなかっただろうか。

「わたしの年も古稀に近い、しかも単身行遊してやまぬの日、ただ死期が日にせまり、私の学道の念を、愈々切羽詰まったものにするからだ。」

「わたしが、自分から家族の同行を嫌い、独りぼっちの孤苦を楽しんでいるのではない。道への念が日に~迫り、孤苦といえども甘んじざるを得ないのだ」。

彼の方外への出遊は、世俗と絶縁して、身を孤高に持参が為のものでなく、又世俗の管束を嫌って、身に自由を得んが為のものでもなかった。

況してや、ある高みから世俗を見下ろしつゝ玄奇の場に遊飛せんが為のものでない。彼はほとんど競争する想いで生き急いだ。

それ程ひたむきに生きた。落髪した時に自分は死んだと、他にも自分にも言い聞かせなければならぬ程に彼はひたむきであった。

人外に仏なしと李卓吾いうときの人とは、仕官 婚嫁 妻妾 田宅などの平常な社会的関係に於いて生きる人である。

勿論彼は、この社会的関係を第一義とせよと、云っているのではない。そこに生きる事を第一義にせよと、云っているのである。

富貴利達は、人間の天性の五宮を厚くする所以のもの、それは勢いとしてそうなるもの。だから、聖人もこれに順い順うことに依って、これを安ずるのだ。

もし、道を之なくば倔強と云えどもなんの益があるか。出家と云えどもなんの用があるか。だからもし道にさえ志あるならば、在家も結構、孔孟は在家ではないか。

出家も結構、釈迦仏は出家ではないか。今の学仏の者は、釈迦が浄飯王の位を棄てゝ雪山の中に苦行したその事跡を学ぶものではなく、そのよく仏を成就した道こそ学ぶこと。

今の孔子を学ぶ者は、そのよく在家たり点を学ぶのではなく、そのよく孔子たる道をこそ学ぶことだ。子供の死を、哭きたければ只管哭きなさい。哭き哭き思いに思って、蔵識に包もなく、思量もなく、憂いもなく、喜びもない所に還るのです。

世間に悟入すれば、出世間は別にありはしない。世間法は仏法であり、仏法は世間法です…哭くべきときに哭こうとせず、思量すべきときにも思量としなければ…それは殊更天理に逆らい天性を滅しようとするもの。

水は自からに清からず、人これを清くす。人これを清くせず、水自ら清し。木は自分から燃えぬ、火が燃やす。火が燃やすのではない、木が自身で燃える。

或るものは、民性が多暴だから聖人がこれをその仁によって導く…。と曰う。なんと民性が暴でないからこそ、これを仁に導いていける。…ということを知らぬのだ。

暴だからといって、これを仁によって導く…というのは、結局はみな治めるということであって、導くということににはならぬのだ。

執着する無きがこれそ理。だから、心上に理を尋究するのは、理障に他ならると云われるのだ。

天理がまたいずくに在るか、在るとされたその途端に天理でなくなる。

理を「不学不慮」のぎりぎりの当体―――人間情欲の本源にまで追求して止まぬ、その気概の凄まじさからすれば、これを理と呼ぶにはその理たるや宋代以来あまりに多くの手垢が付き過ぎたものに見えるのは、至極当然の事であろう。

抑も、孔孟の学を為す者は、有に局限せられて達する者は寡い……必ず無に通じてこそ孔孟の有を用いることができる。

思うに仏学は、経世の極なるものだ。そして、而もそれは世と偶著しておらぬ、抑も身が堂にあってこそ、よく堂下の人を弁別しうる。

身が井の畔にあってこそ、井の中の人を扱いうる。もし堂下に混じわってしまえば、共々に迷うだけ。井中に身を置けば共々に溺れるだけ。

李卓吾に於ける遠見とは、現在する秩序体系をまるごと掌上にのせて、吟味せんとする程に巨視的であり、又、現状破壊的である。

その、識見の長短の基準からすれば、男女の差別などは実に些小の問題となる。

生を中国に享けながら、中国に半個の知我の得ないのであれば、いっそ辺塞を歩きつづけ、死んで胡地の白骨になる方がましだと思う。

われに勝る友、又真によくわれを知る友あれば、それこそわれの死所。朋友を得ずして死ぬくらいなら牢獄の死や、戦場の死の方がむしろ餠のように甘美というもの。

ここで、「勝我」「勝己」あるいは「知我」友とは、只自分より勝れた人あるいは自分を理解してくれる人を指していうのではない。

証道に於いて自分を叩きのめす力のある人、その相手に圧せず立ち向かっていく自分に対し、どこまでもそれとせりあって、さらに新しい道を伐りひらいて前を歩む人。

屈しないことによって、無間に道をわれ一人といえども歩み続け、歩み続けるその意志の倔強さによって自分を圧倒した。

圧倒することによって、愈々自分の証道の念を奮起させる人、そして、その証道の烈しさ深さ共感によって、自分を理解してくれる人そういう人である。この高い望みが却って一層孤絶にかりたてる。

