第六章 言志録(ハ、陽明学を共に学ぶ)

事実、リッチを先発するイエスズ会士はその中国伝導の推進に当たって、中国社会における儒仏道三教思想の存在を認識した。

而も、仏道二教の多神論的汎神論的教説は、カトリック的立場から見て疑似異端の宗教思想として、厳重に否定しざるを得なかった。

儒教の敬虔な天命思想や、仁愛孝悌に注重する道徳的思想の中には、、カトリック的唯一神の信仰や愛徳の倫理に近いものが含まれている点に於て、提携の可能性と必要性の存することを見出した。

天地万物の創造、主宰者たる天主の唯一の絶対性が強調されると共に、カトリック思想の立場から仏道二教を〈空・無〉の異端として排斥した。

更に、近世儒教の太極理気説や、それに基づく唯物無神論的見解をも、異端に泥む後儒の曲説として斥けたのち、詩・書・易・礼記を引拠として、儒教経典の古義を検討した。

底で語られる〈上帝〉ということばが、決して単に蒼々たる虚空を指すものではなく、その中に存する最高至善なる神格者への畏敬に外ならぬこと。

未だ、霊魂不滅及び鬼神の存在に対する信仰が、、古代儒教においても是認されている事実などを指摘し、してみれば上帝鬼神を尊崇する儒教と天主の信仰を説くカトリック教説とは、帰を一にすると結論づける。

それら、〈奉教士人〉うちでもことに典型的な位置人物、夙に受洗してポール(保禄)の洗礼名を持ち、晩年には礼部尚書兼東閣大学士として入閣した。

そして、廟政に参与し乍ら、カトリック伝道の擁護と西洋科学の摂取にすぐれた貢献を果たした、〈奉教閣老〉徐光晵。

一日ふと教堂を訪れて、祭壇上の天主の画像を望見し、その森巌な宗教的雰囲気に思わずも襟を正し、又初めて見る紅毛碧眼の教士カッタネオが、中国君子さながらの典雅な態度であることに感嘆した。この時から〈天主の教え〉に対する好奇的な関心が、かれの胸中にわだかまるようになる。

リッチ教説を称揚して「その学の大なる者は真宰に帰滅し、乾々昭事するを宗となし………百千万言中一言として忠孝の大指に合せざるものを求め、一語にして世道人心し益なきものを求むとも得べからず。

「顧う惟れ先生(リッチ)の学は、ほぼ三種あり。大なる者は修身事天、小なる者は格物窮理、物理の、一端は象数となる………。、

余の乃ち速やかにその小なる者を伝うるは、唯その信じ易きを先にし、人をしてその文をを訪ねその意理を想見し、先生の学の信じて疑わざるべきことを、知らしめんと欲するのみ」

奉教閣老・徐光晵は、明末思想文化界の一異彩である。その奉教者としての信仰の純粋さと熱意は、他の奉教者士人に比して抜群に評すべく、明末カトリック伝導の成功も又、彼を中心とする奉教士人の協力庇護に俟つこと軽妙でない。

又、天文歴算を始めとする西洋学術の摂取紹介、更に西洋火砲の輸入製造に於ける彼の先駆者的業績も高く評価さるべきである。

唯、徐光晵ががその信仰に身を委ねた〈天主〉の教えは固より、救国の手段として熱心に摂取利用を計った西洋の化学も火器も、既に弱体化した。

明朝社稷の衰連を挽回するには足らず、徐光晵の歿後十余年にして明朝はは遂に滅びる。徐光啓にとってせめてもの幸運は、彼がその滅亡の悲劇を目賭する事無くして、世を去った事であったと云えるかも知れない。

而も、皮肉な事に彼がその摂取に先鞭をつけた西洋科学と兵器とは、彼の霊的指導者であり協力者であった、アダム・シャールらイエスズ会士の手によって、次の異民族王朝清朝に引き継がれ、より豊かな結実を示す事になるのである。

徐光啓は、血気盛りの青年時代の十余年を、徒に科挙応試の為に浪費したかの感がある。、仮令彼自らは有為の才能と浩々たる覇気を胸に秘めて秘かに期する処があった。

度重なる科挙応試の失敗を重ねては、さすがに焦燥不安の念を禁じ得なかったに違いない。そこからして彼の深刻な思想的煩悶と、精神的煩悶と精神遍歴が生まれる。

彼は、儒教聖賢の教訓は固より、諸氏百家さては道佛二教の経典までも渉猟して、焦燥不安の念を癒す心の糧を求めたが、其れには遂に得られずに終った。

そして、彼が最後に辿り着いて一縷の光明を見出すのは、外ならぬ西東新奇の〈天主教〉カトリックの信仰においてである。

徐光啓は、ロカ師から授けられた教籍を旅宿に携え帰り、夜を徹して耽読した結果、心ために豁然積年の懐疑煩悶忽ち氷釈する思いで「道此処に在り、我問とする無し」と嘆じて入信の決意をした。

彼の場合はカトリックへの接近が、純然たる思想信仰の問題として始められていた。この事は伝道に好意的同情的関心を寄せた。

そして、他の多くの官僚士人・特には所謂〈奉教士人〉の場合に於てさえ、多くはカトリックの信仰というよりも、神父たちの齎した西洋学術への知的関心が先行し、軈て振興へと進む、言わば西学→西教のプロセスを辿っているのとはその様相を異にする。

徐光啓は、わが国の歴史上に於おける傑出した豊業家であり、近代科学の先駆者であり、又、愛国的政治家である。

佛は中国に入りて千八百年也。人心世道 日に古の如くならず。如何なる人を成就し得たるか、若し天主を崇信しせば、必ず数年の間にして人は悉くは賢人君子たり。

世道は、唐虞三代に較べて且つ遠くこれに勝り。国家は千万年をふるも永く安くして危なく治まりて、乱無からしめん。

抑々顧憲成、高攀龍を中心とする東林学人は、東林書院を本拠とする学問的グループとして結集した。そして、彼らは王学的自由思想への反省批判から出発した。

本体の、空談を避けて着実な為学の工夫に注重し、名教礼節の護持を提唱し、経世済民の政治的実践に烈しい意欲を示した。

このようにして、当初は学問的グループとして成立した東林は、その現実的政治社会への関心を深める事によって、寧ろ政治的グループ――――東林党として発展し、清流土人を結集して明末政界の中心勢力を形成すると同時に、東林対非東林の党争を激化して行く。

瑪騎および東林学人の正学運動は、王学的自由思想に対する朱子学的立場のであった。従って彼らにあっては、その反攻護教運動に寄与を齎し得る、新思想新理論に対する関心が、極めて旺盛であった。

その意味で新来の天主教に対しても、彼らが積極的な関心を向けたという事は寧ろ当然であろう。一方リッチ氏を先登とする耶蘇会士は、その伝道の推進に当たって、中国社会に於ける儒佛道三教思想の存在を認識した。

而も、佛道二教の多神論的汎神論的教説は、その宗教的立場から疑似異端の思想として、厳重に否定し去らざるを得なかった。

儒教の敬虔な天命思想や、仁愛孝悌に注重する道徳思想の中には、、天主教的唯一神の信仰や愛徳の倫理が含まれている点に於て、提携の可能性と必要性を見出したのである。

リッチ師の伝道活動は、その表面的な成果だけから見れば、寧ろ労う多くして功少なかったと評し得るかも知れない。現に彼が1610年に北京で逝世した当時に於ける信徒数は、全国で漸く2500人を数えるに過ぎなかった。

