第二章 言志録(ロ、陽明学を共に学ぶ)

四 言 教

善なく悪無きは是心の体

善あり悪有るは是意の動

善を知り悪を知るは是良知

善を為し悪を去るは是格物

「世に或は、名誉を得るを以て目的にし、或は、高貴を以て目的とし、或は、幸福を得るを以て、或は又、快楽を得るを以て目的とし、甚だしきは、一事一業的たる又、之を目的に非ずと謂うべからざれども、猶ほ所謂一善を以て、名を成すの類たるを免れざるべし。」

陽明の作聖的立志説は、人生最大なる立志説にして、又最簡なるものと謂うべき也。才力大小を問わず、地位の高下を問わず、学問の深浅を論ぜず、只一心の天理に純にして、人欲の私を去ると否やに存るのみ。

一刻天理の心を存すれば、一刻聖人と為り、一時天理の心を存すれば、一時聖人と為り、三日天理の心を存すれば、三日聖人と為り、三年天理の心を存すれば、三年聖人と為る。

疑念透徹して遂に、誘惑に動かされざるに至っては、則ち終身聖境に在らん。是れ至簡易至易なる昨聖説にして、王学の簡易直裁なる特徴は真に此処に在る也。

若し従来諸家の如く、徒に聖人の高を説き、功夫の難を示して人をして、捕風提雲の難に終らしめば、遂に、進んで之を修るものなきに至らん。

嗚呼、心の良知之を聖と謂う。去私欲存天理は則ち是れ、聖境功心を以て百事を為さば、百事皆な善為らざるは無く、美為らざるは無し。

凡そ、人たる者(志士仁人)は、唯だ自己の天職を盡し、正道を履むを以て最終の目的と為すべし。決して最初より名誉、利益、幸福を希求せんが為に奔走すべからず。

「象山の禅に疑はざる々を弁して、禅は以って天下を治むべからざるを以て證と為せ。釈は個人的にして出世間的也。儒は社会的にして世間的也。故に其の養心の方法・目的の於いて相反するもの彼の如し」

「釈氏は、解脱を貴び執着を排すれども、其の実却って吾儒の通達に及ばざるものあり。」彼は、惴々焉として世界を逃避せんとすれども、我は却って之に処するに正道を以って累と為す事なし。

「釈氏は、此の世界を以て苦界と為し、生老病死の四苦を脱郤するを以て主眼とす。釈は、動を避けて静を求め、儒は、動中静あり静中動あり、動静合一なる事の別あるを示せり.釈氏は、坐禅を以て修為の功夫と為す。禅は蓋し静慮の梵音なり。」

「毫釐差處とは即ち、儒は動静一貫的にして、釋は動外救静的なるを謂へる也。姑らく静坐のみに就きて論ずるも亦、彼は虚寂を旨とし、我は存省を旨とするの差あり。

王子謂へらく、学は唯だ良知を致すを以て主眼とす。良知の光明昭々たらば、萬里自ら之に具わる。區々たる日常の事項は、豫め講習するに足らず。機に臨みて自ら為し得べきのみ。

王子謂へらく、良知を致して良知昭明なる時は、衆理具はり萬事出ず、衆物の精粗も表裏も知れざる事ある事なし。猶ほ明鏡のものを照する如し、学問の極功なり。

王子の講友、湛甘泉が王子の説は、読書講学を粗忽にする事を、、痛撃し、又た王子の門人等が屡日常の事項を、遺却する事無からんかを疑ひしは、実に王子の薬石と謂うべし。

後の王学者が、動もすれば野狐禅坐するに至るは、蓋し内観に溺るるの結果ならん。是れ吾人の深く注意すべき所也。

朱子学は、始終遠心的(即ち経験的)にして、陸王学は、求心的(即ち内省的)也。此の両方法は朱子学及び陸王学全体に、通ずるの特徴と為れり。

然れば朱子学は、読書を重んじて、理を究る事精密なるの益あれども、亦た迂遠となり、事功乏しきの弊あり。

陸王学は、実践を重んじ、事功を立てるに勇なるの益あれども、、亦た往々激越に先んじ常軌を逸するの弊あり。近く、維新前後の朱王両派の諸家に微するも、之を知る事を得べし。

初学者が途久し進修するには、或る程度までは寧ろ朱子経験説の、平易着実ににして手を下し、易きに従ふを可とすべし。之に反して、資性聡明にして急進頓悟を欲する者は、陸王学に依るを可とす。

是れ故に古今の陸王学者が、後進子弟を教育するには、往々此の順序をも用いたるものあり。我邦の王学者・吉村秋陽の如きは常に弟子に教ふるに、大抵朱子学を採り、陽明学に到りては、学者の篤信懇請にあらずんば敢えて妄りに講せず。

「謂へらく、陽明学は猶ほ利刀の如し、善く用ひずんば則ち手を傷けん」と、是れ真に教学の要旨を知れる者と謂うべし。

抑も学問・道徳「事功の三者は、或は能く一致する事あれども、或は一致せざる事なきに非ず。何となれば、古来或は学問を以てし、或は道徳を以てし、或は事功を以てして世に知られたる者あれども、又一人にして二者若しくは三者を備ふる者無しとせず。

而して、陽明は能く該三者を一身に備へ、且つ、三者一致を以て其の主義としたる者也。其の意に以為へらく学問の要は道徳を全うするにあり。

道徳の要は、之を百般の事務に施して功績を収るに在り。是れ則ち能く王学の簡易直裁にして、実践に適切なる所以也。

我が邦の王学は頗る美果を結び、其の特色として、一種の活動的事業家を出せり。藤樹の徳行・蕃山の経綸・執斉の霊化・中斉の献身的事業より維新諸豪傑の震天動地の偉業に至るまで、王学の賚を受けし。

我が邦の王学は凛呼たる一種の生気を帯び、懦夫も志を立て頑夫も廉なるの風あり。是れ我が国民が元来義烈にして現実的に傾き、実践的性質に富めるに由るべしと雖も、亦た陽明の豪邁不羈にして、義気憂憤に富めるの性質に感起せしもの多からん。

劉念臺ーーーは明末の忠臣なり、その学も亦心身の学にして、慎独を以て主旨と為す。抑も其の学統最初は、程朱学より入りたるが如くなれども、其帰は実に王学なりとす。

而して、王学の末流は多く高虚に馳せて事功少なかりしも、念臺に至ては学術と事功共に観るべきものあり。故に余輩は念臺を称して王学の中興と為す。

陽明学は、少数の学者及び志士によって、命脈を維持されたもので、中々顕著なる特色がある。その特色を簡単に云えば、純潔玉の如き動機を抱き、壮烈乾坤を貫く底の精神を有する事である。

それで此学派には、博学多識の学者を覔むれば割合に少ないけれども、高潔俊邁の君子人と実際家とは比較的多いのである。殊に中江藤樹の如きは古今稀なる人格者である。

東洋訓詁の学に耽りて、西洋の哲学に耳を掩ふものは、固より論ずるに足らぬ。要するに東西洋の哲学を打ちて一丸となして、更に、其上に出づる事が今日の業界の急務である。

維新以来、世の学者或は功利主義を唱道し、或は利己主義を主張し、其の結果の及ぶ所、或は遂に我国民的道徳心を破壊せんとす。

是れ固より、其学の徹底せざるに出ずと雖も、亦国家の元気を挫折し、風教の精髄を蠹毒するものならずんば非ず。功利主義の如き国家経済の主義として固より可なり。

但之れを、個人に関する唯一の道徳主義とするは不可なり。何となれば其場合には道徳は、他律的となりて毫も心徳を養成するに効なければ也。

蓋し、功利主義は人を私欲に導くの教えにして、我邦の従来神聖とする心徳を汚衊するもの也。功利主義は巧に考へ出されたる理論なれども、徳教としては取るに足らず。

又、彼の利己主義に到りては、真に有害無益の詭辯に過ぎざる也。然れども余は実に様々にて、功利主義若しくは利己主義を鼓吹し、我国民的道徳心を根柢より撲滅せんとする者在る也。

