第三章 言志録(ハ、王陽明に学ぶ)

修為があくまで、持続的であらねばならぬといふ事の外、持続的である為には、強い忍耐と共に、非笑毀謗等一切の外的刺激に対して、一々神経質な反応を示したり、或は失敗を忌む余り、之を矯飾したりする事なき自主的精神、謂わば、一種の狂者的精神も必要である。

狂者的精神を説き、抜本塞源論を立てた王陽明は、今や内面的には泰山の高きより、平地の大を理想として、進みつつあった。

堯舜は、生知安行の聖人であったが、猶ほ且つ兢々業々として、困勉の工夫を用ひた。我々は、困勉を待たねばならぬような資質であるのに、若し悠々滔々として、坐して生知安行の成功を享けよう等、考へたら大間違いではないか。

凡そ工夫は、只だ、簡易真切でなければならぬ、真切であればある程簡易となり、簡易であればある程真切と為らねばならぬ。

必ずしも、自己を信ずる者の多きを求めないが、然し倶に斯道を荷って天下の陥溺を救ふべき同志だけは、求めねばならない。

病勢が、かうまでなっては、所詮助かるまい。それが未だ死に至らぬのは、只、気力だけである。

真実の徳功は、決して権奸の威力を以て、厭制し切れるものではない。偽学の禁は頗る厳重であったけれども、門人等は得失栄辱も顧みず、到る處に徒を集め師を祀って、遺教の宣揚に努めた。

陽明学派の活動は、偉大な指導者の死を契機として、一種悲壮なる拍車が駈けられた。泰山と仰ぐ師陽明は、既に幽明境を異にして、再び教言を請ふ由なかったけれども、其の崇高なる精神は、全て門下の胸裏に脈々と不滅の生命を躍動し続けて行った。

彼等は、在世中の師がさうであったように、思想界においても、朱子学派の頑強な拒否抑圧に遭遇し、引いては官界に於いても不遇であった。

然し彼らは、「毀謗は外より来るもので、聖人と雖も免れない。人は只だ、自らを修めてゆく事が大切である」といふ、師の教言を体し又、一切の毀謗圧迫を反撥して只管、所信を発揮提唱して已まなかった。師の堂々たる風格を偲びつつ、鋭意求道講学に邁進した。

生前の陽明は嘗て、一部の経書も纏って講じた事はなかったし、又特にこれといった体系を示した事もなかった。それのみか寧ろ「経書は実は自己の注釈である」「聖人の教学には定説成訓といったものはない。病に応じて薬を投ずるが如きものである」とまで言った。

そして、その代わりに「諸君は何よりも先づ、聖人たらんとの志をたてよ、而して時々刻々、暍棒鉄拳を喰らは去れたように緊張し、真剣になってこそ、余の話を聞いても実になる」等と警責しつゝ教へた。

それは「理を外物に求めず、心に求めよ」「現実を離れた徒なる智識の集積や、あてどない思索の継続が、真の学問なのではない。知行合一でなければならない、事上に磨錬せねばならぬ」。

孔子は、過去の存在でもなく、超越的なものでもなくて、実は、現在自己の心に宿っている、良知がそれである。

我々は、今からその発端を把捉して、之を拡充発展させてゆけば、軈ては必ず孔子に成れるのだ。といふ簡単な事だけで、後は一切、聴く者の発明体認如何に賭けられた。

職業的な学者・教育者ならぬ陽明の教言は、いつも此の如く聴けば簡単であるが、その後には、自ら自己に求め自己によって、解決されねばならぬ問題が、残されてゐるのであった。

陽明に学ぼうとしても、生易しい仮初めの気持では、何の得る所もなく、血の出る様な鉄拳を喰らわされた時にも似た、気持でなければならなかった。今も実は此処に或る。

陽明について行った人々の心理思考も自ら明瞭である。彼らは必ずしも営利聲利を壓はしく思ってゐた訳ではない。又必ずしも世の非笑毀謗に無神経であったわけではない。
おとしての
只、毀誉得失に浮沈することなく、しっかりと根を降ろして時代を意識し、現実を活き抜こうと冀って已まなかったのである。

明時代に入って、所謂陽明学の出現と盛行を見るに至って、儒学は一段と豊かな、内容的進展を打ち出すに就いて、一面に於いて却って、所謂宋学との多様な思想的交渉を、一層複雑微妙ならしめたと、見られることである。

陽明学も亦、宋代学者の儒学、随って又、朱子学と全く同様に、学ぶ者としての人間的自己の「聖化」を根本的に志向し、且つその聖化を可能であると、決め込んでゐることを知る。