「王学指掌」:宮内默蔵著より―――――――――――――

陽明学は、各自の心悟実徳要するに在り。徒に之を絛章字句の間に求むべからず。

吾が東洋に発達せる道徳は、古昔聖人天に則り教えを立て、その徳天に配し、其の政天と一なり。

致良知とは、我が本来の良知を時事物々に致して、拡充到底することなり。

即ち良知とは、学習や人為の思慮を假らずして、天然の儘すら~と出づる善き知恵なり。抑々人の生まるゝや、天に在りては命と謂ひ、人に在りては性と謂ひ、一身に主宰せるを心と謂ふ。その心の霊覚なるものを良知と謂ふ。

吾が唱導せるが良知の学は、龍場以後巳に此の意に外ならず、只此の二字を點出せざるが為に、学者とこの道を諭ぜるに許多の辞説を費やしたりき。

然るに、今幸いに此の二字を見出し、一言の下にて此の道の全體を洞見す。真に是れ痛快極まりて、手ひ足踏むを覚えず。

学者、これを聴くにも亦多に尋討の工夫を省却しぬ、学問の頭脳こゝに至りて説き得て十分に着落ありき。只学者が直下承當せざるを恐るゝのみ。

良知は、造化的精霊(天地の一元気のたましいなり)にして、このすこしの精霊が天を生み地を生み又(鬼鬼神の鬼にて造化の働きなり)を成し、帝(造化の主宰者なり)を成すなり。

この良知は、真に無上独尊・ものと対することなきものにして、人もしこの良知を巳が天よりうけ得たる本体に復し得て、完々全々(完全と同じ)少しの欠くるなくば、己が心中に無を上の楽生じ、手舞ひ足蹈して躍るとを覚えざらん。それかくの如くば、天地の間に更に何の楽かこれに代ふべきものあらんや。

上記の條は、陽明子が発明に斯かる良知と云ふことの、定義を天地開闢の始めなる造化の化の枢紐に根柢して、説をを立てたるなり。

即ち良知とは太極を意味す。換言せば造化の神なり天神なり。老佛のこれを谷神と云ひ、基督これをゴットと云ふ。その説く所各々異なりと雖も皆是れ、天地自然の眞理を云へるものか。

特に我が儒に在りては、これを誠と云ひ 至善と云ひ 仁と云ひ 中と云ひ、又は天理と云ふ。陽明子故に曰へらく、良知はこれ天理の昭明霊覚なる處をさすと。

されば、良知は吾々が心性を貫き、天理と合して霊覚なる働きをするものなり。故に曰く良知造化的精霊なり。大なる哉言や。

人的の良知と、草木瓦石的の良知とかはりはない。もし草木瓦石に人的の良知なくんば草木瓦石とは云えぬ。これ只草木瓦石のみ然るに非ず。

天地も、人的のなくば天地とは天地とは云へぬ。いかむとなれば、天地萬物と人と原と一體のものなるが、その内に発窮(窮は穴なり、天地の元の發する窮と云ふこと)の最も精きものは即ち人身一點の霊明(良知の事なり)となす。

彼の風雨露雷・日月・星辰(星なり)禽獣・草木・山川・土石、皆是人と一體たり。それ中へに五穀(種々の穀物)禽獣の類はみな人の病を養ふ事が出来る。

又、薬石の類は、みな人の疾を療することが出来る。これ他なし、みなこの天地間に生じて、此の元気同じくするが故に、共に相通じて用を成す。

佐藤一斎曰く:乾元(天なり)の精の人身に萃るものを心となす。その霊なる處よりして之を良知と云ふ。故に良知は天地を罩籠し、萬物を聯絡す。

仁者が天地萬物を一體なせること、これが為の故なりと。学者多くは形體に拘はり、人と天地萬物とを以て異観となす。

されどその実は、一気貫通して異なるあらじ、故に人の死は即ち天地万物の死と謂って可なるべきも、而も天地萬物は現在す。されば我れ亦いまだ死せざるものあり。

天地間すべて活發々地(生きいきして滞り無き事)にして、亦この此の理でなき者はない。これは取りも直さず吾が良知的流行にして息まぬのじゃ。

その、致良知と云ふのが有事的工夫じゃ。この活發々の理、離るべからざるのみならず、実に離れ得ぬものじゃ。さればいづれに往くとして道にあらずと云ふことなく、いづれに往くとして工夫にあらずと云ふことなけんと。

知は心の本體にして、心と云うふものは自然に知る事を會す。喩へばこゝに人あり、父を見ては自然に孝行することを知り、兄を見ては自然に弟順の行をすることを知る。

又、需子の今まさに井の中に入らんとするを見るときは、自然に惻隠の心を生ず。此れ即ち吾々の心に常住せる良知にして、敢て他に假り求むること要せずして毫も不足なきなり。

されば、この良知の發する如きは固より私意の障礙なく、所謂その惻隠の心を充てゝ仁勝げて用うべからじ。然るに、常人は私意の障礙なきこと能はず。

故に、常に、致知格物の功を用ゐて、その私に勝ちて理に復らねばならぬ。、さあらむには、心の良知更に障礙せらるゝ所なくして、事物の間に充塞流行すること得ん。

即ち、これその知を致すなり。その知が至れば意は自然に誠になるべくとなり。彼の知の本体體と云ふものは至完至全にして、天地とその徳を合わせたるものなり。

聖人より以下の者は、私慾に蔽ひくらまさるゝ弊なき能わず。故に我々は、須らく物を格してその知を致さねばならぬと也。

凡そ人の本心と謂うものは、至虚にして鏡の空しきが如く、至霊にして鏡の照らすが如く、一點の曇りなくして昧らず衆物の理自らその裡に具わりて、天下の萬事萬物は皆この裡より出ず。

されば、心と理は素より一つのものにして、心の外に理はない。又心と事物とも同一のものにして、心の外に事物とてはないものである。

この心定まりて、動静一致なるべきことは、たとへば名手の鞠を蹴るが如く、その人動き乍らも自ずと静なるが常なり。元とこの良知は常に静かなるを守りて、善しとするものにあらず。

動くべき時は、いかよう紛櫌の中へといへど動かねば安ぜるなり。これ即ち動静一貫、内外一致の学問たり。

問ふ:先儒(程朱)には、この心が静かなるを體となし、心の動くをようとなせり。いかゞやと。王子曰く、心は動静をもて體用を區別することはできぬ。

動静とは、その遭ふ所の時を指すのじゃ。元来この心は霊昭不眛なるが體にて、萬事に應ずるが用なれば體につきて言へば、用は自ずから體の中にあり用につきて言へばみるべく、體は自ずから用の中にありて決して二つのものではない。

