第九章 言志録(イ、王陽明に学ぶ)

併し、善悪の思念に捉へられ、悩み尽くした人はどうしても、信ぜずにおられないのが如来である。宗教とは、如来に対する絶対帰依の感情也。

救ひと云ふ事は、私は善悪を超越する事だと思うふ。清澤先生は「私は私の好きな通りすればよい、その事が善であらふと悪であらうと、如来は責任を負うて下さる。私はこの如来を信ずることに依りて、自殺の必要を認めぬ」と申された。

生死超越と云ふも、善悪超越と云ふも同じ事

好悪を為さずとは、好悪がないと云ふのではない。好悪を為して居り乍ら私の計らひ(私意)を交へず、只天理に循って去るべき時に草を去る、取るべき時に花を取る。斯くなれば、好悪をして居りながら好悪せないと一般であります。

其処が、矛盾の一致であり好悪せぬと謂ふ事は、物の分らぬ愚人が只、茫然と立って居るとは大いに其の趣が違って居る。

然らば、如何にして天理を循ひ、計らひを離れ得るかと云ふに、若し草が邪魔ならば去るべき道理がある。只、天理に循って去るのみである。

草を刈らずに置いて、種々心に計らいを交える事がいけないのである。草の時は心を累らすことも少ないが、世間の事では、随分と心を悩ますものである。

戦場に望み戦國時代の話であるが、高畠三河守と云ふ人物が、何れの時か戦場に臨み、一日十三回敵と槍を合わせたという事である。

他の朋友がそれを聞いて、貴君の性質剛勇にして千人に勝れて居るから、斯様な手柄も出来た事でありましょうが、何か秘傳があうならば後学の為に承りたいと尋ねたら、いや別に秘傳はない。

武士は、戦場に臨めば討死するものと覚悟を決めて居る。故に戦ひの前夜もよく眠り平日の気分で戦場に臨むが、世間の人は勝つか負けるか、死ぬるか生くるかと心配して、種々の計らひを交へるから前夜から眠れぬ。

故に、戦はぬ先に心身共に疲れ切ってしまう。それで翌日敵に逢ふて、元気よく槍を合わせる事が出来ぬ、と答へたとの事である。

人間の、心から計らひを除き去ると謂ふ事は、容易ならぬ難事である。これは一言にして言へば「誠意」と云ふことに帰する。

「哲学は直観の学なり」と、ベルグソンが言ったが、天地間の無形の生命を如何にして識るかと云えば、直感に依って知るのである。此處が数学や科学と相違する處である。

価値判断の中には、(一)善悪の問題(二)美醜の問題(三)真偽の問題が納まります。それ故カントの哲学を価値哲学と云ふ。

カントに於いては吾人の知り得る者は、価値の問題だけであって、真の實在・物自體の世界は、吾人は知る能はざるものと定めた。

知ることが出来ぬとするならば、意志の自由・神佛の存在・霊魂不滅の如きは、我等の知識識巳上の問題で、これに就いて彼れ是れ論ずる資格はないのである。

然るに面白い事は、これらの問題は知識(認識)では知られぬが、實錢道徳の上からは信仰として、此の三者の實在を承認すると云ふので、これを實錢理性の優越と云ふ。

科学的知識よりも、實錢理性(陽明の所謂良知)は遥かに勝れて居ると謂ふのである。「宗教は学問を否定する」と云ふのは此の道理である。

陽明は、良心の満足する處を善と申す。故に、我が良心に於いて人間を叩く方が救ふ事になると思はゞ、その叩く方が善である。安宅の關に於いて辨慶が義経を叩いた様なもの。

儒教では、形而上の事をの性命之学と名付けて居る。それは人間の本性を論じ来れば、そこから人生観が出て来る。命とは換言すれば天道といふ事で、此の天道から宇宙観が出て来る。

故に、性といふ事を深く論ずれば、人生観となり、命と云ふ事を深く論ずにれば、宇宙観となる。義理が心に渉りて心に矛盾がなやうになれば、人心は真に歓喜に満ちて来る事であろう。

哲人ベーコンが、人間心性の能力に依りて学問を分類して居る。人心には記憶・想像・理性の三能力がある。歴史は記憶の学、詩は想像の学、哲学は理性の学と謂う。

「哲学を知らぬ人は、災難に逢ふた時に人を尤める。哲学を学びつゝある人は、不仕合せの時自分を尤める。哲学に熟し切ってしまへば、自他共に尤るところなし。

良知は人間第一の至寶、生活の導師である。人若し良知の真生命を悟り得たならば、たとひ多くの妄念煩悩が起こるとも、それらは自然に消滅する。

死の畏れ、生活の畏れが起こっても、良知が一度めを醒ませば、これ等の畏怖は全て消へてしまふであろう。ベルグソンの哲学は、創造生活を以て、人間の目的であると論じてある。

これは、實に面白いことで、我等は舊習を捨て新生命を創作して、行く處に人生の意義がある。もうこれで良いと立ち止まって居れば、又妄念出て来て居る。

故に、創造生活がなければ精神は物質化する。精神と物質は本来一體なもので、精神が停滞すれば物質となり、物質が緊張すれば精神になる。故に、緊張生活は人間に缺くべからざるものである。

陽明が、三十七歳貴州の龍場驛において、死生の大問題に出逢うたとき、一心の開悟に依って、此の難関を通過した。これが陽明学の始めである。

この點は、釋尊菩提樹下の大悟から、佛教の真理が流れ出たと同じことで、人生實際の学問である。宇宙の第一原理はなんであるか、孟子は誠であると云ふ。

朱子は、太極は理なり誠といふ。釋尊は、菩提樹の下に於いて、天地悉く光明なりと悟った。プラトンは、宇宙の第一原理は善であると言った。
C
宇宙の根本原理は、経験では知られぬ、「私は信仰に余地を與へる為に、認識の範囲を経験の及ぶ處に置く」とカントが云った。これは、千古に卓越した名言である。(了)

      
    陽明と禪「里美常次郎」より――――――

禅は佛教に属し、陽明は儒学に属す。禅は佛、釈迦の提唱する所に係り、陽明は孔孟の主張せる道徳論に淵源す。一は宗教にして一は實錢的道徳論なり。

然れども、世の所謂哲学と云ひ宗教と云ひ、倫理道徳と云ふ。皆な其淵源を尋ぬれば、吾人人類が宇宙に対し同類に対して、起こる事あるべき関係を探求し調理し、身神をして遺憾なからしむるを目的とせるに外ならなぬ。

故に、佛教と云ひ耶蘇教と云ひ、或は儒道・歌道・神道・武士道など云ふも、各其主張する論理は異なれども、其最終の目的とする所は同類也。

然るに、吾人人類が宇宙に対し、同類に起こる事あるべき関係を調理し、融和せしむる原理原則、或は其方法手段を講究探査するに外ならず。

之を以て前述の禅と儒学、殊に陽明派儒学との関係に付いても、全く相去り相異なりたるものにあらざるなり。

王陽明は、佛教に心醉したる歴史を有する人なるを以て、其採る所の疑問も亦他の一般学者と其趣を異にし、其根本思想に至りては、佛教と殆んど異なる所なきが如く思意せらる。