朱子学と陽明学とは、一長一短何れを其れとも定め難し。然れども朱子学は、能く博学多識の士を出だせども、動もすれば輙ち人をし固陋迂腐ならしむるの弊あり。

之に反して陽明学は、往々浅薄の訾を免れざれども、学者をして単刀直入・其正鵠を得しむるの一点到りては、確に朱子学に優れり。

誠に、徳川時代の儒教史を考察せよ。朱子学派の中時に偉人なきに在らざるも、固陋迂腐の人亦少しとせず。之に反して陽明学派は其人比較的に僅少なりと雖も、人物は割合に多く、真に、固陋迂腐と云うべき者殆んど之在らざるが如し。

即ち、中江藤樹の如き、三輪執斉の如き、中根東里の如き、春日潜庵の如き皆行為の見るべきものあり。又、熊澤蕃山の如き、大塩中斉の如き、佐久間象山、吉田松陰若しくは、西郷南洲の如き、皆事功の観るべきものあり。

苟も、姚江(王陽明)の学派に接したる者を見れば、其の人物の多き実に顕著なる事実なりと謂うべき也。果して然らば、陽明学の人物陶冶に功ある事決して疑いなき也。

「朱子は大儒と謂う者あらん、又賢なり、王子は文武の士と謂う者あらん、又賢なり。蓋し、朱子は文に広過ぎたるつい之あり、学者理学に近くして心法に遠し。」

[王子は、仁に過ぎ約に過ぎて、異学悟道の流に、似たる事あり。然れども二子の共に賢なる処は、天理を心として人欲を去り、一人の罪な機者を殺して、天下を得る事を為さざるは一なり。」

日本陽明学派の哲学


中江藤樹の学問は、専ら倫理を考究して之を実行するにあり。或は宇宙或は神霊に関するの説なきに非ずと雖も、畢竟之に由りて倫理を開明せんとするに外ならず。

倫理は、人類相互の用に存するものなれども、其の根底を確定せんが為に、或は宇宙或は神霊に論究せるもの也。之を要するに藤樹学問の範囲は倫理に限れり、即ち、倫理が唯一の学問也。

然るに藤樹は、天の神霊を信ずる事最も堅固にして、又心法を重んあるじ、操行を尚ひ実踐躬行の一方に、偏する事甚だしきが故に、其学問は、知的考察を主とする哲学に比するよりは、寧ろ、限定的信念を基とする宗教に比すべきが如し。

然れども、又彼が慎重なる態度を以て考察する結果、中善人が注意を惹くに足るもの少なしとせざる也。

我心は則ち太虚也、天地四海も我心中に在り。

然れども、良知は則ち上帝なるが故に上帝は我にあり。是故に若し自反慎独に依りて、我方寸の裏に於いて上帝を発見し、拡充して之と合一するを得ば、其大外なく、其小内になく、遂に天地の間に充実するを得るもの也。

天地を、萬民の大父母と為してみれば、我も人も人間の形在る程の者は皆兄弟、然る故に聖人四海を一家、中国を人と思召すとなり。吾と人との隔てを立て々、険しく恨み侮りぬるは、迷へる凡夫の心也。

各自の性本と善なるに、如何して君子・小人の別を生ずるか、其岐路は実に方寸の中に在り。凡そ人の世に処する敬無きは身を破る。故に見聞の及ぶ處に於いては、君子・小人共に敬あり。

唯、見聞の及ばざる處に於いて、自ら欺く者と独りを慎む者との別あり。其の自ら欺く者を小人と云ひ、其の独りを慎む者を君子と云ふ。

換言すれば敬は君子、人共に之あるも、只主意の向う所異なるを以て、君子の云ひ小人と云うなり。外に向かひて人の見聞する所を慎み、内心耻づるあるを秘してこれを行ふ、之を小人となす。君子は主意とする所内にあり。

天地神明を友として、人の見聞の及ばざる所、即ち一念独知の處の於いて戒懼す、是を愼独と云う。愼独は君子の域に入るの関門也。

是故に、君子小人共に敬はるなるも、唯外に向かふと内に向ふとの別あるに依りて、其品位を異にし其性格を別にするに至る。是故に、其岐路は実に方寸の中にあるを知るべき也。

藤樹の尚ぶ所は、徳性にして世間の名利にあらず。故に貧富貴賤の如きは、人の品位を規定すべきものに非ず。

上帝は世界の主人にして、良知は個体の主人也。然るに、個体の主人は世界の主人と同一躰にして、即ち最上の神霊也。是故に、藤樹の良知は仏教の如来と同一視するも不可なき也。是故に、藤樹は自ら良知を如来と稱せり。

良知は仁也、論語名解に曰く「孔門の学仁を以て宗とし、一貫を以て準則とす。仁は一貫の本体、一貫は仁の體段也」と、又曰く「徳愛を仁と名づく、万物一體の本心也と。」

又曰く「仁の本體凡心の外にあるにあらず、私欲に克ち去りて本體呈露すれば、凡心、即ち仁の本体也」と、煩悩即菩提の意を明言せり。茲に仁と云うは即ち良知の事に外ならざる也。

良知は、私欲の為に蔽はるる事はあるべきも、全く消滅し了はるものに非ず。

良知は、心にある聖人なるが故に、人皆方寸の中に聖人を有せり。若し能く良知を養ふて拡充するを得ば、即ち聖人となるを得べし。所謂聖人は良知を拡充して之と合一せるもの也。

藤樹は、悪の元素は良知の中にあるに非ず、とするもの也。果して然らば、悪は如何にして生起するや、悪の本源は那辺にありや。

吾人は、悪の由りて来る所を究明せざるべからず。藤樹は、意即ち意念を以って一切の悪の起因とせり。

大学考に「明徳を晦ます病症多端なりと雖も畢竟其病根は意也」と云いひ、又「意は萬欲百悪の淵源也、故に意ある時は明徳昏昧五事顛倒錯乱也。意なき時は明徳明敏五官命に従ひ、萬事中正通利也」と。

又、大学解に「学問の功惑を辨へて本體を立つるより外はなし。惑の根意の一病に極まれり」と云ふの類、皆人生のあらゆる悪は畢竟、意より生起するものなるを云ふ也。

藤樹の所謂意は、蓋し意欲也僅かに意欲あれば必ず執着する所あり。執着する所あれば必ず一方に偏して、茲に離隔拘泥の弊を生じて全く差別の偏見に陥り、百般の悪を来たすを免れず。