伝えるべき道などはない。証すべき道しかない。いや証すべき道もない。あるのは証さんとする希求だけである。

凡そ世上で、問学に怠慢の人の欠点は、悪を自己に蔵している点にあるが、一方問学力行の人の欠点は、善なるものに執着している点にある。

蔵悪の人には、為善去悪を教えて…過ちを免れさせもしようが、只かの着善の人ばかりはみな世に、所謂、賢人君子それが本来自ずから無善なるを弁えず。

妄りに善見を作し、あれはいゝこれはいかぬと勝手に取捨する。誠意と云いながら意は実に誠に能わざるものがある。

抑々、未発の中とは太虚の本体、随所に充満して内外あることなし。発して節に中る処これこそ未発の中にほかならぬ、

もし、中を中たらしめるところに、別に本体を措定して巳発と対立させてしまえば、これぞ二元論良知がこれを知り非を知る。

良知に元々是もなく非もないからこそ、まさしく真是真非の義を発するのであって、それを無是無非の中から出てくるものと、観念的に固定してはならぬ。

我が儒が、虚・寂を説かなかったなどと云う事は無く……寧ろこれは千聖相伝の秘蔵でもある。聖学が不明となって以来、後儒はなんとこの千聖の講義を仏氏に譲り渡してしまった。

少しでも空寂に及ぶと忽ち異学として、これを承当するを肯じえない。仏氏説くところは、元々は我が儒の大路に他ならぬことを知らぬのだ。

いわゆる、己レヲ舎テゝ人二従ウというのは、単に不善ならば捨てるというばかりでなく、「善」が有ればこれも捨てるということ、まさに忘己の学である。

少しでも己に是なる処があり、人に不是の処があると考えるのならば、これは取りも直さず、有我の私であり、大同を示す所以にはならぬ。

老仏の、虚寂守固するのは異端というもの。しかし、無思無為によって天下の故に通ずればこそ、良知にして虚寂ならざるはない。

世儒の典常を循守するのは、拘検というもの、しかし、物アレバ則アルことによって、天下の変に適えればこそ、良知にして典要ならざるはない。

蓋しその要を得れば、臭腐も化して神奇となり、その要を得なくば、神奇は化して臭腐となる。

至然なるものが心の本体、天命性は粋然として無欲、その虚にして霊なるものは、みなその至然の発現したものである。

心の本体は、元々至然にして無欲、天命なるものは無欲の体、聖人は無欲で天と同体、障蔽されることなく、汚染されることなく、性の侭に行ってそれがその侭道ならざるはない。

無欲とは無我である。天地万物は元々我と一体、我に非ざるはない。無欲を仁と謂ふ、無欲であって始めて能く不貧たりえ、不貧であって能く万物よ一体たりうる。

陽明学の出現は、仏の再導入が儒の再勝利とかいった、教派的視点によってではなく、宋代に対する、明代理観の確立という歴史的視点によって、評価されるべきものである。

然し、斯様な陽明学による明代理観の蘇生にも拘わらず、その命脈は宋学に較べると遥かに短いもので、既に明末において陽明学は、時代を覆い尽くすだけの十全さに欠けた。

その故に、新しい理念の再構築が歴史的に必須とされた。陽明学のこの命脈の短さは、その体系の底の浅さ露呈した。

寧ろ、宋代に較べて明代という時代の流動展開のテンポが、幾何急的に力の速度を増していた事によるというべきである。

陽明学は、客在の理を我が性の主体において、我に当下具在のものとし、理の客在性よりは、一見主観内在性を強く打ち出そうとするが如きであった。

依って、客観唯心論と称されるのだが、併し、この呼称は陽明が理の客在性を否定しているかのような印象を与える点では、実は全く正しくない、

陽明にとって、良知は明らかに人々に具在のものであり、この人々の具在性こそが理の客在普遍性を示すものであり、彼の意図は客在主観の内に包摂いようというのではなかった。