故に、適當に之を評せば、陽明の儒学は儒を加味したる佛学、或は禪学と云ふも敢えて、不可なりと謂ふを得ざるなり。

法門無量、各宗各派其教理を異にし、殆んど佛教なるものは、如何なるものなりやを知るに苦しむ。然れども、同じく佛教と稱する以上は其間に、同一思想の一貫したるものなかる可からず。

蓋し、佛教と稱擦る以上は、釋迦の所立てに基かざるを得ず。釋迦一代の説法亦無数なりと雖も、其終極の目的は宇宙形成の原理を発見し、人生の帰局する所を知るにあり。

縦横の論、殆んど人をして其真意の那邊に在るやを知るに、苦ましむるものありと雖も、大小百川の水遂に海に注かざるものなきが如し。

而して其終極の目的は、即ち釋迦の涅槃観なり。涅槃観とは即ち釋迦の宇宙及び人生に対する真理観なり。或は又圓寂とも滅度とも真如或は法性とも稱す。

畢竟、宇宙或は人生の最局優大の真理を示せるに外ならずして、換言すれば宇宙の真理を悟り、人生の忘ㇾ想忘ㇾ念、忘ㇾ執、罪悪、苦痛、憂悶等の総ての厭ふべきものを解脱す。

之皆無に帰せしめ、常往、不變、不退の樂境に安住する所に於いて、涅槃と謂へる名稱を付するなり。之を或は、真如の道理に體達せる。

佛式は菩薩とも名くるなり。斯の如く釋迦の説法多数なるも、其最局の目的は涅槃或は、真如に體達するにあるを以て、釋迦の何れの教説を以て宗派を立つと雖も、終極は涅槃或は真如に帰せざるを得ず。

故に、佛教多数なれども、其同一の思想の相貫通する所は、其終極の目的は涅槃或は、真如に帰する在り。即ち涅槃真如は、佛教の大流なり、中枢なり。

各宗各派は其支流なり。支流にして本流に注がざるものあることなきと同時に、苟も佛教なる冠詞の下に宗派を立つる者、其終局の目的とする所は、遂に涅槃或は真如の淵叢に帰著せざるものあることなし。

若し、其最局の目的涅槃或は真如にあらざるときは、是れ佛教と謂ふを得ざるなり。宇宙の事、一として吾人の精神界の作用ならざるはなく、宇宙の物一として吾人の精神を出でず。

故に、心滅すれば種々の法盡く滅盡するなり。果して然らば宇宙の万象は、畢竟吾人の心に外ならずして、吾人の宇宙萬物の生・滅・断・常・一・異・来・去なりとして心念動かし、思慮を費やせしもの。

而して、皆な宇宙萬物の生・滅・断・常・一・異・来・去にあらずして、吾人が心の生・滅・断・常・一・異・来・去なりしなり。

既に、宇宙萬物の生・滅・断・常・一・異・来・去にあらざる事を知りたらんには、須らく無要の思慮分別を抛棄し、その心源立ち帰るべし。

其心源に立ち帰れば、心源清浄なるを以て、相に著するの憂いなく、心を棄てゝ外に求むるの要なく、物を捉へ形を追ふの要なく、心卽ち理、心卽ち佛、心卽ち宇宙、宇宙卽ち心にして、何物も外に假るべきなし。

外に假るべきなければ、心平にして生・滅・断・常・一・異・来・去あることなく、是れ有心の無心なり。此れ有心の無心が卽ち禪に謂ふ所の、佛なり神なり聖なり、儒語を以てすれば大人君子なり。

程明道:心は常に定まりたるものにして、心に動静あるも其身を離れずして、當に身内の活動たるに過ぎず。故に心は内外にあるものにあらず。

若し、心に内外ありて外物に誘惑せられ、掠奪せらるゝ事ありとすれば、既に内に心なしと言はざる可らず。内に心なしとすれば何ぞ心の定まる事あらんや、と云ふあり。

性と気を同物となし、以て天地の間に充満する元気を以て性と同視せり。此の性より生ずるものを道心と云ひ、道心の悪なるもの卽ち、物欲に蔽はれたるものを人心と稱す。

茲に、道心人心の別を立て道心を以て理、或は機と同一視し、理は是れ心、理は是れ性、性は是れ氣と云ひて、其間に少しも區別を設けざりし。

要するに性と云ひ、氣と云ひ、心と云ふ、皆な同物の異名たるに過ぎざるの思想に帰著せしめたり。而して孔孟の稱道する彼の仁と稱するものも、亦氣或は性、或は心なるものと同一に見做す。

仁を以て、天地間最高の善となし。以て大いに主観的、内省的、一元論を鼓吹せり。性は善なれども、気に善悪あり清濁あり。

若し、人善にして清き気を享けて生るゝ時は善なれども、悪にして濁れる気を享けて生るゝ時は悪なり。人の賢愚正邪の分るゝ處は実に気稟の致す所にあり。

其の、濁れる気を受くるものは愚となり邪となり、清める享くるものは賢となり正となり。而して、性は卽ち理、理は人物を通じて普遍的にして邪悪なしと、断言せり。

学の道先づ、諸を心に明らかにして養ふ所を知り、然る後、力めて行ふ以て至ることを求む。或は誠の道は、道を信ずること篤きに在り。

道を信ずること篤きときは、則ち之を行ふこと果たすと、以て知るべし。彼れが道は實に心の外に在りて、心と相対するものなることを。

陸子は、一元論者にして朱子は二元論者なり。朱子は理と気、或は道心と人心、或は本體と現象と謂へるが如く。宇宙の森羅萬象と対照して、理或は性、或は天と云ひて、恰も西洋哲学に實體と云へるが如く。

一の、森羅萬象の本源となるべきものを認む。彼れ曰く「物の名義気の理と通ず、天の天たる所以を貫く。本と何ぞ為さん哉、蒼々焉んぞのみ、其之を名付けて天と曰ふ所以は蓋し自然の理なり。

名は理に出で、音は気に出づ、是に由て宇宙挙げて窮すべからず」と、明らかに理と気とを分ちて二となせること斯くの如し。

また曰く「気に清濁あり、而して道心は理に基づき人心は気に昏く、気に清濁あると同時に人心に清濁あり」と、是れ彼の学問に於ける観念にして、縦横百出の論、皆此観念より湧出す。