是れ疑うふからざる経験的事実也。藤樹此に見るあり、故に意を以って悪の本源とす。

夫れ意は、聖凡の分かる々處にして明暗の境也。聖人は己に意なし、意なき時は惑いなし、惑なければ教なし、教なければ聖賢の名なし。

是れ、太古神聖の至治の代と云ふ。心上の始なかりし、意と云ふもの生じてより人に惑有り。惑ありて後、病疾あり。世に治乱あり、教なく政なき事能はず。

意は不常往来の念也。無事の時は閒思となり、有事の時は淮慮となる。赤子の心に之無し。聖人の心に之無し。凡心には此意念而己にして、至成無息の性は無きの如く也。

気は、本と善ありて悪なきものなれども、身體あるが為に偏倚する所あるを免れず。換言すれば好悪する所あるを免れず。

此の如く好悪する所ある是れを意と云う。然らば何故に、此の如く好悪する所あるか、此の如く好悪する所あるは、蓋し我身の欲に執着する所あるより起る也。

人類は、此身あるが為に我態、又は我想に執着して我欲を生じ、物に就きて好悪を為す。是れ即ち意也即ち人心也。

意は、良知と両立し難きものにして、良知明らかなれば意は退きて跡を滅し、意起これば良知は為に蔽われて隠る。若し意にしてその勢力を逞しくせば、其弊や実に測るべからざるものあり。

心の邪正、意・知の両路にあり、心に意念の雑りあれば、本體昏昧にして身修まらず、良知に至る時は、心正しうして身修まる。

良知の誠に率はば総て其成す所は、私利私欲を目的とするに非ず。但し、良知に戻らざるの外、之れなければ意なく欲なし、と謂うべきもの也。

是故に、良知に率へば悪の崩すべき所なく、喜怒哀楽と雖も節度を失う事なく、能く中庸を得て善也。然れども若し計挍あれば、即ち企畫あれば是れ意也、是れ所謂人心也。

是れ人生に於ける、一切の悪の依りて起こる所也。小人は意欲ありて良知弊はるが故に百般の悪、随ひて生ずるを免れず。

然れども、良知全く滅し了るにあらず。故に自反慎独に依りて君子とならんと欲せず、能はざるにあらず。禽獣に到りては唯意あるのみ、欲あるのみ。彼の小人の如きは、自ら堕落して禽獣に近づくもの也。

如何なる人も、本と良知を具有せざるなきが故に、知識は我に在りて存する也。是れ故に知識は之れを外界に求むべきに非ずして、我にあるものを発達せしむべき也。

藤樹は、良知を以って世界解釈の根本原理として、良知に率ふを善とし、良知に違うを悪とし、一に良知を以って善悪の標準せり。

善悪の実體心上にありて事蹟あらず、一念良知に到るを善とし、一念道に離る々を悪とす。

神道大義に曰く「君子は己れ独り、知る所の思念の上に於いて慎む事をす。平生乃思う事、天地神明に訂して畏るべき事は思わず。」

「平生の成す事、人に知られ恥かしからんことはせず、誤りて悪念を生じ非が事があっても、心に明かなる神知ある故に、悟らずと云う事なし」

知れば則ち、思わず為さず、本の清浄神明の常に帰る也。凡夫は妄念と知っても、思ひ悪事と知りながらも為す。然れども心の神明既に知る故に匿す事をす。人々の心に天神一體の神明ありて善悪共に隠れなし、鏡に向かうが如し。

意を誠にし心を正しうすれば、聖賢の心即ち我心となり、我心即ち聖賢の心に違はず。

如何なる人も良知を有せざるなし、故に善悪は外界の事実に微して、確定するを須ひず、単に、我方寸の中に於て之を直観すべき也。即ち善悪を質すの師は、我れにありて存する也。

明師ありと雖も一念の微は知り難し、唯だ、我にありて善悪を知るの霊明を捧持する時は、師我にありて幽明の隔てなし。

然れども、世人動もすれば輙ち、我にあるの師を信ぜず、自ら欺きて意欲を成し遂げ遂に小人となる。「人と生まれたるものは、聖人凡夫共に天性に於いては変わりなし。

百悪の淵源は意なり、意なければ心の内情清朗にして些かの陰翳を留めず。良知の光煌々よして輝くべきも、意あれば良知蔽われて百悪生じ来る。

大学解に云く「意なき時は、功名利害毀誉得喪死生禍福一切の俗習順逆汚染する事能はず、意ある故に功名等の衆魔祟りを為す。」所謂萬欲意に生ずるの義なり。

藤樹は、意を絶滅せよ!と教へず唯だ意を誠にせよ!教ふ。「俄に此意を絶つべからず、徒に無くせんとしては無くならず、誠にするによりて無くなる也。」

此の言甚だ味あり、何となれば意は人の生命ある限りは、絶滅し得べきものにあらず。故に唯之を誠にするより外、之なければ也。

然らば、如何なる方法に依りて、意を誠にするを得べきか、意を誠にするの方法は唯だ致知格物にあるのみ。致知格物とは何ぞや?

致知格物とは、知に至り事を正うするを謂う。知に至るとは、意念の己私に克ちて當下不昧の良知に至るを謂ひ、事を正うすとは、貌言視聴思の五事を正うする事を謂ふ。

道は例えば水の如し、人は例えば魚の如くとなれば、本来道と人と一貫にして離れざるもの也。只、人意念の惑い依りて自ら離る々のみ。

故に惑ひて学ばざれば離る、学びて覚る時は吾心即ち道也。魚は水を得て生楽の自由自在を得、水を離るれば其の苦痛云うべからず、人の道に於けるも亦斯くの如し。

      たのしみも又くるしみもよそならず
            ただ一念のぢごくごくらく

志と云うは道に志すなり、初学の人道に志して未だ道を知らずと雖も、心志の向う所正しき故に邪悪の惑い鮮し。

学びて志を立つるは義理に志すなり、人の知らざるを以って義を破る事なきは、是れ学の初め也。

天地の間に己れ一人生きて有ると思うべし、天を師とし、神明を友とすれば、他人に頼る心なし。

己に志を立てたる以上は、如何なる事より始むべきか、先ず其の惑障を打破せざるべからず。蓋し、人類は私欲の為に惑障に蔽はれ居るが故に、良知の光明を見ず。

若し、其れ惑障を打破するを得ば、良知の再び天日の如く、光明を放ち来らん。

夫れ人間は、迷悟の二つに極まれり。迷う時は凡夫なり、悟る時は聖賢君子・佛菩薩なり。其の迷いと悟りとは一心にあり。

人欲深く無明の雲厚く心月の光幽かにして、暗の夜の如くなるを迷ひの心と謂うなり

学問修業の功積んで、人欲清く盡きて無明の雲晴れ、心月の雲晴れ心月の霊光明かに照らすを悟りの心と謂ふ。

是れ惑障さへ打破すれば、我れ即ち真悟となりて、當不不昧の良知と一体たるを得べきを謂う也。

惑障を打破せんには、自反慎獨を為さざるべからず。蓋し一切の倫理的行為は、自反慎獨を以って第一と成す。自反慎獨は、即ち聖人の境界に入るの関鍵也と謂うべし。

自己慎獨によりて、始めて當下不昧の良知と合一し、世界の本體と一体となる。即ち先天末晝沖漠無朕の境界に入りて、神明の安住するを得る也。一切の倫理的行為は、之を起発点として開始すべき也。ん

吾人徳を修する事を思わば、日々善をせん而己一善益す時は、一悪損す日々に善を為さば日々に悪退くべし。是れ陽長ずる時は陰生ずるの理也。久しく怠らずんば、善人とならざからん也。

名は実は声也、又善人は名あるべし。実あり名あり是れを徳と云わざらん也。人、利に入る者は義を無みす。我を貴ぶ者は利を卑しむ。天理人欲並び立たざるが故也。

小人は人の眼に善ならば為さんと思ひて小善は眼にも掛けず、君子は日々に為すべき小善を一つをも捨てず、大善も応ずれば是れを行なふ求めて為すに非ず。

夫れ大善は稀にして小善は日々に多し、大善は名に近し小善は徳に近し、大善は人争いて為さんとす。名を好むが故也、名に依りて為す時は大も小となる。君子は小善を積んで徳を為すもの也、真の大善は徳より大なるはなし、徳は善の渕源なり。