客在の理を、最も主体的に発出しようとする処にあったと見るのが正しかろう。その不学不慮のテーゼは、寧ろ心の内に在るとされる。

此の、既成の理を巡っての一己内急心的な諸分別、主観的思弁を徹底的に排除しようとする点で、宋学の唯心論的傾向を克服する構えすらもつ。

つまり、不学不慮は主観の分別を排除した先に、自己実存を露わにしようとするヴェクトルを持ち、それは、理の実在性を我が主体の客在性の上に、重ね合わせようとする意図を含むものである。

我が儒の養心は、未だ嘗って事物を離却せず、只、かの天則自然に順う事こそ功夫の眼目とする。釈氏は逆に事物を悉く離絶して…世間と些かも関らない。

知良知は倫物感応を離れず、これは元々万物一体の実学である。仏氏は明心見性を明明徳と見做し、自証自悟するのみ。

倫物感応を離却して民と相親しまず、身世を幻妄と見做して、終には寂滅に帰する。要するに天下国家を治め得ない。

克己とは朱子によれば、己の私欲を克去すること、復礼とは、礼すわなち天理の節之に帰趨する事である。

己の私欲とは、人に於ける気質の混濁であり、情の過不及であり、言わば人間自然が悪に流れようとする、その不安定な動揺である。

従って克己復礼とは、その動揺を鎮静し、悪及び悪への志向志を撤去し、人と本然の性として、措定された天理に向けて、己の自然を収斂し帰一せしめる事である。

礼とは、無人無己の本来面目、無善の故に至活なる至善、そして、端的には衆多なる「民物」、即ち、欲望を基体とした人の自然においてあるもの。

学・慮・思・勉・識・知などの人の作為によっては、押し留めない。それこそ人の「中より出ずる」已むを容れざるもの。

すなわち、これこそが「天から降る」ところの天与の自然を人々同じくする、その無人無我の大同の称相、それが礼である。

克己とは、意必固我がないこと。己とは我私、意とは生心、必とは待心、固とは執心、我とは我心、克とは尽く断つこと、ないとは禁絶の辞。

……もし人が智から解放され形を忘れ、欲から離れればこれ清浄。されば、解放さるべき智は私智。即ち意必のこと。

忘るべき形とは即ち固我のこと、離るべき欲とは即ち己私のこと、いま清浄ばらば廓然として無礙。恰も太虚空の如し。これこそ孔子の大公に他ならぬ。

万物一体の仁は、各々の千変万化活發々な生意を、根拠とするものであるが、実際彼にとって万物とは万民である。

生意とは人間の生意であり、人間を離れては一切の思弁が、無意味であるとすらされ兼ねまじき勢いであり、それ程に彼の人間に対する関心は徹底している。

朱子は、己れが不善ならば、これを棄てゝ人に従い、人に善があれば、これを己れに取り込む事とした。

己の不善を捨てゝ、人の有善に従うのは、言わば爲善去悪の立場だが、竜溪は無善無悪の立場から、己の友善すらも切って捨てた。

予め、善を人間の上に措定しておいて、これに自己を収斂せしめようとする、生き方に反逆したのである。

抑々、聖人も又人に他ならぬ。高く遠く飛翔して、人間世間を棄てる事は出来ぬ。着るものも着ず食うものも食わず、穀粒衣草を絶って自分だけ荒野に逃避する事も出来ぬ。聖人と云えども勢利の心がないという事は出来ぬ。

天下の争いは、すべて自分だけが友善且つ無悪であるとする処から起こる。自分に善があるのならば、天下の人にも又各自にその悪はない。

真に良知を致すとは、只宜しく虚心に物に応じ、人々各々に、その情を尽くすようにさせる。

聖人の学は、無為にして為す者である。然るに今の無為を云うものは、只無心を云うに過ぎない。抑々心と謂う以上どうして無いと云えよう。

既に、為と謂う以上どうして無心の為がありえよう。農に心と謂う以上どうして無いといえよう。農に心が無ければ用は必ず荒れる。

工に心が無ければ器は必ずいびつとなる。学人に心が無ければ楽は必ず廃れる。どうして無心でいられよう。
解者は又こういう。いわゆる無心とは私心の無いこと、真に心が無いわけではないと。抑々私とは人の心、人には必ず私があり、かくしてはじめてその心も発現する。