而して、此観念たる彼れの首唱にあらずして、程伊川の思想たることは、前既に説明するが如し。然るに陸子は之に反して、此理気或は人心道心の區別を否定した。

宇宙間には、人心より外に何物もなし。宇宙間一切の事は皆な心が中心となるものにして、森羅万象の根元は唯一の心に在りとなし、以て一元論を立てたり。

心は、一心なり理は一理なり。至當帰一、精義無二、此心此理、實に二ある可からず。謂ふに至りては、簡易直截にして、程伊川或は朱子が氣に清濁あり。

或は、天下の事物各一理ありと謂ふに比するに、實に天地雲泥の差あり。而して彼は孟子の仁義禮智信皆な一箇の理字を説明せるものとなし。

内外動静、皆な一心一理の形體に過ぎずと断せしは、即ち明これを道を尊信して尚ほ、夫れより一歩を進めたるに依る。彼の学は實に心を以て其目的物とせり。

卽ち、心が起點なり、理が中心なり、天下の事は皆な理ならざるはなし。天下の物皆な心ならあるなり。ざるはなし、と謂ふにあるなり。

是れを、西洋哲学者にて之を求れば、彼れは實に東洋のフィヒデなれなり。フィヒデの謂へる此宇宙には、自我より外に何物もなし。

非我は、自我ありて後非我たり、故に一切の非我は自我の反響たるに過ぎず、實に東西好一対たりと謂うべし。卽ち心は良知・良能を有するものなり。

良知良能は、古今を通じ人と物とに普遍す。之を自愛し、之を自重し、之を活動せしめて餓ゆる事なからしめば、事として通ぜざるなく物として、成らざるなし。

所謂、孟子の天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行き、志を得る民と之に由り、志を得ざる獨り其道を行ふ高貴も淫するを能はず。

貧賤も移す能はず、威武も圧するを能はず、云へるが如く、或は亦言禮義にあらず、之を自暴と謂ひ、吾身仁居り義に由る能はず、之を自棄と謂ふ。

仁は、人の安宅なり。義は、人の正路なり。安宅を曠ふして居らず、正路を捨て由らず。哀哉、自暴のものは與し云ふある可らず。自棄のもは與に為す可らずと云ふが如し。

要するに、彼は心或は理を以て、宇宙萬物を包容するものとなし。而して、此心此理は人の生まれ乍ら有するものなるを以て、之を守持して居る。

自暴自棄に陥らず、物欲に塞蔽せられずして、能く本有の能力を発揮せしむれば、卽ち是れ大人なり、君子なり、聖人なりと謂ふにあり。

蓋し、歐大陸に於いてカントが、吾人は宇宙の本體を知る能わず。唯其の現象を知ることを得るのみ。吾人の智識は二条件より成立す。

卽ち、(一)外界の刺戟ありて吾人の心に影射すること。(二)心は一種の能力を有して其影射を、調整するとと是れなりと、説き立てるに基づく。

カント以後の学者は二派に分かれ、カントの(一)の條件に重きを置くものは、唯物的實在論を主張し、(二)の條件に重きを置くものは、唯心的理性論を主張せり。

此の二者両々合い下らず、カント以後の論争は實に此の二派に出でざりき。而して彼の有名なるフィヒテ・セルリング及び、ヘーゲルの如きは理性論者に属す。

そして、ヘルバルト・ショペンハファ・ハルトマンの如きは、實論者に属せるなり。之と同じで程明道一元論を唱へ、程伊川は二元論を取りたるより。

程門に、二派を生じ両々相下らず、以て支那の学海を騒がしたるは東西一轍、思潮の勢い亦しかるべきものがる。

彼れ陽明は、其行跡事業思想より考ふるも、所謂多血症性の人にて、且つ其の性質や聰敏果決、人後に立つを厭ひ、當時流行せし老佛・神仙・射・騎、詞藻等、苟も力の及ぶ限り、之を研究したりしなり。

彼が研究は、甚だ多角的なり。彼が一生の跡は、或る時は学問に志し、或る時は養生の術を学び、或は詞章に耽り、政事を談じ官邊に仕へ、邊偶に足を止め、軍に従ひ、自ら俗人の是非を招きたること多かし。

斯の如く、變化多き彼が境遇は、安亦心立命に重きを置きたる老釋の如き学問に、熱中せしむるに至らしめ、之を以て彼が終局を結束至らしめたるは、亦偶然にあらざるなり。

陽明が、学問の基本は心に在り。彼れが心を説くや心卽ち理、或は虚霊眛からず衆理具って萬事出づ、心外理なし、心外ものなし、或は物理吾心に外ならず。

吾心を外にして、物理を求るも物理なし。と云ひて総ての事皆心を基礎とし、縦横の論遂に理を以て心に帰一せしむ。又その性を論ずるや、性は理なり、理は心の本體なり。

故に、天下性外の物なし、或は心の本體は卽ち性なり。性は善ならざるとなれば、卽ち心の本體正しからざることなしと云ひて、理を以て性となし、性を以て心に帰一せしむ。

又、其身を論ずるや、何を身と謂ふ、心の形體運用の謂なり。何を心と謂ふ、身の霊明主宰の謂なり。吾自身自ら能く善を為して悪を去らんか。

必ず、其霊明主宰なるもの、善を為し悪を去らんと欲して、然る後其形態運用なるもの、始めて能く善を為して悪を去るなり。

人心道心の、一元を解釋するときは水は道心なり。水に波動なき如く、道心には私欲擁蔽の紛雜なし。併し乍ら水が風を得る時は波を起こす。

茲に、風相を生ずると同じく、道心も私欲情念の風を得る時は、卽ち茲に妄心を起こし無明の人心を生ず。然れども水は波を起こし、風相を生ずるも、之が為に水の性を變ずることなし。

故に、風止むときは元の静水となる。而して風の為に波あるも、其波は水を離れて存在せず。波と水とは同物にして水は水とし、波は波として並び立たず。

陽明が、人心の正を得たるものは、卽ち道心、道心の正を失ひたるものは、卽ち人心なりと謂へるは、卽ち此の意に外なざるなり。

禪に於いては、善を思はず悪を思はざる時、本来の面目現前せんと。卽ち無心の心と稱するもの是なり。無心の心とは、本心を意味するものにして、彼我の差別、是非の分別もなく、苦楽の思按も何もなき時の心なり。

此心は、全身に廣衍して、而も全體に濃厚に耿々として光りあるもの、此の有様に於ける是非の判断、善悪のの差別が、卽ち佛知・神知なり。

故に、佛知・神知と稱するも、常人の未だ曾て有せざる、一種異なりたる知にあらず。吾人が善を思はず悪を思はず、無心の時、本心の現はれて活動する場合の心指せるものなり。

此心たる、是非善悪の差別なき木石の如き心にあらず。是非是悪差別する能力有れども、善と思ひ是と思ひて固執し、悪と思ひ非と思ひて、厭忌する心にあらずして、唯其の心の能力が融乎本能的なるを謂ふ。

此意味に於いては、如何なる悪人と雖も、二十六時中必ず佛知、神知の現前することあるは、疑ふ可からざるなり。若し心が何にか一物一事に停留すれば、心に物がある事となりて、是非善悪の考慮心を生ず。