これを體用一源(一つの源)云うのじゃ。さればこの心の静かなるのはその體をみるべく、この心の動くのは、その用を見るべしと説かば、却りて妨げなかりきなり。

問ふ;道は一つにして、多岐なるものにてはなきやうに心得るに、古人がこの道を論ぜしこと往々同じざからる處あり。

堯舜は惟精惟一と云ひ、孔子は仁と云ひ、孟子は仁義と云ひ、程朱は居敬窮理と云ひ、陸子は実理と云ふの類なり。したがひて後人の説も區々なるが、我々が道を求むるには、こゝと取り留めたる要處のあるものにやと。

王子曰く:道とは左様にこゝが方所(をり處)じゃから云うふ形體(なり・かたち)じゃなど(をりまもる)すべきものではない。

それ故、古人の誰がかくかく云ひたとて、文義(文字の解釋)の上に拘滯(かゝはりなづむ)するときは、道を求むることはできぬ。

試みに思へ、如今の人道を説くにたゞ天と云へど、その実は天を知らぬのじゃ。既に云へる如く、道には方體のなきものなれば、日月・風雷をさして天と云ふも不可、かく云ふものゝ又人間。畜類、草木はこれ天にあらずと云ふも不可じゃ。

要するに道と云へば、取りも直さず是れ天なればれ、もし道即ちこれ天なりとの眞を知り得るときは適くとして、見るとして道でなきものはなく。(古人道を説くに種々品をかへて説けるも、帰着する處は一なるを云ふ)

然るに、人には銘々一隅の見(ひとすみにかたよる見解なり、揚子の学問爲我とか兼愛とか立つることや、又慈悲深き性質のものは、慈悲のみを道と心得、義に堅き性質のものは倖直をのみ道と心得る如き、みなその一隅にかたよりて、あとの三隅を知らざる故、道に背きて一概になるのみ)

その見解もて、道はかくの如くであると設定する故に、古人の説ける處が往々異洞あるやうにももうのじゃ。もし上記等の偏見を去りて、これを自己の心體にたづね求めて実徳するときは、時となく處なく道でなきものはない。

この道は古に亘り今に亘り、又誰が始めたのいつの世に終るのと云ふこともなく、実に古今萬世に達して、かはらぬものである。

抑々、この心は取りも直さず道にして、道は取りも直さず天じゃ。上の次第なるが故に自己に実體し、この心を明め得る時は、即ち是れ道を知り又天を知りたるのである。

又曰く、諸君が実にこの道を見むと要められなば、須らく自己の心上に體認して、一切外に假り求むることをせずば、始めて道が得らるゝとなす。

然るに、道と云ふ中にも異端あり。これ又差別せざるべからず。楊・墨の為兼愛や老・佛・邪の虚無博愛や、我が儒眼より宥るときは、みなこれ道の一辺にかたよる物とす。

何となれば、かの楊・佛・邪を問わずその時に臨んで、為我兼愛すべくばよろしくこれ正道なり。然るを、彼らは人倫日用のことを後にして、只管一辺に執着す。

これ異端たり、而も我が儒は人事に稽へ天道に微し以て、大中至正を期す。これ萬世弊なき所以なり。

大塩中斎曰く:薫子曰ふ道の大原天より出ずと。それ道は性命なり、性命は則ち分寸の心に存して、その原は天の太虚にあり。故に学びて天の太虚に帰するは、これ聖学の極功なりと。

又曰く、人心の太虚に帰するは、只これ慎独克己よりして入る、若し慎独克己より入らざる者は、禅学の虚妄たるに同じ。

所謂、毫釐を差ふときは、千里の謬を生ぜん。心学者動もすればこれを誤ることあり。戒めざるべからずと。

そも道の全體は、聖人も亦人に語りがたかりしことなれば、こは学者がよく考えねばならぬ。さらに自ら脩め自ら悟るより外はない。

天下の中にすぐるゝ聖人は、よく耳とく 目あきらかに 知ありてさとしきゝと云ふこと、即ち聖人の大徳を
稱したる也。

しかし、この聡明叡智はもとこれ人々におのづとあるべきものにして、耳はもとこれ水聴・目はおとこれ明・心思はもと是れ叡智なるものじゃ。

然るに聖人は、只専一にこれを能くし玉ふのにて、その能くし玉ふのが、取りも直さず良知の働きじゃ。然るに衆人のそを能くせぬのは、只この知(良知なり)をば致さぬ故にて、この良知を致すと致さぬとによりて、聖凡の差別のつくのである。

こは、何等の明白簡易なる学問ぞやと。この條は、陽明子がさきに中庸の惟天下至聖云々の章を読みける時は、聖学は実に玄妙にして容易に手の届かぬやう思惟せるのみ。

後日、この良知の学を手に入るゝに及びて、さきの玄妙と思ひしこともたやすくして、意外なリことを證せし也。聖凡の差別は、たゞこの学に手をつくると否との如何にあるのみ。

この良知は、取りも直さず天より植付けられし、霊根(ふしぎな、よき根かぶ)にして、おのづと生々してやまじ。しかるに人は良知に私累(わたくし、わづらい)を著けえる。

あたら、この霊根を伐賊蔽塞(ころしたり、そこなふたり、又おほひふさぐ)して発生する事を得ざらしむるのであると。こは良知は天賦の自然にして、外より假り来れるものに非ざる事を證言せしなり。

貴所等学問するに、只この良知を培養し去る事が肝要じゃ。その良知が同じくば、たとひその説く所に異處があるも一切防ばはない。要するに、百家各々その説を異にするとも、良知出づればそれが即ち、聖人の学成りと知るべし。

この道は、知らぬ前は本と知り難きものなれど、知り来たらば目の当たりありふれたることにして、別にこれぞ知るということはなし。

又、道を覚らぬ内は、何か深遠にして覚るべきことあるやうなれど、覚り来たらば別にこれぞ覚ると云ふことはなし。されど知覚せずしてよきやと云ふに左にあらず。

知らずに道理が沈み埋れてあらはれずとなり、こは良知の働きは初め奇特なるものゝやうに思ふなれど、これに着手せばありふれたるものにして、別にこれぞ奇特と云ふことのなきを證せるなり。良知の眞相実に此処にありと知るべし。

それ人、巳に此の世に生れ出でゝ追々生長すると共に、喜 怒 哀 楽 懼 愛 悪 欲 七情と云ふがまとは張り付きて来る。

この七情を、いかにして拾當ならしむべきやと云ふに他なし。良知の指図に従ひて、一遍に著わせざる工夫を肝要となす。そも日はたとへば良知の実體にしてその光は即ち用なり。

陽明子の学術は、巳に道體に於て諭ぜし如く、致良知の三字を以て目的とす。而してそのこれを着手するには、実に古本大学に掲げある、格物致知の工夫を以てするに在り。

而るに宋儒は、格物致知の知識を押し極めて、博く時々物々の理を研究することゝなし、而して陽明子は良知を致し極めて、その意念にうつる所の事物を正すことに見たり。

学者物致知を誠意の工夫となしき、これ学術上動もすれば豪釐千里差ある所なれば、学者須らく審檡せざるべからず。

さて陽明子の格致の説は、譬へば我が身を修めんと欲するには、まづ一身主宰なる歪みあるや否を審にし、歪みあればこれを正さゞるべからず。

これを正さんとするには、刻下己が意年の着く所のものによりて、その正しきを得るや否を詮索吟味し、つとめて善をなして悪を去ることを要す。

かくするには、己が霊覚なる良知をいたし、極めてその物を格さるべからず。その物己に正しければ、意も随ひて誠に心亦歪みなくして、身直ちに修まる也。

畢竟、格物の物と指せるは、己が意念に感應する所の千差万物の事物なり。譬へば親に孝をし君に忠をするを始とし、国家及び個人の公私務に従事するなど、すべて己が地位境遇より起れる意念の着く所は皆物なり。