陽明の為学上の功夫が、「人欲の減」にリゴラスに集中されると云う点に於て、朱子の場合と全くその軌を一にするという事である。

この事は、天理と人欲の関係を、相対的ではなく矛盾対立的とみて、体験的には戦いとして、受け取ることを意味する。

六経は、吾が心の記籍であって、六経のの実は吾が心に具わる。

この体は即ち、所謂道心である。体が明らかとなれば即ち、道も明らかであって、更に二つはない。これが学を為す頭脳の処である。

陽明学は、学問の所謂「大頭脳」(道心)の主体的自得に、集中的な力点を置く事を意味し、その結果として、学問の具体的な体系的展開を第二義的とみて、之を軽視し去るという事である。

この意味で、経典の解釈よりも、学問者の体験自得の方法を、優勢ならしめる事は、学問について、その理論的な体系的構築の道を、閉塞せしめるに至って、遂に陽明学は、究極的には「自慊」とか「悟」の学となり、禅学に著しく接近するといふ印象を受けるのである。

博く之を学び、審らかに之を問い、慎みて之を思ひ、明らかに之を弁じ、篤く之を行ふ。

学問思弁を以て、天下の理を明らかにするのでない時は、則ち善悪の機も真妄の弁も、自ら覚ることが出来ずして、情に任せ意を忽せにして、その害は、言うに勝えゝないものがある。

天下に、どうして行わずして学ぶ者があろうか、どうして行わずして遂にこれを、理と窮めると謂ふことのできる者があろうか。

朱子学では、先ずその精察の対象は、人間の内にあるものと、外にあるものとを含めた、一切の事々物々であることが、ここで想起される。

そして、陽明はその精察に関して、始めから、内と外とを二つに分けて見る立場を、頑強に一貫して拒否するから、彼の学問は、朱のとる方法上、内と外との二元論的見方からの、程明道的な、否定的超越の立場を取ると解せられる。

陽明学は、朱子の窮理的精察を、その周子的な内面化の方向に、謂わば、主観主義的に推し進めるところに、成り立つと見られる。

従って、陽明が朱子学に対して持つ不満の要所は、朱子が万事万物の理を、自己の内なる内面的の心に即して求めずに、広く外なる天下に、即物的に求める所に見ると解せられる。

意を誠にする事が、その極限に於いて、そのまま「大学」の所謂至然に達する。己の内に動く意念の事に即して、それを一定の仕方で誠にしさえすれば、すぐさま立ち処に人間にとって、可能なる限りの、至然の境地に上達する事が出来る。

誠意を以って主と為せば、即ち敬の字を添える必要がない。

即ち朱子学は、何処までも下学する「中人」の上達に向かう、斬新的な進歩を可能と見る様な、むしろ却って、その中人の進歩の為の進歩の学である。

之に対して陽明学は、この上達への斬新的過程の一切を一挙に飛び越えて、極めて「簡易」に、一躍その上達の極限を把握しようとするものである。

人が若し、真実に己に切にして功(=克己の功)を用ひて已まない時は、則ちこの心に於いて、天理の精微も日一日と見え、私欲の細微も亦、日一日と見えるであろう。

若し、克己の工夫を用ひなかったら終日、只、説話するだけであって、天理は終に自ら見えず、私欲も亦、終に自ら見えない。

今人巳知の天理に於ひて、肯て存せず、巳知の人欲も去らずに、且つ、只管に尽く知る事の出来ないことを愁へて、只管に問講しても一体何の益があろうか。

暫らく、自己に克ち得て、私の克つべきものゝない事を待って、その時に尽く知る事が出来ない事を愁えても、亦まだ遅くはないのである。

朱子が、極めて重視する「敬」を、前述のように、陽明が無用として抹殺するのも、敬だけでは到底「百邪に勝つ」事が、出来ないと見たからである。

僅かに、一毫の非礼の萌し動く事がある時は、則ち、刀の割くように針の刺すように、忍耐して過さずに、必ず須らく刀を去り、針を抜かねばならない。

如何に、その克己の一事が、至難の事であると感知されても、人欲を克治せずしては、天理に循って自己を聖化する事など、できる筈もないとする。

凡そ、意の発する所には、必ずその事がある。意に在るの事を物と謂ふ。格とは正すことである、その不正を正して正に帰するといふ謂である。

(そして)その不正を正すとは、悪を去るという謂である。この意味の格す→去悪を実際に「尽くす」ならば、然る後に吾が心は快然として、復た余憾なく自謙(=嫌)する。

そして、然る後に意の発する所のものは、始めて自欺がなくなって、これを誠と謂う事が出来る。

世儒が人を教えるのに、事々物々上に尋討せしめるが、これは却って根本のない学問である。その壮んな時に方っては、暫く能く外面を修飾して、過ちのあるのを見ないと云っても、老いては精神が衰邁してしまっては、終に放倒するであろう。