斯くなるときは、最早無心の状態にあらずして、本心も亦顕はれざるなり。故に禪は此の心に物のあることを嫌ひ、善を思はず。

無心無念にして、而も眠りたるにあらず。心は心として活動し乍らも、何にも物のなき有様を保持して、之に修養念従を加ふることを教ふるなり。

儒学の、政治上に於ける価値は、支那特有にして、亦特別の歴史を有せるなり。天下を平治にして化育を参賛する道として調べば、必ず儒学を措いて他に求むべきなきなり。

斯の如く、儒学の起りし所以より考ふるも、亦其歴史的或は因習の久しきより考ふるも、儒学に代ふるに佛教を以てせんことは、夢想だにも為し能はざる所なり。

上述に対して、佛教なるものは天然力の人に及ぼす勢力を、滅せしめんとするの意より出づ。故に其の教理は、天然力の解釋なり。

而して、天然力の人に及ぼせる勢力の大なるものは、生死にあるを以て、生死を解脱せんとするは、卽ち佛教の第一義なり。生死を解脱すれば総ての苦楽愛憎、皆消滅するなり。

貧富栄辱、吉凶禍福、皆消滅するなり。生死を悟り、生死を解脱し、生死を以て心を動かさゞれば、宇宙は平々坦々たり。天然力如何に勢力を縦にするも、吾人に対しては、馬耳東風に異ならず。

過雁雲行に異ならず、唯我独尊なり。神なり、佛なり。何物か之に優るものあらん。是れ佛教が生死を解脱せんとするを第一義とする所以なり。

而して其く所は、釈迦の宇宙に対する観察より来る、生死解脱の理論なり。釈迦は死生解脱の理論を見出して、統べての苦悩を一掃し、満身超脱した。

己を制する、他の一物別天地に楽在するに至りてより、天下萬衆に之を及ばさんとして、献身開導に従事して、説き出せるもの是れ佛教なり。

斯の如く佛教の目的は、宇宙の勢力に抵抗して、生死を解脱せんとするにあるを以て、儒教の如く政治に関係することなく、其の説たる治國平天下の事にあらざるなり。

要するに、儒教は其の基源よりするも、又歴史よりするも、治國平天下の要術なり。化育を参賀するの要道なり。反ㇾ之 佛教は其の基源よりすれば、釋迦の宇宙観及び人生観の総稱なり。

生死を解脱し、一切の苦悩を消滅せしめ、病みを破りて歓楽を充たさんとするの要道なり。判然基源を異にし、歴史を異にし、目的を異にす。

既に、其の基源・歴史・目的を異にす。何ぞ両者の相互に、流用し得るの道理あらんや。故に儒教の代わりに佛教を用ゐ、佛教の代りに儒教を用ゐんとするも、到底為し能はざることに属す。

斯の如、儒・佛基本拠に先後本末の才あれども、道統の理を説くに至りては障礙ある見ず、何となれば古今数千年、洋の東西を論ぜず。

数多の学者の宇宙観、人生観を究めんと欲するもの主観に偏し、或は客観に偏すと雖も、客観を説かんと欲すれば、必ず客観対象を要す。

陽明は、有を説かんが為に、無を根拠としたるものを以て、事相を困却せず、天則自然に従ひたり。之に反し佛は有を脱せんが為に、無に根拠を採りたるものなり。

以て、事物を滅盡し虚弱に入り有とも決せず、無とも定めず遂に中道なりと、説きたるの差あるのみにして、両者牙城とし本営とせる根拠、無に在るの點に於いては、少しも異なる所なし。

古より知ること易くして、行ふことの難きは、之を以て知られたり。然るに稍々も知ることを貴んで、行ふことを第二義となし、徒に見聞覚知に耽り、或は知行並進と謂へること起り、―――

―――或は、道徳實錢の方法を講ずるものあるに至れり。然れども道徳なる文字は、文字それ自身が實錢の意を有するにも拘らず、實錢道徳なる文字を使用し、而して其文字は遂に普通名詞となる。

而して、誰人も訝まざるに到りては、又一般の憂慮を加ふるものにあらずや。斯の如き弊害を除去すべき必要は、独り今時に於て起こりたるにあらず。

何れの時代に於ても其必要ありて、随分世の具眼者・識者・覚者を煩はしたり。然れども其病根を察して理論的に、知と行とを並進せしめ、合一せしめんと試みたるものは、實に其功を彼れ陽明に帰せざる可らず。

而して、陽明の此知行合一論は、彼れが諸徳涵養の唯一の方法にして、彼が学問の来部は、實に此知行合一に盡したり。と云うも敢えて過言にあらざるなり。

人心の自然に有する良知は、独り人の特有すべきものにあらずして、風雨・日月・星晨・禽獣・草木・三川・土石に至るまで、等しく良知を有し、宇宙は殆んど良知を以て、充満するの状態を有し、恰も佛教に云へる法性或は真如と同一の意義を有し、而も活動的なりとするもの是れなり。

朱子の二元論に於いては、心と理を両事となし。従って知と行とを両件となす。之に反して陽明の一元論に於いては、心と理とを一事となし、従って知と行とを一件となす。

此點は朱子派哲学と、陽明派哲学とを區別すべき最重要の點にして、多数の異論も是より生ずるもの多ければ、読者にして朱陽二派の差を知らんと欲せば、豫め此點を承知せられんことを望む。

此點を知りて、二派の書を比較熟読せば、蓋し思ひ半ばに過ぐるものあらん。

傳燈法師:大いなる哉心乎、天の高き極む可らず。而るに心は天の上に出づ、地の厚き計る可からず。而るに心は大千沙界の外に出づ。

其れ太虚乎、其れ元気か、心は卽ち太虚を包て元気を孕む者なり。天地我を待て覆載し、日月我を待て運行す。四時我を待て變化し、萬物我を待て發生す。

大なる哉心乎、吾已むとを得ず強いて之を名く、是を最上乗と名け、第一義と名け、亦般若實相と名け、第一眞法界と名け、亦無上菩提と名け、亦楞厳三昧と名け、亦正法眼蔵と名け、亦般若妙心と名く」と。

良知の活動するに際して、手を挙げ足を下し、身を動かし、若しくは忠孝弟仁義と言へるが如き、道徳上の名稱ある倫常の因、其中に萌芽す。

而に、知らず識らず自然に發現し、流出するが故に何の造作も無し。心の壗が卽ち知行合一なり、若し慾心あり、考慮の念あり、利害の念あるに於いては、知と行とは合一せず。

此場合を陽明は、人欲の私に蔽はれて天性の良知を失ふと謂いり。吾人の或事を為し或事を為さゞらんと思按分別すれば、其為すこと為さゞることに心が止まりて、其事皆な故意の曲事となる。

言ひ換ゆれば、知と行と合一せざるなり。併し乍ら心の生ずる所に生ぜざれば、気も付かず手も行かずして、知行と云ふこと生ぜざるなり。
其所に心が生じ乍ら、心が夫れに少しも止まることなければ、心と行と一致し、並行し、變轉自在、為す所皆な道の中を得るに至る。之を佛教には佛とも稱し、菩薩とも稱するなり。