されば、格物は吾人が端的力を用ふべき地にして、この格物かすまば誠意もすみ、正心もすみ修身も随ひてすむなり。身 心 意 知 物 修 正 誠 致 格、其の目は異なれど工夫は皆同時の事とす。

孝は、人道の根本なるを以ての故なり。されば君に忠に友に信じ、民に仁なるより、その他百般事物みなこれによりて推窮せらるべし。

総じて、天下百般の事物はこの所謂仁欲を去りて、天理に純なるてふ良知の本原より割り出せるに非ずして、漫に外物にほだされての仕事は、如何程形式が整ふも注文が立派でも、その跡から尻が抜けてふしだらのことなるは敢て怪しむに足らず。中庸に所謂不誠無物とはこれなり。

この心は身の主宰なれば、目が視るといへど、その視る所以は心じゃ。耳は聴くとはいへど、聴く所以は心じゃ。口と四肢とは言ひ且つ動くといへど、その言ひ且つ動く所以は心じゃ。

それ故に身を脩めんと欲したならば、まづ自家の身體を體當して、常に廓然大公(からりと、ほがらかにこの上もなきおはやけ)些子の正からざる處なからしむるようにせねばならぬ。

上述の主宰が一たび正しくば、竅を目に發しておのづと非禮のもの視るなく、竅を耳に發しておのづと非禮のも聴くなく、竅を口にし四肢とに發しておのづと非禮の言動なからん。されば、身を脩むることは、その心を正しくするに基づくのじゃ。

。が人を教ふるに、致良知をば常に上にありて功を用ひしむ。己は根本的有の学問にて日一日と長進し、愈々久しくして愈々その学の精明なるをお覚ゆべし。

然るに世の儒者人を教ふるに、事々物々の上に尋討し去りて、つまり根本的無の学問たり。然るが故にその壮なる時に方りては、暫らく能く外面をば脩飾して過ちを見ず。

老いたるときは、精神が衰邁して終りには放倒すべし。譬へば根なき樹をば水辺にうつし栽うるが如し。暫時は鮮好なりと雖、終に久しき間には憔悴せんのみと。

聖人の心は明鏡の如きも、常人の心は曇り昏き鏡の如きものである。近世に於ける格物説は、たゞに鏡を以て物を照らさんとて、照らす上ににみ功を用ふるも、鏡の中尚ほ曇りて昏きものあるを知らない。

斯かる、曇りて昏き處ある鏡が、何として能く物を照らすことが出来やうや。而るに王子の格物を教へ玉ふは鏡を磨きて明かならしむるが如く、磨く上に功を用ふるのじゃ。

而も明了になればとて、それにて已むのではない。明了になればなる程、物を照らすことを廢しないのである。―――――

こは、世儒が格物の弊を挙げたるなり。つまり世儒の仕方はその心外に馳せて、これを内に求むることにおろそかなり。

王子の仕方は、先ず己が心地に着手して後物に当たるが故に、事々親切着実になるなり。明鏡昏鏡の論説きえて明快なり。

問ふ:学問をするに、此の心の涵養をのみ専らにして、広く事物の講求を務めざるときは、或は私欲をも認めて理となすやも計られず、如何せば可べきやと。

王子曰く;人は須らく学問と云ふ真義を知るが肝要じゃ。書籍などにつき義理を講求するも、つまり涵養のことをするのじゃ。さればその講求を忽せにするのは、涵養の志の切実ならぬのである。

この涵養講求の差別は、朱王二子格致説の異同と同じく、常に聚訟の種となる所なり。されど真切篤実にこの良知を致さば、何ぞ涵養たのみ専らとして講求を忽せにする理ならんや。

然るに、世間往々王学をば専ら涵養を事とせるよう思へるは大いなる謬あり。何となればこの涵養と云ふこと雑作なく出来べきことにあらず。

その涵養するには、自ずと博くこれを書冊上聖賢の遺訓に稽へ、、又これを父兄師友に質しなどして、その義理を講求せざるべからず。

只、それ実體上志の切なるよりして此処に至れると。徒にこれを外に求むることの差別あるのみ。朱子の格物も、その意図より内外を殊にするにはあらざれど、、教への立て方の結果、終には支離決裂の弊に陥るを免れず、戒むべきなり。

理を窮めて専一なる處より説かば、これを敬に居ると云ひ、敬に居て精密なる處より説かば、これを理を窮むと謂ふのじゃ。

かの、易に敬以て内の心を直くし、義以て外の行を方にすと云へる如きは、敬はこれ事なきの義、義はこれ事ある時の敬、両句一件を合説せるにして二字あらず。

かの、大学格致の義を程朱は、博く事物の理を窮むる事と為したるが故に、その心が他に散乱すの憂いあるよりして、一方には敬の工夫をなした。

又、一方には事々物々を窮理する事にして、抜け目なき方法と謂ふべし。されど、その二つにする處に学弊ありて知行バラ~になるなり省みざるべからず。

学問するものは、先ず此の鏡(即ち心なり)を明らかにするの工夫が肝要じゃ。只此の心の明らかなること能はざるを心配するがよい。事変に處する道の盡きると否とは心配するに及ばぬと。

童子より聖人に至るまで、皆此れ等の工夫に外ならじ。只聖人の格物は、更に些子を熟し得て力を費やす必要のなきまでじゃ。

かくの如くに物を格しなば、柴売る賤が男も亦これ倣し得ることじゃ。公卿大夫より天子に至ると雖も、皆是れかくの如くなすより外なかりき、と。

全體聖学、かの佛家の所謂一超入来地の頓悟を学ぶ事とは違ひ、次第~に進むことが肝要なれば、起きつ転びうして、進みたり退きたりする事これ学問の瀬渡りなり。

この瀬渡りして後、自得するを得べし。されば、その人確乎不抜の志なくば叶わぬなり。思ふべきのみ。

聞く昔し程明道、16、7の頃より田獵を好みけるが、甞てみづから謂へりき、今日はこの好みなしと。その時、師の周茂叔が曰へるよう、貴所には何とてもの言ひ玉ふことの易きや。

思ふに貴所が、田狩を好み玉ふ心はわづかに潜み隠れて發らぬのじゃ。もし一日その心が萌動せば、またもとの如けんのみと。

後十二年立ちて明道、田野間をゆきけるに田狩する者を見て、覚えず喜心起りければ、心学の尚ほ未熟なるを悟れりとぞ。

それ、周子この学に功を用ふること深し。故に容易く言ふべからざるを知る。程子はこの学に心を用ふること周密なり。故によくそのをる處にしたがひて省察しぬ、古人この道に心を用ひしこと想ふべし。