人の非を見るを以って己れ智ありと思へり、月満せざるものなし道に違ひて誉れを求め、義に背きて利を求め、士は媚びて手立てを以って禄を得んことを思ひ、庶人は人の眼を晦まして利を得んとす。

之れを不義にして富み且つ、貴き浮べる雲の如しと云えり。終に子孫を亡ぼすに至れども察せず。

己れある事を知りて人ある事を知らず、己れに利あれば人を害う事かえりみず。近きは身を亡ぼし遠きは家を亡ぼす。自満して才覚ありと思へる者是れ也、甚だしきはなし。

其の親を愛する心は、天下に於いて憎むものなし。其の親を敬する心は、天下に於いて慢
るものなし。愛敬親に事ふる一心の上に盡して、天地同根・萬物一体の性命明らか也。

一日も私欲亡びて天理を存する時は、其の大を尋ぬるに外なく、其の小を見るに内なし。僅に始めて仁を云うべし、義は孝の勇也、禮は孝の品節也、智は孝の神明也、信は孝の実也。

孝徳さへ備われば、忠は自ら付随し、来たるものとする也。

謙あれば意なく、意あれば謙なく。畢竟、謙と意とは両立せざるものとする也。

忍は謙に相竢ちて、人の美徳を成すもの也。

西洋にい於いても古代の哲学者は、往々倫理を以って政治の基本とせり、殊にプラトン・アリストテレス諸士の如きは、国家の目的は民族の道徳を育成するにありとせり。

文は仁道の異名、或は義道の異名なり。仁と義は同じく人性の一徳なるに由り。文武も同じく一徳にして格別なものに非ず云々。

仁に背きたる文は、名は文なれども実は文に非ず。義に背きたる武は、名あれども実は武に非ず云々。

文武合一なるを真実の文武と云ひ、真実の儒者と云うなり。文芸在りて文徳無きは、文道の役に立たず。

武芸ありて武徳なきは、武道の役に立たず。譬へば根なき草木の実を結ぶ事能はざるの如し。

藤樹は、倫理を以って唯一の学問とし学問と云えば、即ち倫理を意味するものとせり。均しく倫理と云うも学理を主とするに非ず、寧ろ実践を主とするもの也。

「学は、後来の人欲を去りて、元来の天理を存する事を学ぶものなり。此心天理にして人欲の私なき時は、即ち聖人の心也。」

「夫れ学は人に下る事を学ぶもの也、人の父たる事を学ばずして、子たる事を学ばずして、弟子足る事を学ぶ」

「能く人の子たるものは、能く人の父となる。能く人の弟子たるものは、能く人の師なる。自ら高うするにあらず人より推して尊ぶ也。」

藤樹の所謂良知は神我の如きものにして、其の私欲の為に汚され居る事を自覚すれば、即ち己が本体に帰りて自在的実在となる也。

畢竟藤樹は、倫理を実行するを以って、真の学問とするが故に博学多識を要せず、又詩賦文章を尚ばず、専ら力を経営に用ふるもの也。経書の中では最も易を重んじたるが如し。

文字を、目に見覚ゆる事ならざれども、聖人の本意を能く得心して、我心の鏡とするを心にて、心を読むと申候て真実の読書也。

心の会得なく、只目にて文字を見覚ゆるばかりをば、眼にて文字を読むと申て真実の読書にはあらず也。

その訓詁を学び、其述を能く辨へ、其心を能く取り用ひて、我心の師範となし、意を誠にし、心を正うすれば聖賢の心、即ち我心となり。

我心即ち聖賢の心に違わず、心だに聖賢の心に違わず候ば、言行自ら至善に止まるものにて候、此の如くに学ぶを正真の学問と云うなり。

殊に藤樹は、言論により注入せんとするよりは、身自ら模範となりて躬行実踐を務め、此れに由りて人を自然に教化せん事を主張せり。

根本真実の教化は徳教也、口にては教へずして我身立て道を行ひて人の自ら変化するを徳教と云う。

是れ教育は自反慎獨より歩を進め、之れに次ぐに講論を以てすべきを、謂ふもの也。然るに徳教をほどこすには、幼少の時を以って最も適切也とす。是れ人は幼少の時に於いて、最も変化し易ければ也。

人道の無欲は、義ある事を知りて利を知らず、講義に従ひて私心なきを無欲とす。取るべき義あれば取り、與ふべき義あれば與ふ、蓄ふべき義あれば蓄へ、施すべき義あれば施す。只、心の義に随ひて無欲とし、依るを欲とする也。

無欲という事は、藤樹も仏教と同じく之を期す。然れども藤樹の無欲は義によりて動く也。意念を滅するに非ず、意念を正うして義の一筋に従ふ事也。

是故に藤樹の無欲は活動的の無欲也。枯木死灰の無欲に非ず、世間のあらゆる事業に従事して無欲なるを得る也。

利に依るの心なければ、即ち無欲なれば也。是故に藤樹の眼を以って之を見れば、釋迦も達磨も滑稽を演ぜるなり。

是故に藤樹の以て之を見れば、釋迦も達磨も皆一括して之を狂者と称せり。

釈尊十九にて天子の位を棄て、山に入り三十或道の後、人間本分の生活を営まず、或る時は乞食し、人倫を外にし、人事を厭ひ捨て、種々の権数方便説を説きて愚民を狂誘めされたる事。

皆是無欲・無為・自然・清浄の位を極上と定め、元気の霊覚に任せたる豪髪の差より起りたる、無欲の妄行の誤り也。

「藤樹は此の如く、釋迦の行為も教義も共に誤れるものとせり。位にあるを欲とし、位を棄つるを無欲とし、財実を貯ふるを無欲なりと思ふは未だ明徳昧くして、位を好み財実を貯を貪る心根残りて、外物に凝滞して便利捒擇の私ある故也」

聖人の心は、艮背適応にして、意必固我の私なきに因りて、富貴貧賤死生其外天下の萬事大小・高下清濁・美悪に於いて毛頭也。只、満腔一貫皇極の神理ばかり也。

然る故に位に登るをも、財実を貯ふるをも欲とせず。位を棄て財実を棄つるをも無欲ともせず、又欲ともせず、又天道の神理に背くをも欲とし妄とす。

天道の神理にかなふを無欲とし無妄とす、神理にかなひぬれば天子の位に登るも、財実を貯ふるも位を棄つるも、財実を棄つるも皆無欲なり無妄なり。

神理に背きぬれば、天子の位を棄つるも財実を棄つるも、位に登るも財実を貯ふるも、皆欲なり妄なり。

欲と無欲と妄と無妄とは、行なふ事の品には非ず。又心根にあるものなれば如何様なる事は無欲なりと事にて定むるは、迷ひたる凡夫の心得、又は異端偏僻の法也。

釈尊此心を悟り召されたらば王宮を壇特霊山とし、寂光浄土とし天子の位を摩尼輪の位とし、套王殿を麻衣草座とし、禮楽刑政を説法として衆生を済度召さるべきに、険しく僻みて王宮を厭ひ山に入り套衣王殿を厭ひて、麻衣草座を好み召さるたるは、何たる心ぞや。