譬えば、根のない樹を水辺に移栽するようである。暫時は鮮好であるといっても、終には久しくして、憔悴するであろう。

人間の道徳を、先ず人心の場面で取り上げて、特に「意」(意念の発動)に内省の眼を鋭く傾注して、その発動の仕方の「不正」をすぐ悪と識別し、この悪を現実に且、真実に去る一点に功夫を集中する。

そして、その巨悪の現実的にして、真実的でありうる根拠を求めて、それを彼は、彼に特徴的な「悪」という情の力に、体験的に見出すのである。

良知はこれ是非の心である、是非はこれ好悪である、只、好悪は是非を尽くす。意念の発する所、吾の良知は既に、不善と為すことを知る。

(然し若しも)それをして、能く誠ならしめずに之を悪みて、而も又、踏みて(その不善を)為すときは、則ちこれは悪を善と為し、その悪を知る良知を、自ら昧ます事なのどのゆおうなである。

そのようなことは、これを知ると云っても猶、知らないのである(そのようなことで)どうして意を誠ならしめる事が出来ようか。

今、良知が知る所の善悪なるものに於いて、誠に好み誠に悪むときは、その良知を自ら欺かずして、異は(これを)誠にすることが出来るのである。

こうして、彼の道徳観の根本は、今の場合、意念の現実的にして、真実なる誠である事を以て、自慊し得る至善と見る所にあると云える。つまり、人間道徳を心意の道徳性の方向に、内面的に深め且、純化して掴むと解せられる。

この点において、朱子が「誠」を「実理」として主知的に把握し且、礼と結びつく「持敬」に、道徳性の根本を安置するに比較して、一段とそれを内面的な深化純化の方向に、発展せしめたと見る事が出来るであろう。

心は一つである。又人に於て雑わらないものを道心と謂い、人為をま雑えるものを人心と謂う。人心がその正を得た者は、即ち道心であり、道心が正を失った者は、即ち人心である。

(しかし)初めから二心があるのではない。程子は人心は即ち人欲であり、道心は即ち天理であると謂う。語は、分析するようであるが、意は実に得ている。

(ところが朱子が)今道心が主となって、人心は(その)命を聴く曰うのは二心である。(しかし)天理が主と為って、人欲が従って命を聴くものがあるか。

彼は、動く時も静かな時も、意識される念々の人欲を潜伏する「痛病」と実感して、これを克服し、「絶去」しようとするのである。

従って学問意識は、此処だけを見ると、周子と同様な内面道徳的な色彩を強めて、外を去って只管深く内に傾注されて行く


このような学問する姿勢は、朱子が外在する広汎な事々物々を、その学問の対象としてもつ態度と、著しく対象的であり、寧ろ全く正反対の方向を採るともいえる。陽明学が、道徳主義的な、主観唯心論と見られる所以である。

朱子では、理と道と性を体となし、気と器の情(人欲を深める)を用となし、且つ静を体・動を用と見る。

そして、心を性・情を兼ねると見るから、心に於いて、体と用・静と動とがダイナミックに交換すると、見るのである。

心の本体は、即ち天理である。天理を体認するには、只、自らの心地に私意のない事を要す。

朱子と比較すると、学問と人生に対処する朱子の基本的な姿勢が、「中行」の現人を志向して斬新的な進歩を狙う、持敬に存する事を想起するのである。

換言すれば、朱子は中人の進歩を通じて、狂者の生き方を原則的に拒否する。

この善念は、樹の根芽のようである。志を立てるという事は、この善念を長立するばかりである。心の欲する所に従って矩を踰ないと云う事は、只このような志が熟処に到った事なのである。

孔子は、気魄が極めて大で、凡そ帝王の事業は、一々理会しない処がない。只(これは)かれの心上から来るのである。

譬えば、大樹にも多少の枝葉があるようであって、これは、根本上に培養の工夫を用いたが故に、能くこのようである。これは、枝葉上から功を用いて、根本を倣しえるのではない。