学者の資質に、生知安行と学知利行と困知便行との種別あれば、その人の力量資質に奮便従事せざるべからざるを戒めたり。

尤も、この良知の働きには聖賢と衆人との區別あるにあらず、只賢人以下は特に色々と思慮考案を要すべきも、聖人はこの良知をたのみて、すらすらでくるにすぎじ。

されどその心は、敢てみづから是とせずして、常に困司教知勉行的の功夫をなし玉ひぬ。そは、書経や詩経の中に堯舜文王の業々の兢々翼々などの語、又論語に夫子自ら聖なりとせずして、却て困勉憤發し玉ふことなど所々に見えたるにても知るを得べし。

朱晦庵曰く、聖人は敏低の質を以て鈍低のことをなし玉ひぬ。然るを常人は卻て鈍底の質以て敏底のことをなしにき云々と、学者省察すべし。

只、致知のみを云ひて、格物を云わざるは真の致知は、別に格物を云はざるも、格物おのづとその中にありと知るべし。

陽明子龍場遷謫後、滁州と云ふ所にありし時、諸生が多くは知解口耳つとめけるにより、これに静坐を教へて一時の近效を求めしに、その弊或は高上の一辺にかたよりて枯槁に入れる病ありたりき。

然るに、こゝに致良知の發明ありて、学者始めてその弊を免るゝを得たり。これを陽明子学問見識一定の時期となす。学者須らく注意せざるべからず。

致良知の学は、言語や文字などの詮議にて埒明くものにあらざれば、この良知を信じ邁往奮進して、実地の功を用ふべきこと戒めたるなり。禅家塵尾の喩味ふべし。

善念の發したる時、その善念なることを明かに知りて、益々これを充てしめ、悪念が發したる時その悪念たることを明かに知りてこれを禁しとゞむべき。

その、是を充つると禁じ止るとは、必意その人の志にして、、即ちこれが天の聡明じゃ。聖人は只此の聡明を自然に備うるも、学者は努めて之をの存して失はぬようにすべしとなり。

己が私欲(財貨 女色 功名 利達の類より視 聴 言 動に發するすべての非禮を云ふ)を(掃除廓清(はらいののぞけ、ほがらかにきよめる)して、一毫も存ぜざるやうにして始めて良しとす。

もし、一豪の私欲の存せることあるときは、衆悪がそれを頼りとして、引き連れ~出でくるとなり。こは悪を去るは須らく掃除廓清するを要すべき戒めたり。

益し、私欲の生ずること方所なく、又間断あることなし。故に常に省察克治の功を加へざれば、衆悪源々として来りて、復いかんともすべからざるに到らん。瞬時も油断すべからざるはこの心なりけり。

佐藤一斎曰く:善無く悪無き是れ心之體とは、此の心體は霊昭明覚にして、善悪の指名すべきものなく、所謂至善なるものなり。

善有り悪有る是れ意之動とは、是れ意之動とは、意は本體よりして動くものあり、過不及より動くものあり、本體より動くものを善となし、過不及より動くものを悪となす。

所謂、人心惟危とはこれなり。善を知り悪を知る是良知とは、孰れが本體の善にして孰れが過不及の悪たることは、我が心の霊が自ら之を知ると云ふ。

即ち所謂、霊昭明覚なるものなり。善を為し悪を去る是格物との善なるものは之を為し、物の悪なるものゝこれを去る。これも亦霊昭明覚なるものゝ為す所なり。

右の四つのものは、本と大学の心、意・知・物を釋きて言簡切明白、学者をして受用し易からしむ云々、と。

常にこの善念を存しおきて後、善を為し悪を去る工夫をなすべきやとの質疑に、かくてはこの心を内外に見るなり。

要するに、この善念が存せばそれが即ち天理にして、更に善悪の取捨すべきものにあらず。只この善念を長立せば可なり

すべて凡人の常として、初めは忘念空想入り交じり~来りて、間断のなきこと奔流の濁水の如し。、たとへ汲み取りてこれを缸裏入るゝも、容易に澄むべきにあらず。

宜しく良知上に着手し、功を用ふると久しくしておのづと澄治の功を奏すべし。これを急にせば却って病を生せん。そも初学の時は、かれやこれやと着想するはあり。

うちのことなればその着想に拘はず、一意良知を致し去るがこれ実学なり。しかも些かに功夫を下し得て、これが効験を説くは即ちあしゝ深く誡めめざるべからず。

蓋し、平生の念慮或は邪妄に渉り、或は天下の事を料理するなどの妄念に駆られて制止難き時は、他の事をば捻り出して前の念慮を忘れるなど、未だ致知の功の手に入らざる時の趣を述べ立てゝ、この学の工夫に心を砕ける状想ふべし。

又、邪念、繾妄想の井々として味あり、繾綣として斥け難し云々。又これ初学者の必ず免れざる所なれば、須らく致知の工夫をもてその病を痛絶すべきなり。

蓋し、我々が此良知の工夫するに、絶えず接続せむと欲すれど、実地事物の感應する時には、かへりて内忘れ又実地の上に周旋する時は、何かの忙しさに紛れて、この良知を見失うやうになるなど、これ我々が日間往々免れざる良知の途切れ目なり。

この途切れ目で来るのは、良知を認め得ることの真切ならざるに由るかの顔子の三月仁に違わずとて、たまには違うことのあるべきを意味せるも、この良知の途切れ目のことならんか。学者猛省せざるべからず。

学者身體上には、私念は固より好的念も拘着すべからざる事を述べたり。蓋し好的の念は心中に留滯するも妨げなきやう思はれる。

然し乍ら、たとへ好的の念も按排思索にわたるときは、つひに億逆将迎などの病となりて、つまり私意に陥入るなり。塵沙及び金玉屑の眼に入る喩、須らく玩味すべし。ばん佛

こは、学者の平生精神落ち着かづして、ざは~したるものを戒めたる也。蓋し天地この主宰をとりて萬物を発育し、人亦この本心の良知が常に内に主人公となりて万事を切り盛りすることを得るなり。

然るをこの主人公なきときは、かの雑念妄想常に懐に絶えざるべし。本文尋常意思の忙しきも、つまり雑念妄想に惹かるゝによる。

一旦、洞然了悟してその頭脳を領得し得ば、人事萬変の内に酬酢すと雖も、従容自在ならざる事無く、所謂動も亦静、静も亦動とは即ちこれなり。これ学者の心悟自得にあるのみ。

吾々は、常にこの心とりて見在せしむるが、即ちこれ学問じゃ。過去や未来の事を空想せるも何の益もなきことにて、徒に心を放つのみである。

こは、学者が過去未來のことなど妄想せる害を述べたり。蓋し思いとは学問上になかるべからざるは、言ふまでもなく、かの周公は仰ぎて思ひ夜以て日に継ぐ。

又、孔夫子の遠慮など固よりこれ過去未来に関せる事多かりなん。、されば過去未来のことを思ふも一概に放心と謂ふを得じ。たゞそれ私欲より起れる間思雑慮は、一息の間もこれを存するべからず。

良知より出づる思慮は、過去未来に通じて泣かるべからず。昔人の歌にさし當る言の葉のばかり思へ。只かへらぬ昔しらぬ行く末と亦この意を述べたるならん。

こは、身體上工夫を述べたり。蓋し吾々が平生この心の脩養を疏慢にし、時ありては存するが如く、時ありては亡するが如き常なきものありては、この心持方を常に心痛あるものゝ如くに、心を常にこゝに寄すること。