民背敵応不相興時は、王宮帝位何ぞ我を汚さんや、山中の静坐何ぞ我を増さんや、王殿何ぞ我を損せんや、麻衣草座何ぞ我を潔くせんや。

儒教は、現在社会に於ける人倫の関係に、就きて教えを立つるものなるが故に、日常云為の間に於いて、道に合する得べし。

必ずしも家を棄て山に入るを要せず、又壁に面し壁に背するを要せず、是故に藤樹釋迦と達磨とを併せて之を非議する也。藤樹は又、仏教の如きは甚だしき害は有れども、益にては寸毫も無しとせず。

釋迦帝位を棄て々出家し、下に降りて教えをせんとす、終に遂げずして其の生国廃れ、中國に入りて中國を害ひ、日本に来りて日本の神道を亡ぼし、國を衰微せしむ云々-----。

釋迦帝位を棄てたる心は、殊勝に侍ふれども仁を好んで、聖楽を知らざるの愚に陥りたり。生れ付きたる帝位を棄つるは、五倫を離る々の始め也。

佛教始まりて、后天下に於いて何の益あるや。害は上げて数へ難し、益は一つも無し云々。

佛教は浅ましき愚なる道也。故に愚ならものは好しと思へり、仏者には心根の愚なるもの成らぬもの也。釋迦達磨さへも狂者と稱する程なるが故に、藤樹の眼中にありては、如何なる碩徳高僧も、迷へる癡人に外ならざる也。

夫れ、神道は正直を以って體とし、愛敬を以って心とし、無事を以って行とす。然るに正直・愛敬・無事の三者は彼の中庸に謂う所、知・仁・勇の三者にささヘリ。

正直は知なり、愛敬は仁なり、無事は勇なり。正直の徳は知明かにして、鏡の善悪を照らすが如し。或る事なく隠る々事なし。

一念の微にありて外に顕れずと雖も、神明之を知り我れ亦之を識る。故に君子は獨りを慎み、平生の思う事天地神明に訂して、畏るべき事をば思わず。

平生の為す事、人に知られ耻づかしからん事をばせず、誤りて悪念生じ非が事ありても心に明かなる神知ある故に、悟らずと云ふことなし。

知れば即ち改めて思わず為さず、本の清浄神明の常に帰る也。人々の心に天神一体の神明ありて善悪共に隠れなし、鏡に向かうが如し。

是故に、神道には内外明暗を以って心を二つにせず、正直を以って事(本)とする也。此の如くなれば心広く體胖かにして、恐るべきものなく耻づべき事なし。

愛敬の徳は天地同根万物一体也、人欲盡きて天理流行す空々如たり。其大外なく其小内なし、天地万物皆心中にあり、我に非ずと云う事なし。

故に我なし、故に無欲にして静也。富貴なる時は人を教育し、貧賤なる時は退きて徳を養う。生を得ては行ひ死を得ては休す、君子一として自得せずと云う事なし。

勇は堪忍を尊ぶ、能く堪忍すれば無事也。凡心の人は不屈なる振舞のみ也。夫れ咎むれば他人は云うに及ばず、親族の間と雖も怨み怒り不足の絶ゆる事なし、不孝不弟の本也。

皆堪忍して見過し、其人を以って其人を見て、凡心は此の如くなるもの也。か々ればこそ凡夫と云へと思へば、酒に酔ひたるもの々正体なきと等しく、凡心の迷ひを観許すべし。

偶、善き心ばへ振舞あるをば此れこそ此の人の本心なれど、喜び親しみ先日の非を止めざるは君子の心也。総じて昔より大勇の人は咎めせず常に怒れる事稀也。

温和にしておほどかなるもの也、是を沈勇とも云えり。沈勇ならでは大勇は無きもの也。大勇は必ず威あり、故に脅されども民恐れ、刑罰を用ひざれども罪人少なし。戦伐せざれども敵国服す、此れ勇には非ず仁の勇也。

知・仁・勇の三つの徳は或る時は共にあり、勇ならざるの仁は君子の仁にあらず。勇ならざるの知は真の知にあらず。仁ならざる、知ならざるの勇は徳の勇にあらず。

藤樹の学問の全体の組織を考察するに、極めて佛教に類似する所多し、然れども遂に佛教混同すべからざるものあり。

佛教は厭世的にして、畢竟、解脱涅槃を期すれども、藤樹の学問は現世的にして、仮令ひ世界の本体を論ずるも、其の基する所は人倫の秩序にあり。

人倫の秩序を破壊して別に理想界を建設せんとするにあらず、故に其の佛教を排斥するや峻別を極めたりと謂うべし。

君子安楽の本体は、吾人方寸の内にあり。
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藤樹の学問は畢竟世間的也・現実的也。時超絶の観念ありと雖も、是れ唯実践倫理の根底を確定する為にのみ。出世間的の解脱を希求するに非ざる也。

然るに、耶蘇は人倫の関係以外に天国を建設し、君臣父子等の関係を蔑む如し、独り人類の天子に対する関係のみを尊重し、之が為には一家の中は勿論、一国の中と雖も不和を来たすを意とせざる也。

即ち、出世間上の関係の為に、世間上の関係を犠牲に供するもの也。此の如き差異は毫釐の如しと雖も、其の結果は千里の差異となり、民族の運命に偉大の変動を来たすを免れざる也。

王学は、本と心法を明かにするを主とするが故に、博学多識を要せず、寧ろ博学多識を以って、心法に害ありとなすものなり。

心学を、能く勤むる賤男賤女は、書物を読まずして読むなり。今時流行る学問は、書物を読んで読まざるに等し。

学問は、己れが明徳を明かにせんとなり、才知在りて徳を害ふ者は多し。徳の助けとなる者は稀也。

拙きは徳也、巧みなるは賊也、故に不才にして拙きは徳に近し。自然の幸也、才知在りて巧みなるは偽に近し、一の不祥也。

君子に三の憎みあり、其功に誇り、賞を受くること多き者を憎み、富貴にして驕る者を憎み、上に居て下を恵まざる桃を憎む。

判官義経は其人からして道を知らず、勇気に依りて失ありと雖も、大功ありて賞を受けず、人情の憐れむ所なり。

「頼朝卿、福分ありて天下を取ると雖も、不仁にして寛宥の心なし。人情の悪む所なり、頼朝判官に限るべからず。」

「驕りは天道の虧く所、地道の亡ぼす所、人道の悪む所也。謙は、天道の益す所、地道の悪む所、人道の好む所なり。」-----驕る平家は久しからず-----

思うふに蕃山一生の事業は、政治・経済であり、其の学び得たる所を実際に応用する事、是れ其の主眼也。簡単に之れを云えば、蕃山は事功を期するもの也。

是故に文楽の如きは、蓋し其の深く心を用ふる所に非ず、世に伝ふる所の詩歌の如きも、其の諸餘に過ぎざるものと謂うべき也。

蕃山は、嘗て親しく藤樹に学び、知良知の説を心棒せるものなり。蕃山必ずしも藤樹の言に拘泥せずと雖も全く藤樹に薫陶せられ、全く藤樹に鎔鋳せらる。

故に、其の叙述する所、江西に淵源せざるもの殆ど稀也。要するに蕃山は藤樹の精神的兒子なりと謂うべき也。

蕃山の学問が藤樹に出づる以上は、藤樹の学問が陽明に基く以上は、蕃山の陽明学派に属するものなる事は、復た論を俟たざるが如し。

然れども、蕃山は本と活眼達識の人にして、舊套に拘泥する事能はず、古風に固帯する事能はず、常に時勢に応じて変通せんとするもの也。

是故に、一言一行悉く藤樹に倣はんとするに非ず、又旗幟を立て専ら陽明の為にも主張するにも非ず。

是故に若し、此の点より考察し来れば、蕃山は陽明学の人にあらざるが如し。是を以って或は蕃山を以って、陽明学派の人とするの非を論ずる者さへある也。
事情此の如くなる以上は、蕃山が果たして、陽明学の人也や否やを、論定するを要する也。蕃山は他の陽明学派の人の如く、独り陽明を尊崇して朱子を軽侮するが如き、偏狭固陋の人に非ず。
返りて朱子陽明共に各其の長處ありとするものなり。宋の理の学と明の心法と何れも、其の己に神益あるを知るもの也。