己の意を、現実的に且真実的に誠にすることは、この万物一体の仁を行為的に、実現するに耐えゝようが為であって、誠意そのものを自己目的化するのではない事が、此処で注意されるのである。

朱子の場合も、其の無対象的な敬の道徳的心術は、それ自体、決して自己目的でなく、衆人との「中和」の世界を、自己として実現する為の不可欠の、主体的条件であるに過ぎなかった。

衆人との「中和」の世界を、自己として実現する為の、不可欠の主体的条件であるに過ぎなかったのである。

只、陽明の場合は、天地万物と吾との一体の仁の実現というような、非常にスケールの博大深遠な、究極目的を予め敢えて定立するが故にこそ、それとの関係においてその吾を、反観内省する時、勢いどうしても、誠意中心のリゴリズムに入って行かざるを得なかったのである。

吾が心と晦庵(朱子)心とは未だ嘗て、異ならないのである。

人生の大病は、只これ一つの〝傲〟のじである。子と為りて傲れば必ず不信である―――諸君は常にこれを体するを要する。

人心はもと天然の理であって、精々明々繊介の染着もない、只これ一つの無我のみである。胸中切に有(=有我)であってはならない。

有なれば、即ち傲である。古先聖人の許多好処も、又只無我のみである。無我なれば、自ら能く謙である。謙は無善の基であり、傲は衆悪の魁である。

性と道とは同じであると云っても、而も気稟は異なる。それ故に、過不及の差がない訳には行かない。(それで)聖人は、人と物との当に行くべき所のものに因りて、以って法を天下に為し、則ち、これを教と謂うのである。礼楽刑政の属の如きがこれである。

天地の気機には、元々一息の停まるところがない、然し乍ら箇の主宰がある。それ故に千変万化するとも主宰は常に定まる。

主宰が定まる時は、天運と一搬あって不息であり、不変に酬酢しても、常に従容自在であって、所謂、天君泰然である。もし主宰がなかったら、この気は奔放する(こうして尋常の意志が)多忙とならざるを得ない。

元々禅は、人倫を棄て物理を遺れて、天下国家を為める事が、出来ないものである。

抑々志は、気の師であり人の命である。更に、気の根であり水の源である。

道徳に志す者は、功名はその心を累わすに足らない。近世の所謂道徳は、功名のみである。

功利の心を存しめる時は、日に道徳仁義を談じてもそれは、只功利の事である。志さえ堅定すれば、勉習挙業も聖人の学を防げない。

本心の明皎は、白日の如くであって、過ちが有って自ら知らない者が、有るという事はない。只改める事が出来ない事を患えるだけである。一念過ちを改める時は、即ち本心を得る。

最早、聖人は外に趨望され、私淑さるべき存在ではなく、内に求めらるべきものであり、更に進んで、実は本来、聖人は吾が本心の中に、恰も白日のように、内在する筈のものである。

人間、各自のもつ気質の根強い旧習(=悪)も、一度良知の光に当たると、すぐさま雲散霧消すると見てしまうのである。

こういう見方は、リアリストからいふと、著しくロマンティックという印象を与えるであろう。但し陽明の信じる良知の霊力は、その主知たる霊力に於いて、彼が孔子に見た「気魄」でもあると思はれる。陽明学は気魄の学であるともみえる。

人間の現実の良知は、敢えて勉めて道徳的に行為することによって、次第に確かなもの、完いものへと仕上げられてゆくと、みることもできるであろう。

こうして行は知を成すとは、道徳的行為の持続が良知を完成すると、解する事も出来るであろう。つまり、道徳的な意味で、日常努めて息まないと言うて、その事が始めて人間存在の場所で、体験可能の良知を完成して、完々の良知を有的ならしめると見るのである。

そう解すると、今や此処での問題は、凡そ、敢えて勉めて人間は、道徳的に行為するのであるか、それともしないのであるかの問題となる。

吾輩の功を用うるのは、ただ日に(人欲が)滅することを求めて、日に(それが)増すことを求めないのである。

一分の人欲を誠じ得れば、便ち、一分の天理を復しえるのである。何という軽快脆酒であるか、何という簡易であることか。

実は、今日陽明学を問題にして取り上げる場合には、最高段階の致良知的な知行合一だけを、大きく且主として拳揚げする事は、その結果として、大概の常人的人間にとって、可能的に接近しうると思われる道程を、閉塞してしまう外はないと思われる。

陽明が、人間各自の身に染み付いた「気習」の問題を、正に主体的に己の問題として取り上げて、厳しい内観反省の立場をも導入しながら、人間の道徳的成熟に大きな、云わば、人格的価値を認める考え方は、この段階論の教示する、一つの重要な道徳思想であると思われる。