もし、私がなければ心も無いのだ。田に従事する者は私的の収獲があればこそ、はじめて治田に必ず励む。…為学の者も私的に進取の栄禄があってこそ、はじめて挙業の勉学に励む。

これは、自然の道理必至のなりゆきであって、架空に臆説しうる事ではない。されば、無私の説を為すものはすべて画餠の談観墝の貝でとるに足りぬ。

……以上によって観ずるに、無心および無私心によって、無為の学を尚諭するものは、みな根拠のないところを論ずるもの。舜より以下は、要するにみな有為の聖人である。

太公のの富強、周公の礼樂措するところ、それぞれに異なるが有為である事は一である。どうして無為であってこそ始めて可なのだと決めつけられよう。

「舎己」が、己の悪を捨てることから、己の独善を捨てるところまでは至っても、捨てることを目指す点でそれは同次元のものである。

そのかぎりに於いて、それは共に「題目」であるに過ぎない。「舎己」とは己を捨てる事ではなく、真の己を発現する事であり、真の己とは、計較の余地のない己の当体である。

真の為とは、リアルな客在としての自己を社会的学為において発現する事である。そして、リアルな客在とは、人々に於ける「私」であると彼は指摘するのである。

これを阻害し曲視しないこと、それが無為であり、無作為裡に作為上に発現すること、これが真の意味の有為である。

彼の「穿衣吃飯」「兵食」あるいは「私」への切近は、決して平坦な道のり先にあった分けでない。

既成の思惟を破ろうとする、明末の衝動の中にあって、その明末の衝動をも突き破って、ひたすら真実在追及してやまぬ試行の果てに、辛うじて展望されたのである。

「穿衣吃飯」や「私を彼が自己の立論の陣地として確定し、その上に定論としてこれを主張しているのではない。あらゆる試行の果てに、彼にはこゝ以外に由るべき道筋が最早なかったまでゝある。

世間には、自己の心地に不明なある種の人が居て、吾が真心は太虚空の如くで、相の得べきもないのだが、ただ色相が交雑するによって昏擾やすからず、その故に空でなくなるのだと、考える。

そして、必ず諸々の所有を尽く空じて、後にはじめて吾が無相の初めは全うされ、これぞ空と為すことだとも考える。
い。
一体空と為されうるものなら、何でこれを真空と謂いえよう。仮令空と為し得たとしても、これはつまり掘地出土の空現在ともに、見るところの太虚空に他ならず、真空とはまるで無縁である。

豈に知らんや、吾の色身及び外にしては山河、遍くしては大地、並びに見るところの大虚空など、みなこれ吾が妙明真心中一点の物相あるに過ぎざるを。これすべて心相の自然、誰が能く空じえよう。

経は、解悟すべきであって、解釈すべきでない。解悟すれば意表に通じ、解釈すれば言詮に堕する。

異別 分別を仏家は理章として嫌う。陽明も同じである。尋ねられる天理はうれることによって対象化され、心に異物となり心即理のテーゼは死ぬ。

心は、当下に即理でなければならない。この即の究極が良知を致すのである。最早良知は当下に異在であり、只「致す事、之に尽きる」いうのである。良知をいかに十全に発揮するか、それしかないとされているのである。

ここで、心即理―知良知―無善無悪の軌跡の意味は、一つには既成の理観念に束縛されない我を打ち出した事、一つには理を現在的我に根源付けた事である。

一つにはその結果、理が現実社会の動相に脚地し、現実の中から発出されるに至った事、と集約する事が許されよう。

陽明思想の思想史的基軸は、内面の自立――自我の確立という軌跡にあるのではなく、寧ろ現在的我が当面している、現実社会の諸相の中に理を改めて根柢付けたという事にある。

昔に在りては以って善となすも、今に在りては不善と為すものあり。先に在りては以って善と為すも、彼に在りては不善と為すものあり。

陽明が自己に課題とした事は、そのような現実に即応した有効な理を模索し、その理に依って現実に対応し、諸矛盾をイデオロギー的に整序し直す事であった。

陽明学は知行合一であり、従って事上磨錬でなければならず。我が我に於いて、物(コト)を格(タダス)のでなければならず。理に格るのではなかった。

民を上から教化し、新たにするのではなく。民と同一地平に立って、民に親しむのでなければならなかった。

このように、理を現場に生きる諸々の現在的我に委ね、それらの我の主体的な道徳的覚醒を、そして我と我による主体的秩序の確立を呼びか掛けた。

陽明学が郷村の父者、城市の商人はもとより、広く庶民の間に広がり、多くの自覚的主体的人間像を輩出した様は、如何にも新興の担い手に担われるに相応しい、学というよりは精神運動であった。