「心友問ふ、朱子は賢人か?」

「曰く、大儒とい云ふ者ならん又賢なり。註におきては古今一人の名人なり。古人の心に叶ひたると、叶はぬとはあれども、先は初学の手を下しよき様に、手近く義理の聞こゆる註なり。此一色は後生の者大に恩を得たり。」

「問ふ、王子は賢人か?」

「曰く、文武ある士と云う者ならむ名大将なり、又賢なり。孟子の良知良能の奥旨を開き教へ、自反慎独の功におきて、後生の学者をして心を内に問わしむ。吾人徳をかうふる事浅からず、内に向ひたる心にて経伝を見れば、語も理も本のものなれども、格別なる所あり。」

「問ふ、二子の弊は何れの所ぞ」

「曰く、朱子は文に広過ぎたる弊あり。学者理学に近くして真理に遠し、書は譬へば雪中の兎の足跡なり、兎は心なり聖経聖伝は皆我心の註なり」

「兎を得て後、足跡は用なし。心を得て後、書は用なし。一貫一路に大やうに取るものあり、大意を見て心を得べし。日用の功夫におきては委しく見る事もあり。」

「然れども、それは我受用の委しきが為なり、徒に書のみ委しくみるには非ず、朱学は余りに章句を分過ぎて、文句の理に落ちて心を失ふ事多し云々」

「故に、聖経は註の為に蔽はれ、心法は経義の為に隔てらる。王子は仁に過ち約に過ぎて、異学悟道の流れに似たる事あり云々。」

聖人の学は平地の如し、異端の学は山の如し。山高しと雖も平地には及ぶべからず、山にして険阻を行く事は眼を驚かし、平地にして大道を行く事は人を驚く事なし。

出家にして器量あり惜しきと云へるものを、還俗させては変はらぬ平人也。築山にしては髙きと思へるも、均して平地とすれば小村にも充たざるが如し。是を以って君子の徳の大なる事を知るべし。

佛学流多しと雖も、天台と禅に優れたり。天理は高妙なり佛学の精しき事、禅に優れたり。然れども心に惑いあり。禅は学あらざれども、近心法に付て要を得たり。惑いなきが如くなれども、実は惑へり。

本より、四海の師國たる、天理の自然をば恥じて、西戎の佛法を用ひ、吾國の神を拝せずして、異國の佛を拝す。我主人を捨て々人の主人を、君とする事をば恥じとせず、その過ち知るべし。

釋迦もし聡明の人にて、中國日本へ渡りてこれ候はば、茫然として新たに生まれたるが如く、後生輪廻の見も、何も忘れらるべく候。唐土ならば聖人を師とし、日本ならば神道に従はるべく候。

心は天理の凝聚にして、志は、其の発して向かふ所なり。心もと不善なし、故に其の発して向かふ所も不善なし。

聖人に志すは、志の本體なり。異学に志すは、志の惑へるなり。凡そ聖書の中に、専ら志と云へるは皆聖道に志す事を謂うなり。

故に志の一字は、初学より聖人に至るまで、学問の全體なり。故に志を持たんと思わば、之を養ひて餓やすべからず。凍やすべからず。

然るに、之を養ふの法は義と道とに違はざるにあり。言と行とを慎むにあり、一行猥りに為すべからず。細行慎まざれば大徳を煩はす。

一念妄りに思ふべからず、毫釐の違ひ千里の誤りとなる。言行は志の衣なり、一度失すれば即ち凍ゆ、義と道とは志の食なり。

一度怠れば即ち餓ゆ、若し之をして餓え凍えしめば、日々に鞭ちて其の足らんことを、責むるとも得べからず。

人の性は天の命なり、人の心は並びて三才となるべくして、気も亦浩年たり。天もと無量、人の量何ぞ飾るに、分界を以てせん。

唯、有我の私に絡まされ、天受の量を狹隘にす。故に聖学に志すもの、此関を打通らざれば、更に、祐けとなすべきなし。

凡そ量せばき者、善事を為すと雖も、切迫の病ありて、従容の気象なし。毀誉に動きやすく憂苦に耐えがたし。

故に、其人志を得れば、忤恨睚口此の恨も、必ず報ひんことを思ひ。位を失へば悲憂痛感いふべからず。故に、量廣からざれば聖学語り難し。

百尺の臺を築かんと思ふものは、必ず其を大にす。聖人に至らんと思ふものは、必ず其量を廣うす。

人、聖人に非ざるよりは、必ず気象昏明清濁よりてか変はりあり、気象清明なる時は本心自ら発し易しと雖も、昏濁なる時は力を用ひて、心を励ますと雖も必ず失う事多し。

只、心を責め内に顧みて励まさば、即時に心強く気従ひ裁量の気象あらん。

言は心の聲なり、行は心の跡なり、只、私欲に隔断せられて、心跡二つとなる。言行良しと雖も、為にする行あれば、本心の発見にあらず。

其心跡二つとなるものあり、人は自ら是れを知る。人の知らざる處にして己れ獨を知る。此處に於いて力を用ふるは、誠意の愼獨なり。

是れ自反内に省みて内自ら訟ふるなり、天下の人擧りて譽むるも歡ぶべからず。天下の人擧りて毀るも愁ふべからず。

只、自反して心に快きは是れ即ち天心にあへると知るべし。本心、即ち天理何ぞ他に求むる事を煩はさんや、顧れば即ち此に存す、自反内省は存亡の機なり。

言は心の聲なり、行は心の跡なり、思慮は心の動なり。此三つのものは人の必ず有るものにして、其事眞と妄との二つあり。

是れを此處に愼む、則ち是れ、立志養気内省致知の條目なり、夫れ無妄は天理の実然り、心の本眞なり、人欲気質の蔽はれ、より其本體を失すれば、則ち妄を為す事あり。

其時本心に復へり求めて、志を責めて耻以て励まし、気を養ひ良知を致し、其他其處に従ひて、之れが工夫を為さば邪妄退去す。

一言妄に発すべからず、一行妄に為すべからず、一念妄に思ふべからず。必ず之れを良知に問ひ、之れを孝悌に基づけ、之れを志に責め、之れを気象に考える。

障る所なく、耻づる所なく、迫る所なく、畏る々所なく、疑う所なくして後之れを発出すべし。是れ内外を一つにして、表裏を合せ衆人より聖人に至り、一身より以て天下に施すべきの要道なり。

夫れ、学問は悪人を免れて、善人と為らんと欲するが為ならずや。善人の至極は堯舜にも進むべし、悪人の至極は桀紂にも陥るべし。其界は一念の間にあり。

善人ならんと願はば善を為すべし、悪人を免れんとならば悪をさるべし、是れを物を格すという。是れ聖門最初の手を下すの実功にして、聖となるに至るまで外に待つこと無き也。人此処に於いて丈夫に志を立てざれば、萬事皆成ることなし。