普通の語を以てすれば、大人なり・君子なり、若し物に心が止まるときは、迷ひを生じ、執着を為し、苦痛をなし、遂に事物に纒綿せられ萬事皆な淳滞す。

卽ち凡夫なり、迷人なり、愚人なり、小人なり、斯の如く前後の思慮分別を際断し、心の動かんと欲する儘に放任して、而も其為す處或は為さゞる處に心が並行し一致すれば、卽ち陽明の所謂知行合一なり。

知行合一は、陽明が諸徳か涵養の工夫論なり。座禅は、禅家が心性實現、識心見性、本来の面目を現はして、無量の功徳を得、盛大流行の聖者とならんとするの工夫論なり。

仁は蓋し、愠乎たる晴なり 無差別平等の愛情なり 先天的絶対的の特性なり。其法唯、人を愛し物を愛するにあるのみ。

而して、此情を以て天下國家を治れば、民之に依らざるはなく、この情を以て人に接すれば、人之親しまざるなくして、人を化し國を治め天下を化することを得るものなり。
おもフ
死生の事に付いては、彼等は直接に之を言はず雖も、間接に如何なる思想を有したり哉を、推測するに難しからず。

彼等は、社会を改良し、人心を矯正し、良政治を夢み、人格の完成を夢みて、余念なかりしも、孔子の如きは、人を以て宇宙間生成化育の動機、人生の本義となした。

そして、死よりも之を重んじ、死の為には仁を曲げず、仁を全ふすれば、死生は其作用たるに過ぎずとなして、以て人生の萬事を仁に集中せしめたるなり。而して彼は、天地間生成化育の動機は仁にあり。

澤庵禪師:「有心の心とは、忘心と同じ事にて、有心とは有る心と読む文字にて、何事にしても一方へ思ひ詰むる心なり。心に思ふことありて分別思案が生ずる程に、有心の心と申候。

無心の心とは、本心と仝じことにて、固より定まりたることなく、分別も思按も何もなき時の心、総身に廣まりて、全躰に行き渡る心を無心と申す也。何所にも行かぬ心なり。木か石か様にてはなし。留る所なきを無心と申す也」。   (了)

仏教と陽明学「荒木見悟 著」より――――

明代思想史は、陽明学にすっぽり善の網を被せ、朱子学対禅の争いに終始したと解するならば、事実誤認も甚だしいであらう。

其処にはどうしても、陽明学と謂う一本の屈強な柱を立てねば、どうにも説明の付かぬ思想界の潮流が厳存するからである。

陽明学の、異端性を強調するの余り、これを安易に禅に同化させてもいけないし、又陽明学の正当性を強調しようとするの余り、これを安易に朱子学と連続させようとするのも誤りである。

明末に活躍した主要な仏者は、孰れも宗派意識を超越し、因襲的な経典解釈に囚われず、宗派の制約に縛られるのを極度に警戒しつゝ、求道と強化に励んだのであった。

そのことは、明末締め括りの学僧智旭の語に、実に鮮やかに描かれているのある。「幾ら全体放下し、身ぐるみ悟道に入っても天台宗を学ぶ者には、天台の臭みがある。

又、華厳宗・唯識宗を学ぶ者には、華厳・唯識の臭みがあり、華厳宗・識宗を・学ぶ者には、華厳・唯識の臭みがあり、曹洞禅に参ずる者には、曹洞の臭みがあり、臨済禅に参ずる者には、臨済の臭みがある。

何か臭みがあると、理障(道理への執着が却って道理の妨げとなる事)が出来上がる。理障が出来上がると道理が狭る。道理が狭ると、文章は死んでしまう。

文章が死ねば、孔子の後継者とはなれないし、況して釈迦の児孫なれっこない。だから儂はいつも思うのだが、真に己が心霊に背かない者は、近年の宗派意識をすっかりデングリ返えしてこそ、広く古来の宗教の堂奧に入れるのだ、と。

その、堂奧は他でもない。吾々が本来備えている心性を発揮するだけだ」つまり智旭は、真におのが心霊に忠実まるものは、近時の宗教の縄張り傳ぐり返してこそ、古来の宗教の堂奧に入れるのだ。

此の傳ぐり返し論にこそ、伝統的教学や経典論から、殊更に自己疎外しようとする、彼の志向が示されているのである。

要するに明人は、時代の流れと共に儒家であれ、仏家であれ、道家であれ、最早既成の教学の受け売りや、その便宜的縫い合わせだけでは救われない、精神状況に追い込まれて行ったのである。

明代佛教の研究は、何よりもこの特殊明代的な精神風土が形成された由来と、伝統教学のなし崩し過程の究明から、出発すべきであろう。

明末に及び、陽明学を基点として、人間解放の狼煙が上り、その勢いに乗じて思想界の至る所に、三教一致唱える者が現われた。

而も、彼等は一様に太祖の三教一致説に、その立論の根拠を求めたのであるが、実は太祖のそれは民意の収攬と鎮圧を狙ったものであり、明末の思想運動とは、全く異質のものと謂うべきである。

朱子学的、多数倫理の権化と謳われた方孝儒は、流石佛教に対して、極めて厳正な批判を下している。卽ち彼は、仏教かぶれしている友人に対し――

――「君が仏教を信仰しているのは、芯からそうなのか、それとも世俗の流行に従っているのか、後者ならば自ら偽るもの、前者ならば出家剃髪、水飲、草食の生活に入るべきであらう。それが出来ないで、仏典を口にするのは、道に悖るものである」と、警告しているのである。

これは、徹底した朱子学一尊主義であって、仏教に頼らずとも、儒学は真理として完結しており、仮に仏教に帰依するとするなら、出家入道の体裁をとる方が、寧ろ良心的ではないか、というのである。

天下を平らかにし、心を治めるのには、儒教だけで事足りるのであり、それ以外の教学は無用どころか、寧ろ教界の邪魔物だということになる。

天は万物の始祖であって、物を生みはしても物から生まれるものではない。仏者としても人間に過ぎないのだから、その肉体は勿論天から生まれたものであるTER天から生まれたのに、造化の機能を自由に操れる筈があろうか。もし其の説の通りだとするならば、天は天になくて、仏者の手中にある事になる。そんな理屈があるものか。」

敏政が世評も顧みず、陸象山の顕彰に力を入れた直接の動機は、朱子歿して三百年、誰でもその書を読み、どの家でもそのその学を伝えているに拘らず――

――それがすっかり形骸化し、単なる文辞教養の学となって、儒教本来の目的から逸脱しているのを嘆き、これに生気を注入する為に、陸学を導入したのであった。

只、そのことは、従来頑迷なほど墨守されて来た教学の枠を、徐々に突き崩す事とならざるを得ず、遂に佛教にまでもに寛容性を示すに至ったのである。

明代思想の先駆者と言われる陳白沙が出現し、「宋儒の理を理をいうこと、余りに厳しさ」を憎んで、理に拘束されぬ、自然な人間へ還れと主張し始めているのも、此の頃の事である。