陽明の「無」の軌跡に意義は、大きいその方法論の変革によって、理の創出の道が拓かれたと、謂う事が先ずはある。

併し、更にこの歴史的時期が意義として、注目されてよいのは、この新しい方法論の確立に於いて、理が定められてあるものではなくなり、人から発出するものとされた事である。

尚、言い換えれば秩序が超越的に、人間に作用するのではなく、人間の中から秩序が生み出されるとされた事である。

「無」という本体は、本具の理が透徹しまった姿であり、つまり完善な人こそが我の主体に於いて、自在にそれを発出できる。

人間の自然が欲望と捉えられた事。而もそれが社会的欲望であったと云う事。これは良知が現実社会に根柢付けられた事に始まる。

併し、王竜溪の「無」の跳躍なしに、又李卓吾真空なしに、この自然の転換はあり得なかった。

嘗て、自然は人間に於ける道徳的本姓であった。それは宋学から陽明学に至るまでそうであり、それは其の侭理の内実に関わるものであった。

陽明にとっても人間の自然は、人間に本具の四端であり孝悌であって、それが理の内実でもあった。その自然が李卓吾において真空を媒介に欲望、取り分け社会的欲望を含むとされたのであった。

秩序から人間ではなく、人間から秩序へという、陽明におけるヴェクトルの逆転の意識は、この人間の自然の転換に依って、始めて思想史的に確定的なものとなった。

天と人との分裂こそ、精神にとって最も根源的なる、分別でなくてはならない。

従来の―――朱子の性から陽明の心へ、情を収摂した性的自然から、情を包含した心的自然への推移はあったにせよ―――

性にしても、心にしても孰れも道徳的本姓こそを、人間の自然として来た。それから欲望を包括する自然へと、大きな転換を遂げた。

陽明――竜溪――卓吾の流れをこのように、「無」――「真空」の軌跡からとらえなおして見る時、その定点のない真無の境涯こそ、懸崖から百尺竿頭に一歩進めるもので、その故に異端された。

その、存在すべきようのないそこが、彼の存在理由であった。それが、卓吾に於ける思想史上の存在意義と云うべきものであった

抑々、意志とは真心である。もし童心を不可とするならば、これは真心を不可とするもの。童心なるものは、絶仮純真最初一念の本心である。

もし、童心を失脚すれば、取りも直さず真心を失脚するのであり、真心を失脚すれば、取りも直さず真人たるを失脚する。

人であり乍ら真出ないのは、全くその初を有しないもの。童子とは人の初、童心とは心の初である。一体心の初がどうして失われる事があろう。

人は、尋常の好悪において、或いは又真切ならざる処あるも、稚だこの好色ヲ好み悪臭を悪むのは、則ち皆真心より発す。

一行三昧とは、一切時中行住座臥おいて常に真足ること、真心がこれである。浄名終に云う、真心これ道場 真心これ浄土と。只真心を行持し、一切の法上に執着する事なきを一行三昧と云う。

一切の学道人が、念に随って流浪するのは、蓋し真心を識らぬが為。真心とは生を念じて生に順わず、滅を念じて寂に依らず。不来不去 無為無相 活發發地に平常自在である。

論ずるところの去念守心に付いて云えば、念は去るべからず、心は守るべからずもの。真念は元々無念、何ぞ去ることのあらん。

真心は元々無相、何ぞ守ることのあらん。只寂にして常照、即ちこれ本体、即ちこれ工夫、本来許多に路を分けて、講説を費やす事ではない。

抑々、心に真心あり 安心あり、真心ならば聖人と凡夫とを間別するところなし。生死を離れ去来を絶し日用を離れず。湛然と常在、有心によって得ることも無心によって求めることもできぬ。

人性は元々至善。……その性の初めに返るものこそ赤子の心を失わぬ。赤子の心に惡はない。豈に更に善があろうや。、

彼が、生の欲を性の真として認めた事は事実であり、童心が赤子の心や真心ではなく、云わば欲する事を、ありの侭欲する赤裸々な心である事。その赤裸々さによって、性に於ける既成綱常の枠も又事実である。