亦、一時救急の良方剤なりき、されど心は出入自在にして定まりきなきもの也。唯聖人はその出入自在なるに任せているもの也。

常に、義理の正しきを失はざるも、凡人の心は義に向ふか不義に向ふか、その方角は誠に不造なれど、切実の工夫を用ひざるべからず。

藤樹先生が常の言に、「人は體軀の中にある心と思ふな、心の中にある體軀と思へ」と書生に教へられしとぞ。面白き話なり、味ふべし。

諸子近ごろ面接する毎に、疑問の少なきは何ぞや。凡そ人平生功を用ふるに汲々たたらざるものは、その人自ら思減るならん。己れ巳に学問するとの大筋は知れり。

只、その知れる所を履み行へば是なりと、されど学問の道はかくの如く容易きものにあらず。我々が時々刻々私欲の起こる事は例へば地上の塵の如けん、一日も掃はざる時は弥が上に重ならん。

この私欲は、着実に克己の工夫を用ひなば見わくることでくるも、少しにても心にゆるみがある時は、見わくることができぬなり。

つまり道は、終窮と云ふことのなきものにて、愈々探り求むれば愈々深きものなれば、この道をして精白して一豪の徹底せざることなからしめて、まさに可ならんと。

―――――――こは、学者疑問の少なき事をなどとめたり。この病根はその人志を立ること真切ならざるによる。志真切ならざる時は、日間まゝ私欲起こるあるも此れを見遁して厳しく吟味せじ。

遂には、日一日と過ぎ行きて小人となりて終へんのみ。昔賢曰く、学者疑はざる處に於て疑あるときは、即ちこれ学の進みしなりと。疑問の学に功あるやかくの如し。

こは、学者が日々の修行に真切ならざるを誡めたり。そも、人或は仁を説き誠を説き至善を説くなど、たゞその光景を説くのみにて、如何して仁、如何して義、如何してこれ誠、これ至善と人倫日用の上に工夫をなさゞれば豪も益なきなり。

この虚明の光景をあげ、又は今昔の異同をあげたるが如き、この道に志なきものとは固より遑庭ありと雖も、つまり一時の間言語たるに過きじ。こは、吾々学者間に往々免れざる弊習なれば、痛く警誡せざるべからざる也。

今、人己に知りぬる天理も敢て存する事をせず、己に知りたる人欲も敢て去ることをせず。只これが天理これが人欲などとなどと間請(無駄な講求)するも何の益があらんや。

されば如何してよきやと云ふに、まづ刻下己が私欲に克ち得て、一点の私の克つべきなきを待ち、始めて前の所謂天理人欲ことごとく知ること能はず、と云ふことを心配するが良い。

克己とは何ぞや、即ち耳 目 口 鼻、四肢の私欲に克つことこれなり。この視聴言動上の非禮を防ぐはその心の作用にあり。

而も其の心は、即ち是れ性、即ち是れ天理にして、他より求むるものに非ず。故にこの心もと非禮なし、只人物欲に蔽はされてみづから知らず。

故に、学は克己の工夫を切要となす。、而してこの非禮の種類を弁別するは、実に己が良知にある也。聖門の学派は全くこゝにありと知るべし。文中軀殻的の巳と真己との弁別、学者須らく思ふべきなり。

こは学者、まづ最初に外好、俗に云ふもの好きを止めて、この道に進むべき事を述べたり。程明道が記誦詞章の学を以て、物を弄び志を喪ふとなしたるとその志同じ。

益し聖学をするもの、まづ真向に道に志さで、その他の物好きの学をなすときは、それが為に志を奪はれて何の用も為さざるなり。

かく云へばとて、日用の所作を軽めて只徳をのみ養ふにあらず、右にては佛の空寂に陥るを免れず。聖学は斯かる釋ににてはなく、只真向にこの志を立てゝ人事の酬酢す。即ちこれ儒学の工夫なり。

此れ、学者まづ頭脳を領得すべきことを述べたるにて、学問中千差萬別の道理も、此の頭脳即ち我が心の良知に反り求めて挌致の工夫をなさば、衆理栄然として我が眼前に集まるを見ん。

豈に、これ学問上の絶快ならずや。譬へば大月の天にありて河海行潦照さゞざるなきが如し。所謂一本萬殊道これなり。かの顔子喟然の歎會子一貫の了悟、みなこの頭脳を得るにあらざる。

物に善悪なきにあらず、たゞそれ己が心狂へばみな狂ふこと。たとへば靑黄色の眼鏡もて物を見れば物みな靑黄色なるが如し。たゞ己が蔽はるゝなくして真個の色見ゆるなり。

吾人が善悪を看ることは、軀殻より念を起すに、天理よりするによりて區別すべき事也。この軀殻より起る̪私念と本體上より起る正念との區別は、実にこの学の訣竅たり。

そもこの家問の草を去るにつきのて問答たる。天地生々の意より看るときは、花も草も元と善悪の異なることなし。而るに己が軀殻上の意の発動よりして、或は花を善とし草を悪とす。又或は草を善となし、花を悪となる場合もあるならん。

これは、所謂気に動かさあるものとす。而も本體に溯りてその象如何と求むれば、寂然不動、善もなく悪もなき絶対の至善にして、これを良知の本體と云ふ。

この本體よりいづる正念は、これ父母に發しては孝となり、君に發しては忠となり、兄弟朋友には友愛信義となりてあらはるなり。

而るに、我が軀殻上より發する意念は、常に顛倒錯乱して善が或は悪となり、悪が或は善となりて是非定まらず。所謂或る時は花を以て善となす。

又、或る時は草を以て善となすが如きは、皆これ軀殻上の好悪より發する也。等しくこれ草を去るに、甲は天地に公を得て、己は非僻に陥るなど克く~研究を要すべき事とす。

看よ、好色を好むが如く、悪臭を悪むが如くとは、亦意念より出づる好悪なり。然るにこれ誠意にして私意にあらざるは何ぞや。

他なし、本性の自然より来れる好悪なればなり。もしこれに一點の意思加はりて念捷好楽するときは、即ち心その正しきを得じ。

又本文に草既に悪にあらざれば、宜しく去るべからざるとの問ありて、王子はこれ佛老の意見なりと云へり。こは佛は我が儒と同じく、善無く悪無き即ち至善の域に帰するものなるも、彼れは善なく悪なき上に著在す。

我が儒はこれを心性に本づけ、これを人倫に徴し所謂内聖外王の学なれば、一偏に著在するの弊なく、所謂好みをなし悪みをなすなくして、好悪一に理に循ふなり。

即ち、この心身を人情事変の間にをきて、致良知の工夫を油断せざるにあるなり。察せざるべからず。

人に学問を教ふるには、一偏をとり守る事はならぬ。総じて初学の時はその心が猿の如く騒がしく、又意念が物に触れて馳せ出づること馬の如くありて、その思慮することは、多く人欲に片寄るものじゃ。

故に、所心の者はしばらく静坐して、思慮を止めやむることを教へよ。右の如くしてその者の心意さらに定まるを待つが良い。

初学の時は、須らくこの私欲を省察克治することを思ふべし。即ちこれ誠を思ふのじゃ、左の如く只これ一箇の天理を思ひて、その天理が純然たるを得るに至る時は、即ちこれかの何思何慮てふ自然の地に到るのである。