理を先立て、客観的理に従う事を至上命令とした、朱子学の屋台骨が揺らぎ始めたのである。理に先立つ實在とは何か、それは無垢の心、天真爛漫な心である。

敏政は、屡々「心学」という語を用いたが、正に「理学」対する「心学」が芽生えて来たのである。此の動向に決定的転換を与えたのが、王陽明である。

心学と対立する、概念の代表的なものは経学である。経学とは四書五経その他、古の聖賢によってその絶対真理性が保証された古典の内奥を探り、それを無上の行動指針とする学問である。

経学は、何よりも聖賢の言葉そのもの、又は聖賢によってその代替物としての資格を認められた。権威ある古典の絶対価値を認め、その内容を時代に即して発揚するものである。

経学は、其の本質上、古聖賢の永遠真理性を前提とするから、その独創的解釈がどんなに微細を究め、自己拡大を図っても、そこには自ずから思想的、技術的な限界があると考えられる。

何故なら、後世の学徒は絶対に政権を超えるべきでなく、超えようとする意識を持つこと自体が、聖賢を冒涜するもの身の程を弁えぬ、野望を抱くものと認定されるからである。

そこには、聖賢と経書に対する宗教的権威の承認が、要求されている譯である。儒教はまた孔孟の教えと云われるが、孔子孟子という凡人を遥かに超えた、学識と所有者の説いた完璧な、教えという意味であり、……

後世の学徒は、その教えを、自己の置かれた歴史的状況に即して、出来るだけ忠実熱心に実現する事を使命とする譯である。併し後世の儒家は、孔孟の精神を承述者ではあっても、孔孟そのものになる事を目的としている譯でない。

孔孟は、別格な存在なのである。だから孔孟の教えとは、孔孟に追随する教えであって、孔孟になる教えではない。ところが仏教では些か事情が異なる。

仏教は、仏(釈尊)の説いた教えであると共に、仏になる事を本義とする教えである。釋尊の偉大性は、彼を別格視する条件とはならないで、却って万人の成仏の可能性を、確実にさせた所に意味が認められる。

釈尊と衆生とは、本質的に平等だとされる。仏とは覚者と定義される。誰でも完全円満な覚悟を獲得するならば、覚者となる分である。

仏となる為には、煩瑣な神学理論の網の目を潜る必要はなく、寧ろその様な迂回路を避けて、単刀直入心そのものゝあり方を、調節すれば良いのではないか。

経はあくまで、「月を指す指」であって、主体は指に捉われないで、月そのものを目指すべきだという、自覚の勃興である。

今日、唯物論を奉する中国の学者は、禅や陽明学を主観唯心論と規定し、朱子学を客観唯心論と規定しているが、この規定の仕方には問題があるとしても、朱子学の特色が客観界の事物のありように、独自の眼光を閃かせている事は看過できない。

自然界たると、人倫界たるを問わず、其処には、個人の力では如何ともし難い勢いが流れており、特に社会的、国家的法度礼楽は、日々の生活を強く規制している筈である。

これを度外視して、心の自由を謳歌するのは、独りよがりの空威張りか枯木冷灰のような、諦観以外の何ものでもあるまい。

心学は、もっと謙虚に人間及び事物のありようを見詰め、具体的日常の場に於いて、妥当に行動するには如何にあるべきかを、反省すべきであろう。

そこで先ず思い当たるのは、人間の身体初め宇宙内の存在は、全て気(物質的なもの)より成り、その気のありようは、偏正清濁様々である。

その、複雑多様な脈絡と集散状況を弁えねば、客観界への働きかけは不可能だと謂う事である。主体を取り巻く客観界の仕組みは、親近なもの 疎遠なもの 根元的なもの 枝末的なものなど――

――様々に入り乱れているのであって、物事の高下軽重は「一心の直観に依って透視できる」ほど単調でもないし、甘くもない。禅は確かに、世俗よりも高いものを持っているであろう。

併し、禅者が日常生活の場に於いて、屡々非常識・奇癖・無智・無能・世間知らずをさらけ出すのは何故であるか。それは悟りと謂う一路を知るだけで、現実界の多様性を無視しているからである。

それでは主体は、どのようにして客観界の事物に接し、その是非を判断し、適切に行動するのか、それは理を通してである。この理は、ある場合には理念であり、ある場合には道理であり、ある場合には倫理である。

又、ある場合には物理でさえあるだろうが、兎も角人は、この理に導かれ、理に依りかゝり、理を媒介として、人倫の生活を営み、自然界に対応して行く。

もし、理がなければ先にも見たように、一心依って猪突猛進する以外にはなく、忽ちにして人倫の場は崩潰の危機に瀕する。

而もこの理は、主観の側から作為するのでもなく、客観の側から強制するのでもなく、主客を通じて自ずから定まって来て、恰好の地点に安定するものである。

只其の理は、公共のもの普遍妥当なものとして、その実践を主体に迫って来る、超個的な生活を持つから、天理とも呼ばれる。

朱子学に於いても、心は一身の主宰だといわれる。併し朱子は、禅のように心さえ確立すればそれで良しとするのではなく、心が理を見出し、理に即して動く時、始めてその主宰性が正しく保持できるとする。

理を軽視し、理に叛く心は、心たるに値しない。とすると朱子学の眼目は、心になくて理にあることは明らかであろう。「理は心の骨である」

心は、理と気を包んでいるが、心の死命を制するものは理である。だから「心卽理」とは言えなくて(何故ならそうすれば、心に対する理の指導性が希薄になるから)「性即理」云わざるを得ない。

(性は心の内奥にある理の貯蔵所である)こうして心は、性と情の二重構造を持つことゝなり、「心は性と情を統べるもの」と定義される。

それは、禅より見れば、一心が理(性)という重しを付けたもの、当初から分裂契機を孕む者であって、それだけ自由の幅が縮めのであろうが、――

――本来人間が、無制約・無拘束に、天地の間に放り出されているのではなく、身体を持ち共同体を構成し、国家権力や、社会的習俗に取り囲まれて生きていく以上、これらとの複雑な対応関係を無視できる筈がない。

そうした、相合連関の中に掴み得る正当な自由とは、正に理を媒介としなければ、考えられない譯である。朱子の云う理とは、日常的実践に於いて是非善悪の基準となるもの、事々物々に備わっている「恰好のところ」なのである。

朱子学で云う理は、自然界を支配する法則と、人倫界に通用する規範とが、必ずしも明確に区別されていない為に、時としてその用法に困惑を感じさせることがある。

後者を主として、これを前者に投影させるのは、儒家一般の傾向である。従って朱子の云う理は、何よりも人倫生活に於ける、是非善悪の価値判断を第一義とすべきである。

空理・空観と謂う如き、超現象的領域の問題ではない。例え実在の本質が、仏教でいうように空なるものであるにしても、其処から直ちに日常的実践場面の於ける、適正な判断が生まれて来るはずはない。

従って、空観の理を是非善悪という価値判断にすり替えることは、厳にいましむべきだと朱子は考えた。仏教で説く空理は、色即是空・空即是色なるものとして、色と空とが一如である性格を持つ。

然るに、朱子が理に対して定立した気は、理を宿すものではあるが、決して理と一如なるものではない。万物は、理と気によって構成されるけれども、理は絶対純粋なるもの(至然なるもの)である。