当今、学んで支離の欠陥持つ者は、十分の一であるのに対し、猖狂の欠陥持つ者は、十分の九みな無善無愚から出た。

李卓吾の、前述の至善が無善であったように、無善無悪が結局無善として、作用している事。それは、仏教の真空と結びついて、既成の理観を破除している。

のみならず、秩序倫理そのものを無視して猖狂に流れ、恣情縦欲に奔るものである事などが、危機感を以って指摘されているのである。

小人は、欲を縦まゝにする事を良知を致す事だと考え……異端は甘食悦色などの欲の字を率性だとし 良知だとし 自然だとしている。

君子が、富貴を欲するのは一般の人と同じだ。只何故欲するのかその所以が異なる。君子は、自身の富貴は甚だ軽視する一方、富貴でない人々を救済するという、人間の本姓が施せないと考えるだから欲すのだ。

実際は、真空は李卓吾にとって究竟ギリギリの到達点であり、そこに至り達するまでが、云わば彼に課せられた敵視的な役割であり、彼はその究竟への到達を以って、その一生を終えたと評してよい。

民衆の生活の充足さえあれば、民は自ずと自らを防衛し人倫も興って来る。それを抜きにして人倫を説いてみても、それは本末巓倒である。

人類有性の初め、人は各々であり自私であり自利であった。後世の人君たるものはではない。天下の人に自私や自利を遂げさせず、我一己の大私こそ天下の大公だとする。

若し、君主さえなければ、人々は各々その自私や自利を遂げさせず、我一己の大私こそ天下の大公だとする。

人に私があるのは、固より情の免れない処。故に、先王はこれを禁ずることなく、いや禁じないどころか。これに従いこれを充足させさえした。

天下の私を合して、それに依って天下の公を成す。これが王政たる所以である。世の君子は口を開けば「公ありて私なし」曰まうが、これは後代の美言であって、先王の至訓ではないのだ。

君主は民の苦楽を第一義とし、仮初めにも自己本位であってはならない。天下は君主の為に在るのではなく民の為にある。

人が幼児から悪に泥むのは、元々身の気質の偏駁の爲、悪に引蔽習染され易いからだ。これは元々責任がある事で、人は自ら力めぬ訳にはゆかない。

私が専ら、農事に励んでいると寝食の遑もなく、邪妄の念の起こり様がない。若し十分の深緑を用いて、いつも天理を志向しつゝ事をなせば、人欲が何で自生する事があろう。

人が仕事をしなければ暇、暇ならば不順、不順ならば惰懈し 困憊し、私欲がこれに乗じて起こる。

扇子であおぐというのは、熱い時に自ずとこのようにあおぐ訳で、欲してそうしようとするものでない。

陽明先生が、遂に厭世家と為らずにして、能く進取活動の人と為り、実用活学の祖為りしは、全く下の三種の原因に依らん。

1、家庭の忠孝的訓育の深厚なりしこと
2、文武に兼達し時局に必須の人物たりしこと
3、豪健明敏にして事理を見るに明かなりしこと

先生の、資性的所謂多血質と謂はんよりは、寧ろ神経質と謂うべし。然れども世間普通の神経質の人の如く、憂慮憤慨に過ぎて為に、自己が守るべき本分を失するが如き弊なし。

郤て、灑々楽々能く諧謔し、能く談笑して衆を容る。襟度ありしは、毎に先生の行為に於いて見る所なり。忙中に困明あり、苦中に楽天地ある。是れ以て、度量の超凡と為すに足るべし。