この條は、前の善を為し悪を去るにつきては、まづ色貨名の三毒を除去すべきことを述べたり。さて我々が私欲てふこと詮し来たるときは、千差萬別にわかるべきもその尤も心身に害毒を与ふるは、この色貨名を好む事これなり。

尤も、人は天地の一大元気を得て生まる。気あればこゝに欲あり。人類生活に必需なる衣服・飲食・居住など敢て缺くべきにあらざるも、これを好む事あれば一辺に偏してその正しきを得じ、私欲即ちこれなり。

さればこの学に従事する者は、仮初めにもこれを好むことある時はその心僻し、その気萎えて復た起つこと能はざるに至らん。これ首としてこの三者除去せんことを学者に望む所以なり。

這の色貨名の根を掃除廓清するのは、これ我が人を醫する方子にして、真に能く人の病根を去り得、而も吾人は更に大本事があるが、それ等のことに数十年過ぎ了りて後も、またこの功夫が必要なのじゃ。

こは、聲色貨利の間に處する方法を述べたり。この聲色貨利などは孟子も色食は天性なりとまでの玉ひて、人生に断たるべきものにこれなく、これを断たんとするは禅定の見たり。

さればつまり、この良知の處断に委せざるべからず。即ち十分にこれを掃除廓清して、毫も留積せしむる事なかりけり。

適~来れるも順ひてこれに應じ、而もそれにひかかざるゝことなきのみ。文中良知たゞ聲色貨利中に在りて工を用ふ云々深く味ふべし。

佐藤一斎氏曰く、苟も能く良知を致すときは、好悪その正しきを得て、是非その當を失はじ。故に聲色貨利に遇ふも順應するありて誘累せらるゝことなし。

古人が外物累をなすと云へるも、外物亦天地間の物なれば、何ぞよく累をなさん。たゞ己れみづから累ふのみと至言と謂ふべし。

この、聲色などを退けて功を用ひむとするは死敬のみ。学者須らくこの繁華熱鬧のなかにて、恢々乎として良知の働き如何を験むべきのみ。必ずしも腐儒死敬の相に倣ふことなくして可なり。

間思雑慮とは、余計な混雑したら思慮の起こる事にて、妄念妄想の正念にあらざるものを云ふ。尤もこの間思雜慮を掃除すと云はゞ、人或は思慮を断絶して、佛者の空寂枯槁を守れるやうに誤れるもあらん。

なれど、決して左にあらず、思慮はこれ心の用なり。大学にも慮りて後得とあり。又論語にも遠き慮なきときは、近き憂ありとの玉ひ、孟子にも心の官は思ふ。

思はざれば得ずとありて、我が良心より出ずる思慮は正なり公なり。間雑の思慮は邪なり私なり。所謂毫釐釐
の差よりして、千里の謬を生ずべければ、よく~注意すべし。

こは学問は、たゞ色貨名の三毒を除却するに止まらず、この死生の年頭をも忘却せざるべからざる。この死生關を超脱して安心立命の地を得ること。

これ吾人畢生の学問にして、此処に至りて初めての本分を全くせるものと謂ふべし。尤もこの死生の關を超脱すること、佛耶の教など他力をたのみでするのは、愚不肖の尚ほ且つこれをよくせん。

而も、天道性命の理を悟了して、此処に到れること豪傑の士も難しとする所、吾人奮励一番せざるベけんや。

凡そ学者が、学問に志を立て功を用ふるのは、譬へば樹を種るが如きものである。その根の芽を出せるときは猶ほ幹はない。その幹あるに及びても尚ほ枝はない。

その枝ありて後に葉があり、葉がありて後に花や實が咲くのじゃ。されば初めて根を種うる時は、ひたすら栽培灌漑従事し、枝の出づる想や、葉の出づる想や、花の咲く想や、實の着く想を作すなかれ。

はるかに先き~の事を想ふも、何んのん益も無きことじゃ。只常に栽培の功を忘れずして、他日或は枝葉花實の全からざらんことを憂惧せよと。
えざるう
この條は、学問をするには必ずその本原上より着手することを述べたり。本原とは何ぞや、他なし心性の中和を養ふことこれなり。

益本原よりせずして、徒に外に馳せて知識を求むるは、譬へば本なき溝渠の水の如く、一時降雨にて水満つとも立ち所に涸れむ。

故に、その学の大成を欲せば、かの源泉の本ある如く、先づ心性の本源より涵育せば、漸々進みて四海にまで至るを得べけんと。

元々、人はこれ一小天地にして、その性情の中和を得ると得ざるをによりて、天地萬物の位育せると否とにも千繋せるものなり。

人々、自ら重んぜざるべからず、且やその此処に至るには、喜怒哀楽未發の中の気象ありて、已發の和となりて現る。而もその方は實に戒慎恐懼の功夫にあるなり。

この人情に過不及あるをすくひ矯めて、中和に帰せしむるは、即ちこれ聖学の極功にして、中庸の一部亦この功夫を誨ふるに外ならず。

佐藤一斎氏曰く、看来るときは宇宙間のこと何ぞ甞て悪あらん。過不及のあるところが即ちこれ悪なり。看来るときは宇宙間の曷ぞ甞て善あらむ。過不及のなき處が即ちこれ善なりと。

人の喜怒哀楽の情は、これ自然性より出づるものにて、その本體は自ずからこれ中和的なものである。然るに己が形軀の為に累はされて、些しばかりの意思をつくるときは、その發して社会百般の事に現るゝ喜怒哀楽の情が過ぐるとか、或は及ばぬとかにて偏頗を生ぜん。それが即ち私なりと。

象山の言へる如く、人情事変上にありて学問の工夫するが肝要じゃ。もしも人情事変を除了すとせば、学門上何も事なきことになる。

すべて人には、喜・怒・哀・楽・等の情がありて、この情の中を得ると否とによりて、人の正邪も世の混乱も世の治乱も判るゝことになるが、この七情が取りも直さず人情にあらずや。

又、吾々の目に視耳に聴き口で言ひ、身で動く諸々の振舞より、かの富貴や貧賤や患難死生に至るまでこれ事変じゃ。さてその事変と云ふも亦たゞ人情の裏にありて外にあるのではない。

されば、この人情の裏にて事変を措辨せんとするには、その要はたゞ己れの喜怒哀楽の情の中和を致す事が肝要じゃ。その中和を致さんには、別の工夫はなく謹独を要するにありと。

元来聖人といふものは、人欲浄盡して天理に純一なるものを云へりして、たとへば此処に若干の金ありて、その分量に大小軽重の不同あるが如く、その人才力には等差ありと雖、その聖たるに於ては同じきのみ。

然るを、今聖人たらんことを欲して博聞多識もてこれを外を逐ふは、たとへば幾多混合の礦物をたゞらの中へ投じ入れて、一大純金を熔鑄せんと望むが如し。

何の詮もなきことにて、いたずらに力を愒し精を弊すに止まるに過ぎずとて、この学を成就して聖人になるにつきての一大断案を下したり。この学に志す者こゝに猛省せざるべからず。