真の道徳的行為は、その全体性に於て、高次の知行合一的行為であると見た上で、その一つの全体的行為を構成する、知と行二つの契機の本質的な特徴を解明した。

その知は、精察明覚の知であり、その他のものではあり得ず、その行は真切篤実の行であり、その他のものではあり得ない。

良知の知は、対象的に感じて知るとしての感知をも包括し、感覚器官の末端まで、作用的に浸透し得ると見て、此処にこそ却って一気の流行の「最も精しい処」を即ち、その「精一」であり得るところを見るのである。

そして、次にこの精一なる良知の発生の作用が、「これ順応して滞る事がない」とするから、吾が心の良知は、吾ともと一体であるところの万物と凝滞なく、スムーズに順応すると見るのである。

仏家が、虚を説くのは養生の上からであり、仏氏が、無を説くのは生死苦界を出離する上からである。(しかしこれは)却って本体上に於て、些かの意思を加えたのである。

便ちこれは、彼の虚無の本色ではない(従ってこれは)便ち本体に於いて障礙がある。聖人は只、彼の良知の本色に還って、更に些かの意をも著けない。

己の、良知の作用に排他的に固執して、己の為す是非に「意を著ける」となれば、そのような人と万物のとの間には、最早本来的な一体関係は見喪われる。

従って、又その一体に於ける順応関係は、忽ちにして破壊されてしまうと、見るに相違いなかろう。

微かに、気を動かす処が有るのを見て、即ち知良知の話題を提起して、互に相規する事が、切でなければならない。自己の良知の蔽塞を、深く恥ずべきである。

今人は、多く言語を以て人を征服できないとか、意気が人を陵ぎ得ない事等を恥とするが、これは、恥ずべきではない事を恥じるのである。

今天下の事勢は、沈痾積痿のようである。望む所は起死回生するものが、実に諸君子に在るという事である。併しもしも、自己の病痛をまだ能く除き得なかったらば、一体どうして能く天下の病を療得しようか。

須らく己私を克去して、真に能く天地万物を以って、一体と為せねばならない。(こうして)実に天下を康済し得て、三代の治を挽回することが、方に聖明の君に負かない事なのである。

良知は、その最高の段階に於いて、元々万物一体の仁と云う、天理の明覚に関るからこそ、その良知の霊覚を蔽塞するという、いわば人間学的事態が実に重大にして、決定的な修己の問題となると解せられる。

良知の蔽塞を自己に於いて、深く恥ずべしという所以である。陽明自身「吾が心の良知」は「天の霊に頼りて悟った」としながらも、しかもその悟得の後でも、彼自身は己れの気習と悪戦苦闘したと思われる。

一天の霊に頼りて、偶々良知の学を悟るところがあって、先の為す処を航海した。固よりまだ禍機を包蔵して、外に作為して心労は拙い者であった。

十余年来というものは、痛く自ら洗って、創艾を剔すといっても、病根は深くて痼時に生ずるものであった。しかし、良知は我に在ってその要を痼蘖は時に生ずるのであった。

しかし、良知は我に在って、その要を操得する事は、譬えば猶舟が舵を得る様であった。――抑々、旧習が人を溺らせる事は、己に覚悟して悔いてもその克治の功が、尚且つ困難である事はこのようである。

益して、況や(旧習)を悟らずして、日に益々(旧習に)深まる者は、亦何の抵極する所があろうか。

良知の外に更に知はない。致知外に更に学ばない良知を外にして、知を求めるのは邪妄の知である。致知を外にして学となすものは異端の学である。

凡そ、鄙人(陽明)の所謂致良知の説と、今の所謂体認天理の説とは、本は亦、相遠い事は無いが、只直截と迂曲のさがある。

之を種植に譬えていうと、致良知は、その根本の生意に培って、これを枝葉に達するものである。体認天理は、その枝葉の誠意を茂らして、これを根本に復する事をも求めるものである。

然し乍その根本の生意に培うのは、固よりこれを、枝葉に達する事があるからである。その枝葉の生意を茂らせようと欲するものにして、亦どうして能く根本を舎て々、別に生意を枝葉の間に、茂らせる事の出来るものだろうか。