これに対し、気は偏全清濁様々なありようを持つものであって、理卽気・気卽理とは、絶対にいえないのである。気が理に従属するのは正常な状態であるが、理が気に従属するのは不正常な状態なのである。

この理気関係に、仏教の色空関係を当て嵌める事は不可能であらう。何故なら色と空の間には、主従関係はあり得ないからである。

明代末期に於ける、折衷的儒学者呂坤が、儒仏の相違について述べた語を掲げて置こう。「(儒教という)『道(理)は器(気)を離れず、器は道を離れない』――

――というのと(仏教という)『色は卽ち空であり、空は卽ち色である』というのとは、違っている。『器が道を離れず道が器を離れない』というのは、言わば『色が空を離れず、空が色を離れない』と謂う事なのだ。

『色は卽ち道であり、道は卽ち器である』と謂う事なのだ。儒教と仏教の区別は、正にこの卽と離の二字にあるのである」

つまりは、「離れない」と云えば、二者の間に一線が画されるに対し、「卽する」と云えば、完全な抱合関係となり、理の指導性が見失われると謂うのであろう。僧侶の

朱子は、「天下に理より尊いものはない」と云い、又「若し理がとことんまで分かるならば、自然に落ち着く」、此処に一つの問題がある。

「仏教の出家剃髪は、人倫を無視するものだ」と云う非難は、朱子を始め一般儒家が異口同音に唱える事なのだが、大方の仏教は人倫から離脱している。

一定の聖域に籠るだけで、社会的生産に携わらぬ嫌いはあるにしても、社会秩序を大きく撹乱する原因には、なり難いのではないか。

黙座澄心、念仏三昧に明け暮れる宗教団体は、格別御政道に口出しする譯でもなく、人心惑乱を企む訳でもないから、これを放置しても、儒教の流行に左程支障を来さないのではないか。


つまり、宗教は宗教、倫理は倫理と、その守備範囲さえ明確にすれば、何も目くじら立てゝ禅を赤呼ばわりする事はないではないか。

上記まで、問い詰めて来て思い当たるのは、朱子が黙座澄心よりも一段高い禅があり、その活撥な行動力を警戒せよと述べている事である。その活禅とは、大慧宗果の公案禅に他ならない。

朱子は、彼を「禅家の狭」と呼んだがこの狭とは、僧侶の本分も弁えず、貴顕士大夫と交わりを結び、御政道に口出しするのは勿論、熱塊のような悟りの威力を、歴史的現実の只中に振りかざす態度をいう。

科挙の試験を目指して、文字言語詮索に齷齪したり、僅かばかりの知識技能を鼻にかけて、官僚風を吹かす一般知識人が、この狭禅に押しまくられるのは必至の勢いであり、次々とその禅風の前に、膝を屈していったのである。

祖國危機を憂え、宋の王室への熱烈な忠誠心を抱く点に於いて、九成は恐らく朱子に見劣りするものではないであらう。として

彼は好んで「造化の功」という語を口にするが、それは「天地の造化にあやかる」と云うよりも、「自らが造化の技の主」となり、時局の難関打開に立ち向かう事を意味した。

その為には、心がその内奥であれ表皮であれ、隅々に至るまで目覚め働いていなければならない。その造化に奮い立つ心を直視し、その覚醒を齎すものが仁である。

九成は、朱子のように性即理と規定せず、心卽理・心卽仁と謂う。何故なら、心の奥御殿に性という特別保護地帯を設定する事は、性(卽ち理)を大切に保存するかのように見えて、却って理と生の現実との接触を鈍くさせる恐れがあるからである。

だから譬え九成が、朱子と同じく格物窮理と定義しているにしても、、それは朱子の云うように、一事一物に即してその理を丹念に追及して行くのではなく「造化の主」としての主体が、情勢に応じて理を掴み取りして行く、という意味合いが強くなるというのである。

それは朱子より見れば、理の仮面を被った私意という事になるであろう。だから朱子は九成を「改頭換面」(禅的な立場を儒教の言葉で飾り立てる)の輩と罵るのである。

既に見たように、朱子が禅若しくは禅的儒者と、明確に一線を画する最大の特性としたのは、天与の理と其の理を探求する為の格物致知の方法であった。

一応、現在の自己が体得している知識と力量を基にして、次々と一事一物の理を窮め、その集積が行われる中には、何時かは天地萬物を貫通する理が会得されて来る。

これが、彼の格物致知の方法である。固よりこれが可能であるのは、内にある理(性即理としての理)と外にある理とは、相一致しているという前提がある。

所で、この様な格物致知の方法が、私立し得る為には、この主客を貫く理が一定の安定した秩序体系、価値体系を擁していなければならないであろう。

でなければ、理の一貫性・連続性を、掌握出来る筈が無いからである。誰でもこの時この場に立つならば、斯く判断し実錢せざるを得ぬという、普遍妥当な理の存在が予測されている譯である。

この、公共の理を朱子は定理と名付けたが、それは奇しくも彼が一定の価値体系の存在を、認定していた事を示すものである。そして、それが又天理と呼ばれる。

其れは、個人的作為を超えた超越的権威を以て、その実践を主体的に迫ることを示す。定理・天理は、朱子学的存立要件であり、これが揺らぐ時、朱子学は根底から崩潰するの危機に晒される。

だから彼は、実在の本質は空だとする仏教の原理論を拒否するは勿論、理気の区分を無視して一超直入の入悟にいきり立つ禅を退けた。

その禅の影響下に、理を悟りのオブラートに包み、不安定な状態に置く禅被れした儒者を攻撃するのである。朱子が、その論敵陸象山を評するに、「見成格法に依らない」というのも思い合わせるであろう。

以上のように見て来る時、朱子学は理を作るよりも理に従う面が大きい。而もその理は、万人に同一の価値意識・定理認識を要求するものである。

此処に、朱子の理の哲学が、折角禅の弱点を克服し乍ら、一種のジレンマに陥らざるを得ない、原因があったのである。

全て、時代の流れに一新紀元を画する思想の出現は、従来殆んど常識化していたものゝ見方・考え方・人間観・価値観などに大幅な手直しを加える事に依って、可能である。

それは単に、個々の観念の内容に変更を加えるとか、新しい思想的素材を付け加える事を意味するのではなく、実は人間の存在基底そのものを根底から問い直し、据え直すという力学的な作業によってこそ可能なのである。

若き日の、陽明の格物論行き詰まりは、彼が当代の伝統的な倫理観・人間観・社会観などに根本から疑問を持ち、理が理としての役割を果たさず人心を委縮させ、風俗を堕落させ民生を困苦させているという。

この様な、悲痛な祖國の現状認識の上に立っていた譯である。勿論こうした弊害の打破は、朱子学の真面目な実践躬行に依っても、或る程度可能であるかも分らない。

併し、若しそこに求められる価値判断が、小手先細工を許さない、大幅な変容と革新を意図するものであるならば、最早弥縫・微温的な補修では追い付かず、寧ろ別途の方法が考慮されざるを得ないだろう。