其の聡明叡敏なるや、如何なる難事に逢着するも、之を為して力に応ずることを得。如何なる難関に遭遇するも、之に當りて返成すべからざるはなし。

故に、少壮より百事に接触して、其の才幹を試みんとしたる也。或いは國家の事に関し
、或いは一身の事に係りて、能く察し能く處して、未だ曾て蹉跌ある事なかりき。

且つ、其の意思力も頗る強健にして、百難を冒して撓まざるの概あり。蓋し先生の資性非凡なるに、従来諸般の経験を積み来たりて、能く事物の表裏深浅の程度を測る。

内外の刺激に応じて、自己の心力を注用するの節度を悟り得るに由れり。今後に於ける先生は殆ど純然たる聖学の徒にして、敢て或は迷溺の失あることなし。

古の学者は以て心を養ひ、今の学者は以て心を病ましむ。古の学者は以て事を成し、今の学者は以て事を破る。

親を愛する理想、兄を敬するの標準、皆な之を我が心に求めざるべからず。若し心を外にして事物の理を求めんと欲すれば、終身労すと雖も得るべからず。

百事我心を究明するを以て始めてとなす。一心晴明なれば、世間の百事悉く之に依て解釋せられざるはなし。

故に、其の心を認了するは斯学の要點にして、心を棄て理を他に求むるは、誤れるの甚だしきもの也。

良心は、無上最尊の意志の声なり道なり。而して最も簡明なるものなり。人間は必ず之に従ふて行動せざる能はず。

世に、無上の大法するもの存して、之に従へば善 之に反すれば悪、善すれば栄え、悪なれば滅ぶ。

幕府の末路に當りて、勃興せし英雄豪傑、佐久間象山・鍋島閑叟・吉田松陰・雲井龍雄・横井小楠等、皆な陽明学を以て其心膽を練る。

気格を高め道理心肝を貫き、忠義骨髄増し死生の際に談笑して、能く撼天動地地の大業を成せり。

何事も思へば成り、思わざれば成らず。実に萬事成敗の根元たり。思の一字人の情の根本、萬事の摳祖。

竹村梅斉の行為は、頗る過激に失する跡あれども、是れ即ち知行合一の旨を得るもの也。悪を知りて除かず、善を知りて行わざるは、良知の許さざる所也。

良知の霊明烱々たるものは、則ち國家の害悪を見ると、恰も自己の危厄を見るが如く、瞬間も躊躇する能わず。

是れ所謂、天人合一の大観念の基本たるの行為也。然れども真知なくして妄行するが如きは、王学の最も取らざる所也。

陽明子は、元と世人が知に止まりて行に至らざるを憤慨して、知行合一並進の立てたれども、亦た無知妄行を誡むると甚だ厳なり。後の王学の志す者豈に戒慎せんや。

只、人をして良知を致せば、即ち是れ誠敬と為り、誠敬を存すれば、即ち良知昭々然として日月の如く、初よりニ致なきを知らしめんと欲するなりと。

中斉は、虚と云ふ一條の金管を以て、大は宇宙の太虚より、小は原子間の空隙に至るまで、悉く之を貫通網羅せんとす。

換言すれば、彼は有形的空虚と無形的空虚とを論ぜず、客観的と主観的とを問わず、自然的と人為的とを言わず、悉く相融和通して無礙なるものとす。

中斉は、唯一主義として太虚太お虚の二字を提出して畢生の業とし、之を以て宇宙萬物を総括せんとす。

彼は、太虚を以て理想とすれども、消極的にあらず 進歩的にあらず 破壊的にあらず、彼は、積極的なり 構成的なり 生々不息を説くもの也。

唯彼は、虚と云ふ一全管を通じて、聖人の域に到達せんとするのみ。虚を説くは空なりと観せしむるにあらず。

現実に存する虚に就きて、融通無礙に天の太虚に同じきを示し、以て區々の人欲を去り、大我を以て我となし、意必固我を除き、時中的変易を為さんとするのみ。

中斉の意を察するに、世の物欲に陥溺する者を憐れみて、自然の霊心に帰せんことを教えるのみ。

所謂、堯舜とは、理想的圓満なる大聖人を意味する也。而して、良知を致すの法は格物に在り。格物の要は慎独克己に在り。慎独克己以て格物すれば、則ち良知を致すべし。

中斉の良知を致すの工夫は、但だ人を欺かざるのみならず、先づ自ら欺く勿れと云う事が肝腎肝要なり。

自ら欺くなきの功夫は屋漏より来り。戒慎と恐懼と須臾も之を遺るべからず、と云ひ。且つ彼は頓悟を云ふ也。

致良知の方法は、決して空禅にあらずして、最も卑近に日用応酬の間にある事を明言せざるを得ず。若し壁に面して達磨の如く、心法を練るものとせんか。是れ陽明学の罪人也。