室を造るに其なきが如し、夫れ物を格すと云うこと、世間外人は物を格すに非ず。唯、我心の物を格すなり。

身に顕はる善悪は皆心より出づれば、先づ一念の起る所いかんと察すべし。故に自反して愼獨の功を立つ云ふ、一言一行までも基本体のま々の善心起こり出づる。

尊信して當下に是れを去る、一時此の如くすれば、一時聖人の地に進み、一刻此の如くすれば一刻聖人の地に到る。

是れ、即ち人皆以て堯舜となるべき道、皇天の御心にして聖人道統の学術也。何の疑ふべき事かあらん、その善を為し其の悪を去るに當りては、生命をも顧みるべからず。

是れを身を殺して仁を成すといひ、是れを生を捨て義を取るといふ。是れを知るを止まる事を知るといひ、是れを得るを道を開くと云ふて、夕に死するも可なりと喜ぶ。此の如く丈夫に志を立て々、自ら己が本心に誓ふを門に入るの始めてとす。

学ぶもの、格物の段に於いて覚悟を定めて、善は生命に変へて為さん、悪は骨を粉にすとも去らん、と。十分に思ひ入りたるは、十の内七八までは進むべし。

此四言の此一句を初入門の誓約と心得、斎戒沐浴して之れを受け、善を為し、其悪を去り、堯舜の徒となるに當りては、身命を捨つるは本望なりと心得て、自ら其本心に誓ふべし。

茲に於いて、丈夫に性根を据えて志を立て、得定まる時は世上一切の、利害・名聞・得喪の類は、誠に浮雲の大空を渡るを見るが如くにて、心の動かざるに至るべし。

彼れが此の如き寂然不動の地位を得たるは、一念穏微の處より工夫を下し々に起因せずんばあらず、彼れは博学多識を取らず、唯、當下に悟入する事を適切なりとせり。故に学問は大学一部を了解すれば足れりとせり。

東里、資性狷介にして、高潔自ら持し、苟も世に容れらる々を求めず、毫も利の為に動く事なく唯、義によりて立つ。

東里は、此の如く宇宙を以て人の身體とし、人を以て宇宙の心意とし、人と宇宙とを合一して、常識を超絶せる大なる人格を表象し、之を人の全きものとせり。

即ち、人類の理想は此の如く、大なる人格を成すにあり、とするものなり。大なる人格の本体は、唯、仁のみ。

先づ、其個体に執着する我見を、打破すべきを謂ふなり。我見を打破する事は、実に仁に到達するの関門なり。我見を打破し了はれば、仁茲に得べし。

聖人の学を勤むる人は、私に勝ち、過を改め、徳を養ひ、天地万物一体の道理を、信じ得るに及んで、夜の明たるが如く、重荷を降したるが如く、盲人の目の開きたるが如くあらんや。

さぞ、心良く嬉しく、舊悪も前非も後悔も残念も、昨夜の夢なり、昨日の風雨なり、何の憂ひ悲しむ事あらんや。

若き人、兼ねて此意味を知り候はば、末頼しく学問の退屈なく精出で可し申候處、教ふる人も只、文字のさたばかりにて、心の安堵を求むる事を知らず。

空しく光陰を送り、此世夢の如くにて過去り候事、尚ほ又悲しきものに御座候。老拙事も近年まで、此学問知らずして徒に月日を過ごし事候。何卒、余命の内此非を悉く晴らし申度き願のみにて御座候。

親も無し、妻無し・子無し・版木無し・金も無けれど、死にたくも無し。(林 子平)

人々、善悪邪正に就いて、可否いかんと顧みれば、善は善悪は悪と明かに辨へ知る心あるなり。是れ良知なり。此良知は学ばずして天然自然に、人の胸中に存在するものにして、所謂神明なり。

萬事此良知に問ひ取計るべし、此良知の儘にするには、克己の修業を強ひて勤べし。克己は即ち勇なり云々・・・。

聖人の心法も仏氏も神家も武芸者の気位も、勇にあらざれば行ひ遂げられぬなり。都べて心法は本として、進む事専ら勤むべし。文武の二芸も皆此心法を宗とするなり、是れ学者の大主意なり。

要するに、大塩中斎は意を決する事固くして、事を處するに敏なり。如何なる困難ありて前に横はるも、一刀両断して之れを決するの勇あり。

中斎は、此の如き見解を有せしが故に、暴吏の暴状を見ても吾心中の事となし、窮民の窮状を見ても吾心中の事となし、到底冷淡に看過に能はざるが故に、遂に己れを忘れて爆発するに至りしなり。

是故に、中斎が哀情決して怒すべきものなしとせざるなり、若し又、中斎が幕府の苛政に反して反抗の旗を掲げ、窮民の為に身を犠牲に供せし事を思えば、殆んど社会主義の人なるが如し。

然れども、彼れ固より今日の所謂、社会主義の如きありしに非ず。但し、王学の結果は一視同仁の平等主義となるの傾向なしとせず。

藤樹の如く、分明に平等主義の観念を有せり、故に中斎が暴学の如き、自ら社会主義に合するもの無しとせざる也。

中斎は人となり、峭酷峻厲にして、動もすれば輙ち忿恚を発し易し。若し、彼れが心を激するものあれば、彼れは殆んど狂せんとするまでに、睚皆忽恷の状を露はせり。

中斎自ら実踐躬行を務め、子弟を教導する事極めて厳なり。故に、子弟の之れが感化を受くる事、亦浅少なりとせず。

学の要は、孝弟仁義を躬行するにあるのみ。故に、小説及び異端人を眩するの雑書を読むべからず。若し、之を犯さば即ち少長となく鞭扑若干、是れ即ち帝舜を教刑となすの遺意にして、其の創する所に非ざる也。

毎日の業、終業を先んじて詩章を後にす、若し、之れを逆施せば鞭扑若干。

陰に交を、俗輩悪人に締び以て、登樓縦酒等の放免を許さず、若し、一度之れを犯せば、即ち、廃学荒業の遣と同じ。

十二・三歳の時から、十六歳の頃までは藩の塾で、朱子学をやって居りましたが、ほんの素読ばかりで、一年に二回づつ試しが御座りますが、最早字さえ読めばそれで良い、と謂うような有様で、ちっとも為にはなりませんで御座りました。

其れから、大塩の所へ参りましてからは、すっぱり違います。句読などは少しもござりませぬ、講義計りで其の講義も、活きて働かすと云うのが、本意で御座りますから、中々きつう御座ります。

初めて参りました時に、「入吾門学道以忠信不欺為主体」之れが陽明先生の語じゃ、己が塾へ来て不忠不信な行ひがあったり、人を欺く様な奴は手打ちに致すが、夫れ承知あらば来たれ」と。

ヘイ、己に門下に列りましたる已上は、固より覚悟の上で御座います。決して自ら疾しい事は御座居りません、と言えばそんなら居れと云うような風で、初めて参りました者は、皆、ビり着いて震へ上ります。