若し、本当に自己の良知を発揮するなら、始めて平素善と思っていたことが、必ずしも善でなく不善と思っていたことの方が、正しくはないかと謂うことが、分るだろう。

朱子学者から見るならば、陽明は殊更に意を立てるもの、好んで常道から逸脱しようとするものと、眺められるであろうが、陽明よりすれば、朱子学こそ人間を本心から満足させる道より遠ざけたもの、形骸化せる価値観の中に閉じ込めるものと、観ぜられたのである。

従来、朱子学では、仏老を不倶戴天の仇のように異端視したが、陽明は儒学界の中にも腐れ根性で付和雷同したり、立身栄達の為には羞恥心を投げ遣る風潮があり、こうした現象を放置してどんなに仏老二氏を攻撃しても、相手を圧倒することは出来ない。

併し今、陽明は白沙よりも遥かに過酷な環境に、身を置いているのであった。固より龍場への流滴は他律的に強いられた運命であった。

併し、斯の劣悪な風土と文化果てる辺境は、陽明から厭でも文明人としての色眼鏡を剥ぎ取り、天与の侭の活眼で、人間を見るべきを教えた。

「配所に住み、困難に突き当たり、散々な苦労に耐え忍ぶ」とは、このことである。こうして世俗的な栄辱得失は全て超脱できたが、「生死の一念」だけは脱却出来なかったという。

この場合、「生死」と謂う事を、単に五尺の肉体の、此の世への本能的執着と取ってはならない。従前の生き様に不信を覚えながら、尚新境地への脱出路を見出し得ない。極限状況に追い詰められたものゝ、遣り切れない苦悩をを象徴するものが、此の「生死」の二字であろう。

理は分別意識だから、悟りの障礙となると頭から抑えつける禅家の主張は、決して正当ではない。理なければ人は生きて行けず、理なければ社会は存立しないからである。

理は固より、私意によって作りなされたものではなく、却って公理として個人を超えた面を持つべきである。理の公約性格を無視すると、人は功利打算の徒となる。

併し、理の客観的定立性に寄り掛かって、これを習慣的に順奉する時、理は生命を失い、心は活力を奪われる。その果てには、所与の理さえ踏まえておれば、善美であるという形式主義、偽善主義が蔓延るに至る。

そこで、理の客観性超越性は、再検討を迫られる。理を肯定し理を創造するものは、他者でなくて自己であり、主客一体・物我一如なる心でなければならない。

物を離れ、物と対立する心でなくて、倫物感応の場に即した心である。知行合一とは、目の前に知と行とを並べ、この両者を結び付けようと謂うのではない。

それは、既に心の立場から、遊離しているからである。何よりも先ず念頭に置かなければならぬのは、知も行も心の知であり、心の行であって、両者の結び付く地点は、この一心を措いて他にはないという事である。

知行合一とは、知を支える地点としての心と、行を支える地点としての心とは、別体・別在するものではなく、時空を超えつゝ而も念々不断に現在化している絶対一如態(良知)の自己限定、自己展開だという事なのである。

斯のように、知よ行とを常に同処同時に包み込み、而もこれを自由に操って、その機能を存分誠実に發揮させるもの、それは本来一如なる心を措いて他にない。

「知の真切篤実のところが行であり、行の明覚精察のところが知である」然るに陽明の云う知は、正に客観的事物に即する理を探求するものなのである。

又、禅で云う禅定は、動静に変らぬ心の安定を図るものではあるが、具体的な人倫の場に於ける行為ではない。然るに陽明の云う行は正に社会人としての、積極的な行動そのものである。

陽明学が、心学としては善に類似した顔を持ち乍ら、その内実には朱子学の遺産たる客観界の条理尊重の見解を受け継いでいるからである。

朱子が、禅を討つ武器として用いた理と謂う概念を、陽明は彼なりに掌握しようと腐心した譯である。つまり陽明は、心学と理学とを総合した立場を創出したのである。

其処で陽明は、その心学の要となる心を、儒かもふら教(孟子)の言葉に置き換えて、良知と呼んだ。それは朱子学からの「禅である」という非難をカモフラージュする為の便法ではなく、正に百死千難中より体得した独自の心学を標示する、格好の術語だったのである。

それでは、其の良知に於いて理は、どのように掌握されるのであらうか。理学に於ける理は、前にも述べたように客観的な定理として、主体に先立ち主体を促し、主体にその実行を命ずるものであった。

併し今、心学としての良知は、自ら先立ち、自らに、命令する理を認める譯には行かない。それは良知の自滅に繋がるからである。知行合一の主体としての良知は、客観界の起伏遠近に直向きな目を向ける。

否、客観界の起伏波瀾が、其の侭良知の鼓動と言って好いだろう。その高く低くうねる海潮のまにまに、良知は自らの有様動き方、身のこなしを定めて行く。それが良知の理と謂うものである。

主客を貫く場全体に即して、其処に已むべからざる価値判断を下しつゝ、自己を充足し、自己を発展させて行く。其の良知の軌跡が理である。

「知良知」(良知を致す)とは、朱子の云うように、外部に向って知識を拡充し探求するのではなく、行為の場を荷う良知そのものゝ潮位を高め、より鋭くより的確に状況を見定め、決断を下すことに他ならない。

「心の物を正す」とは、心を既成の規範に嵌め込むのではなく、心(良知)が襟を正して、俯仰天地に愧じない判断を下すことである。

天下の事物は、千変万化極まりないのに、其の理を追いかけて奔命に疲れるよりも、「吾が心の良知一念の微」に於て察した方が、遙かに効果的である。と陽明は云う。

陽明の、この考え方を突き詰めて行けば、理は良知に於いて創造される。と云わざるを得ないであろう。(陽明自身はそうした言葉を使用していないけれども)門人龍渓は次のように解した。

「良知は1箇であって、その発現し流動するまゝに、直下に充足し、全く去来することもなければ、何かに依存する事も無い」という言葉は、正に良知がそうした機能を持つことを、宣言するものであらう。

併し、これを朱子学の側から見れば、良知にそれだけの絶大な機能を与えること自体、禅の一心万法論と実質的に変わりはなく、儒教の仮面を冠った禅である。と謂う事になるであろう。

何故なら、良知説では到底理の安定性は得られず、良知の欲する儘に身勝手に操作され、黒を白と言いくるめる事も許される事となるからである。

良知の創造する理が、私意にも基づかないという保証は、何処にもないのではないか。これは陽明の在世中から、絶えず投げかけられた疑問であり攻撃である。

良知に、何の歯止めも掛けないで、一切を任せきりにするのは危険ではないか。そこで作りなされる理は、口先だけのもので、何等客観性・公共性を持ち得ないのではないか。

これこそは、禅以上に悪質な心学である。これが朱子学者一般の言い分である。陽明の良知説は、内に向っては、些かの欺瞞退嬰を許さず、外に向っては毀誉褒貶を物ともせず自己実現に邁進するものであった。

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  • 最終更新:2022-10-19 12:55:51

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