陽明子の学術は、その帰着する所は所謂知行合一に外ならず。知行合一とは陽明子が後儒徒らに知識を先にし、実行を後にし、知と行と常に相背馳せるを以ての故に、特に此の四字を挙げて世の昧夢を醒さんとしたるなり。

これ又、龍場遷謫後の言にかゝる。全體古人の学門は、固より知行相一致せしこと、その遺経の證する所にて明白なれば、特に汲々するを要せざるべからず。

聖道湮晦して、学問はたゞ知識や才芸の一偏に墜ち、その弊牢乎として抜くべからず。陽明子末世に生れてその況痼を医せんことを図り、その対症の方を按ず亦力めたりと謂ふべし。

そのこの学問とは、元と是れ人の人たる所以の道を学べるが為にして、智識見をのみ専らとすべきにあらざることは勿論のみ。

故に陽明子曾て曰へりき、知是行的主意、行是知的功夫、知是行之始、行是知之成と。而して又曰へりき、若し若し我が宗旨を知り得る時は、知行両箇説くも防げず。

若し宗旨を會せずば、たとひ知行一箇と説くも甚事を斉し得んと、その意の在る處知るべし。

さてこの知行合一のこと、近時往々世の学者の口頭に上れる字面にして、或はこれを西哲ソクラテスが智徳合一説に配合せるものあり。

又、知と云うふことを普通の常識などに見て、知行合一の行はれ難きを疑へる徒あるけれど、こは学問上東西異同の根源を審にせずして、漫にこれを混同視、且つ陽明子の所謂宗旨てふものを明めざる過ちなり。

何となれば、前にも既に諭ぜし如く、吾が東洋の道学は天道に基づき、道を教ふる実践的学問にして、いたずらに研究的に属せるものに非ず。

即ち知行合一は、この人道の何者たるを知り且つ行ふなり。換言せば、人道をこの知行合一説によりて、着實明了ならしめんとするなり。

全體学問は、世間雑多の出来事の上にて錬磨の功夫を倣して、始めて益あるべし。もしひたすら静を好むのみては、何か出来事に遇ふ時はかへりて心が乱れるなり。

学問も、終に長進せざるのみかは、その静時の功夫もまた差ひ謬りて、外容は収斂せるに似て、その實は方溺するのである。

こは、静坐して念慮を屏息せんことを求めて、愈々念慮の紛擾せるを憂ふ云々。これ殊更静坐収斂を求むる病より生ず。

故に陽明子曰へりき、只是正要と尋て有念無時一や云々、これ心に動時静時の差別なきを辨ぜるに坐す。よりて周子の主静、程明道が静亦定動亦定の義もてこれを辨明しぬ。又戒懼の念、是活發々地云々、学問の眞訣實はこゝに在りと知るべし。

問:静かにして住みけるときは、我が意思の好きことを覚ゆるも、才に人事に接はるときは、その意思がかへりて静時同じく参らぬが、こは如何にやと。

王子曰く:それは、吾子が徒に静に心身を養ふことを知りて、この学問上に肝要なる克己の工夫を用ひぬ故である。かくの如くは、事ある時に臨みては、折角の静養も皆傾倒してそもう。

須らく、人事の複雑せる上に於て心身を脩錬せよ。かくするときはこの心身が立ち得住よりて、静時にもよく定まり、動時によりて態を異にせる如きことはなかりきとなり。

此れ又、動静工夫を異にすべからざることを述べたり。益し静養のみして、心身の妨げをなせる私欲の念を抜くべき克己の工夫をせぬときは、僅かに事に遇うひて迷倒せん。

譬へば持病持ちの人が、平生その病気はをこらぬも、病根ある故にんぞの時發する如く、到底その静時の趣を保つこと能ことはざるべし。故に、陽明子常に門人に悔ふるに事上の錬磨と云ふことを大切にせり。、誡めざるべからず。

この、中を求めやうとならば静時動時を問はず、常に克己の工夫が大切じゃ。即ち静時も念々人欲を去りて天理を存し、動時も念々人欲を去りて天理を存せよ。

その、寧静と寧静とに拘る譯はない。もしその寧静にのみたのみ靠らば、只漸くに静を喜び動を厭ふの弊あるのみならず、その間に許多の病痛が潜伏して、終には絶ち去ることできず、その病が事物に遇へば元のまゝ滋長して、仕方なきものじゃ。

只、理に循ふを主とするときは、己が心いづとて丁寧静ならぬ時はない。若し寧静を主とするときは、常に理に循ふことできずして、種々の病痛が絶えず滋長すべくとなり。

こは、寧静てふことをもて、未發の中と思惟せし謬を誡めたり。蓋し未發の中は、居敬もと慎独克己の工夫より来れるものにして、虚景空寂をたづぬるとはおのづと異なり。

陸澄には、常にこの空寂をたづぬる病あり。よりてこの訓あり、錢緒山曰く、已發を離れて未發を求めんとするも決して得べからず。

若しも、かくすること久しければ、一種枯寂の病を養い成し、虚景を認めて實得となし。知見を擬して性眞となさん。

故に、学者善悪の念頭を審らかにし、或はこれを未發の前に防き、或はこれを發するに臨む際に制し、或は既發の後に悔い改むべし。さらばみな實功なり。聖人の知を離、亦たゞこの工夫より入れるのみと、知言謂ふべし。

問う:この学の功夫をは、心上に於て體験する時は、明白なるを覚ゆれど、かへりて書籍を解して通ぜぬことあるは如何やと。

王子曰く:そは只、この心を解するのが肝要じゃ。心が明白になるときは、書上のこともおのづと融會せん。もしも心上が解通せずして、只書上の文義の通ぜんことをのみ要むる時は、かへりて意見と云ふものが生じてよろしからずとなり。

こも又書を読むには、自家の本體を明むべきことを述べたり。蓋しこの中三箇のひとあり、其の一は單に記誦をつとむるもの、其二は書中の意味を曉り得んとするもの、其の三は自家の本體を明ね得んとするものなり。而も天下何ぞ前者多くして、後者の寥々たるや。

此れ、人が文や詩をつくるが為に、精神をつかはるゝの害を誡めたるなり。尤も聖人も誠立辞修てふことありて、その意を達し思を述ぶるが為に、文字の稽古も必要ならざるにあらざる。

文字の功拙などに心を奪われて、毀誉名聞の為に役々たるが如きは、つひに心中に一物あるを免れじ。これ学者の心すべきことなりけり。

此れ学者が、動止上に教示すると直率に過ぐるとの病を云いりしなり。要するに外貌矜持にすぐるときは、快濶揚々の気象に乏しきなり。直率に過ぐるときは、粗野の風あるものなれば、須らく心身の修養併せ謀らんことこそ肝要なれ。

人生の大病は、たゞこの傲りの一字である。何となれば子となりて傲れば必ず不幸、臣となりて傲れば必ず不忠、父となりて傲れば必ず不茲、友となりて傲れば必ず不信たり。

人心は、本と是れ天然の理が精々明々として、殲介の染着することなく、只この無我のみ。京中切にこの我あるべからじ、あらばそれが傲じゃ。

古聖人許多の好處も只是れ無我じゃ。我がなくばみづからよく謙る。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁である。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2019-10-06 04:22:22

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