中斎が学説を叙述するに當り、先づ其主義及び其主義を立つるに至りし、所以を一瞥せん中斎は陽明学を奉するものなり。

彼れ自ら学名学則中に、孔孟学の名称を用ふれども其実、陽明学に外ならず。彼れは別に師傳あるにあらず、全く独学に依りて姚江派に帰するに至りしなり。

佐藤一斎の如き、心竊に陽明を信ずと雖も、公然之れを主張する事能はず。首鼠両端其主義を曖昧にし、畢竟摸稜の訾を免れず。

此時に當りて、公然王学唱へたる者、独り中斎あるのみ。中斎が世の非難を顧みずして、其所信を貫くの挙に出でたるは、学者の本文を盡せるもの、其勇気殊に愛すべしとなす。

若し其官を問へば、彼れ実に一與力に過ぎずと雖も、人爵は吾人の尚ぶ所にあらず、彼が剛強にして屈せざる所、懦夫をして起たしむるに足るものあり。

薄志弱行の世、何れの處にか彼れがごときものを求めん。彼れは学者と豪傑とを打ちて一丸となしたる者なり。

中斎が、帰太虚を説くは即ち、知良知を説くものなり。太虚と良知とは畢竟一物異名に過ぎざればなり。

然れども太虚は、心境の澄徹して些かの陰翳を留めざる状態にして、良知は其中善悪を識別する、自然の霊明にあるを指して、之れを云うなり。

只、幸とする所は、天地の徳性方寸の虚に舎る。故に其獨りを慎んで、其虚を塞がざれば徳性の、即ち一知乃ち大君となり。

四知(即ち知覚・聞見・情識・意見)を使用し、以て祟りをなさらしむ、是れを聖賢と謂ふ、是れを君子と云ふ、是れを仁者・知者といふ。

勇士、気を養ふて理を明らかにせず、儒者、理を明らかにして気を養はず、常人は、即ち亦気を養わず、亦理を明らかにせず。

栄辱禍福惟、是れ趨避のみ、理気合一天地と徳を同うし、陰陽功を同うするもの、其れ唯聖賢か。

君子の善に於けるや、必ず知行合一、小人の不善に於けるや、亦、必ず知行合一。而して、君子若し、善を知りて行はざれば、小人に変ずるの機。

小人若し、不善を知りて行はざれば、則ち君子に化するの基、是を以て君子亦、恃むに足らず、小人亦、恃むべからざるなり。

大塩中斎は、人は根底より改造し得べしとするものなり、若し此事なければ、教育は其効力甚だ少なきものと成る。

何んとなれば、不善者を化して、善者とならしむる事能はざればなり。殊に感化院の如きいかんして、其の功を奏するを得ん。

誠実を尚び、虚偽を賤しむこと、是れ古今の通則にして、東西の一致する所なり。

良知を致すの学、但人を欺かざるのみならず、先づ自ら欺くことなきなり。而して其功夫屋漏より来る、戒慎と恐懼と須臾も遺るべからざるなり。

一旦豁然として、天理を心に見る。即ち人欲氷釋凍解す。是れに於て當に洒脱の妙、此れに超ゆるものなきを知るべし。中斎にありては、詩章記誦は学問の目的に非ず。

学問は唯、我心を正うするを以て目的とすべきものなり、何故に我心を正うするを要するがなれば、是れ道徳の由りて立つ所なればなり。中斎は独り道徳を開明するを以て学問唯一の職分なりと思惟せり。

学、多端なりと雖も、要するに心の一字に帰するのみ。一心正しければ、即ち性と命と皆了すべし。

聖学の要読書の決、只放心を求むるのみ。此外更に学なし、亦疑ふに奚んぞ疑うに足らんや。

若し、学問に依りて我心を正うするを得ば、良知是の於いてか光を放ちて来り。仁といひ愛といふもの、我方寸の中に崩さ々ずといふ事なし。

然れども、東亜諸国の如く、古来家族制の行はる々處にありては、先づ一家の中に於いて、家長に対して仁愛の情を著わす事、最も重大の事件たり。故に孝を以て第一と成す。

四書六経説く所、多端なりと雖も、仁の功用遠大なりと雖も、其徳の至、其道の要、只孝にあるのみ。故に我学、孝の一字を以て、四書六経の理義を貫く云々。

博愛なり、徳義なり、敬譲なり、禮楽なり、好悪なり、忠孝の一徳に帰す。驕なり、亂なり、争なり、総て不孝に帰す。

萬善萬悪、要するに孝と不孝とに帰するのみ。此れに由りて之れを観れば、中斎は藤樹の如く孝を広義に解するものなり。

彼れ此の如く我心を正うし、孝徳を全うするを学問の正鵠とするが故に、博く外界の万物を究明するの余裕を有せず、単刀直入我が精神上に向って、工夫を下し来る、之れを要するに実踐躬行を期するものなり。

真に学に志す者は、則ち先づ斯慾を去らざるべからざる也。斯慾を去るの工夫亦只其義に當りてや、其身禍福生死を顧みずして、果敢之れを行う。

其道に當りてや、其事成敗利純を問わずして、公正之れを履まば則ち其慾日に薄うして、道義終に家常茶飯となる。

假令ひ、私欲を打ち拂ふも若し、学問の目的を誤りて詞章記誦を事とせば、遂に邪路に陥らざるを得ず。

書は、固より道に入るの具なり、然れども要を知らずして、泛観博覧せば則ち、徳壤れて悪蔓延り、亦己を敗り世を乱る、慎まざるべけんや。

若し、私情に従ひ我意に任せ以て言動せば、則ち胸満巻に富むと雖も、要するに書庫のみ、貴ぶに足らざるなり。

夫れ、古今の英雄豪傑は、多く情欲上より倣し来れば、、則ち驚天動地の大功業と雖も、要するに夢中の伎倆のみ。

古来、和漢の学者は経学を以て第一となし、最も力を経学に盡せり。経書の中には千古不磨の格言多く、研究いかんに依りては、身を立て道を行ふに、餘りありと謂うべし。

是を以て、當時の学者が力を此に用ひたるは、決して不可なりとせず。然れども経学を重んずる所より、或いは、一転して読書の一方に走り、遂に、終身訓話の研究に埋没して、返りて徳行の於いては、缼くる所あるものあり。是を以て、古人己に之れを戒むること切なり。

只、心を解するを要す、心明日なれば書自然に融解す。

中斎が学は、詞章を主とするに非ず、文義を主とするに非ず、唯、心を明らかにするを主とす。

大塩中斎以後、陽明学派の人として、算ふべきもの甚だ少きが如しと雖も、精細に考察し来れば、亦時に篤学人無きに非ず。彼の間接に陽明学を受け来る者に至りては、頗る吾人の注目を惹くものあり。

山田方谷の如きは、経済の才ありて、治績の見るべきもの少なしとせず。吉村秋陽・奥宮造斉・春日潜庵・池田草庵・東沢瀉・の徒は、皆、篤学の士にして、力を心術に用ふる事を主とせり。

横井小楠。橋本左内・西郷南洲・及び、吉田松陰の如きは、直に陽明学派と稱すべからずも、亦、陽明学より得来る所あるは疑いなし。

果して然らば陽明学の近く、維新の大革新に関係ある事は、決して遠大ならずとせず、因りて其梗慨を叙述し以て、思想の伏線を明晰にせんと欲す。

学に力むるもの、善に循ひ悪を除く所以なり。必ず善に循ひ悪を除かんと欲せば、則ち之れを事に求むるを待たずして、先づ之れを心に求む。

夫れ、書を読み古を考ふるは、固より学の第一条件、然れども、徒に文字言語を求めて、己れ融会貫通する所なければ、日に数千言記すと雖も、士君子心を立て、行を制するの学に非ず、我れの知る能はざる所なるのみ。

良知は是れ乾坤の正気、孔孟と雖も自ら之れを私するを得ず、況や程朱陸王をや。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2014-03-21 09:21:46

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