若し、此の如きを以て致良知、帰太虚を為さんとする者あらば、真に獅子身中の蟲にして、斯学を済して枯禅に陥らしめるもの也。

陽明学者が、千軍万馬の間に馳突激闘して、泰然として迫らざるもの多きは、職として此観に由るならん。

困難に処するも、従容として楽天主義を取れるは、常に其生死の間に疑なきが為なり。死生の際に談笑するは、道理心肝を貫くに由らずんばあらず。

徒に、客気勝心者流の所為に倣ふものにあらず。所謂、大悟徹底より来りて死生を一にするもの也。

中斉の一死生説は、最も正確なる推理法に由り、毫も熱血的鼓吹作用なきに拘わらず、生気凛々勃如にして、勇往直進の気象を感ぜしむ。

心に誠を存して失ふなくんば、百物の来て明鏡に映するが如く、善悪正邪独 自ら鑑別するを得ん。然れども是れ無心無意を云うにあらず、是れ霊明なる活動の然らしむもの也。

誠の一字は、東西古今の別なく哲学に宗教に最も重しとする所也。

夫れ東洋学は、一般に心の精神作用に長じ、西洋学者は一般に経験に重きを置き、分析作用に長ずるが如し。

東西各長短ありて、西洋の長所は新知識を得るに便なるも、精神作用を綜合精錬するに便ならず。東洋の長所は正に之に反す。

良心は仁義の心にして、人間各自固有するもの也。而して道徳に関する萬般の行為を支配し、善悪正邪を判断力を具ふ。

其性は、本来至然なれども、教養の如何に由って、其力は増減強弱を見る。而して其減弱の極度に達すれば、所謂、禽獣を去る事遠からざるに至り。

其の、増強の極度に達すれば所謂大聖人と成り、最も圓満にして其の行為に豪も欠くる所なし。而して、人類が萬物に霊たる所以は、独り人類のみが此の仁義の心を有して、他動物は之を有せざるに由る。

惟ふに良心は、善悪正邪を判断する点より見れば、智力にして善を為し悪を為すの結果として、快楽苦痛感ずる点より見れば、感情なり善を為さんと欲し、悪を去けんと欲する点より見れば、意志なり。

道徳上吾人が、一行状を完成するにも、知情意の三作用作は決して欠くべからざる也。尚約言すれば、良心とは即ち知情意の道徳に関する作用を指す也。

利の為に屈せず、欲の為に熱せず、徹頭徹尾虚心平気たらん者、必ず大事業に當るに足らん。若し功名富貴の為に事を謀らば、是れ実に阱に陥るもの也。

中斎が蹶起して、聖賢の業に従事して、利祿を羨望せざりしは、丈夫の所為と謂ふべし。

学者は、学理を知るのみを以て職業とし、宛然百工技芸の如し。而して、毅然として徳器を完成する人少なし。

陽明学者が、大業を為し驚かしゝは、実に利欲を離れて心事磊々落たるに、基因せずんばあらず。凡そ、吾人利欲あれば必ず危懼あり。

危懼あれば、其の心平稱を失して挙措其所得ず、遂に事を誤まるもの比々是なり。虚心平気は成業の秘訣なり。

中斎の教育の主義は、文武を兼ね学問事業並進せしむるにあり。是れ即ち知行合一の主義より来れり。

学理は学理、実行は実行と劃然と区別するが如きは、斯学の最も取らざる所、本体即ち工夫、工夫即ち本体、体用一元、明明徳は親民と相離るべからず。

理論家たると同時に実行家にし、哲理と事業とを合一並進せしむるは、王学の大本領なり。

中斎は、独立不羇の人なり、彼は徒論空談者にあらず。彼はその生命を掛けて其学説を樹立し、遂に其主義の為に斃れたり。

中斎の峻峭扳なる性質が、能く簡易直截なる陽明学を発揮して、更に簡易直截なる太虚主義を創唱し、単刀直入 亭々當々 直上直下、太虚を以て天人を貫通す。

宇宙を網羅したるは、我哲学史上の一大違観と謂うべし。而して彼の哲学は、其性質の如く孤俊也。其弁証法弁あ証法は、彼の如く精鋭なり。

其推理力は、彼の如く果敏なり。其思索力は、彼の如く直截なり。其時色の顕著なる既に此の如きものあり。

吉村斐山、平生自ら警むる者三あり。一には訓詁の柄に落ちず。二には門戸の見を立てず。三には知解の精を頼まざること是なりと。又、嘗て工夫を論じて三説あり。曰く動の上に静を求む、曰く動静合一。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2017-09-02 03:22:32

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