近時同志も亦、既に、致良知の説がある事を知らない者はない。然し能く是に於て、実に
工を用いる者は絶えて少ないのである。

(これは)皆良知を見得してまだ真でない事に、縁って又、到字を看て甚だ易しとしてしまうからである。

心の良知は、これを聖と謂ふ。聖人の学は、只この良知を致すのみである。自然にしてこれを致す者は、聖人である。

勉然として、これを致す者は賢人である。自蔽自味して、これを致さない者は、愚不肖である。(但し)愚不肖なる者も、その蔽未の極みにあっても、良知は未だ嘗て、存しないということはない。

(それで)苟も能くこれを致せば、則ち聖人と異なる事はない。これが、良知は聖愚の同じく、具する所以である。

又人は、皆堯舜と為る事が出来るのも、この為なのである。この故に、致良知の外に学ばない。(しかし)孔孟すでに没してから、この学は、伝を失うことが幾千百年であった。

(ところが自分は)、何等の玄妙ぞと思った。しかし今看るに原・これは人々が自ら有するものであって、耳は原・これ聡であり、目は原・これ明で、心思は原・看知である。

聖人は、只一にこれを能くするのみである。その能くする処が、正にこれ良知である。衆人が能くしないのは、只この知(=良知)を致さないからである。(このことは)何と明白簡易なことであるか。

今、途人を執って、仁義の事を為す事を告げると、皆能くその善である事を知るのである。凡そ不仁不義の事を告げると、皆能くその不善である事の知を知る事を致して、必ずやこれを為さない時は、則ち知は至るのである。

もしも、その不善である事の知を知る事を致して、必ずやこれを為さない時は、則ち知は至るのである。(このように)決してこれを行う事が、致知の謂である。これが吾のいわゆる知行合一なるものである。

この(四句宗旨)は、徹上徹下の語であって、初学から聖人に至るまで、只この功夫のみである。初学はこれを用いて、循々として入るのである。

聖人に至ったと云っても(この功夫を)窮究して尽きる事がない、堯舜の精一の功夫も亦、只このようであるばかりである。

二君は以後、再びこの四句宗旨を更めてはならない。この四句は、中人の上下にも接着しないという事はないからである。

自分は年来、幾番教えを立てゝ来た事か(しかし)い今始めて、この四句を立てるのである。
扨て、人心に知識があってからと云うものは、巳に習俗の為に染められるものである。

(従って)今、他を教えるのに良知の上に立って、為善去悪の功夫を用いずして、只想いをこの本体に懸空するようでは、その為に一切の事は、倶に著実しないのである。

この病痛は、抑々小ゝではない、早く説破せねばならない。聖人と雖も「知覚」を離れるのではなく、渇すれば水を餓えれば食を欲する。

陽明学は、形而上学的な思弁的本体論ではなく、実践的功夫論、事物に即した主体的作用論であると見られる。

哲学と見る場合は、それは、本体論的思弁哲学ではなく、宇宙的規模に於ける、即物的実践的哲学である。

このような、陽明学の背後的地層には、当然乍ら人間の「気習」と、社会「習俗」に対するッ鋭い認識と批判がある事も、充分注意せねばならない。

只、気習と習俗に関する議論が、彼に於いては主題となって、その学の表面に出ないだけである。

彼が、主張して已まない前述の「立志論」は、凡そ人間に避けようもなく染み付く、このここで気習と習俗の根強さの充分なる認識を、踏まえた上での主張である事を、此処で改めて想起せねばならない。

こうして、客観的妥当性を要求する陽明学は、「知行合一」を基礎づける処の「致良知を」を原理とする、実践哲学であると見なければならない。

其の道を尽くして死する者は正命である。桎梧けて死する者は正命ではない。若し、汝の心が無かったならば、便ち耳目・口鼻はない。

所謂汝の心は、亦かの一団の血肉ではない。若し、かの一団の血肉であるとするなら、今巳に死んだ人も、かの一団の血肉は還って在るのに、何に縁って視聴言動する事が、出来ないのであろうか。

(こうして)所謂、汝の心は却ってかの能く視聴・言動するものである。(そして)これは便ち性である。便ちこれは天理である。この性があれば、僅かに能くこの生理を生ずる。

便ちこれを仁と謂う。(そして)この生理が発して目に在ると、便ち視ることを会くし、発して耳に在ると、便ち聴くことを会くし、発して口に在ると、便ち言うことを会くし、発して四肢に在ると、便ち動くことを会くする。

全ては只、かの天理の発生である。(こうして)その一身の主宰たるを以っての故にこれを心徒謂うのである。

過去を追憶せず、未来を期待せずして、時々の「今」としての現在に耳目となって働く、それが良知である。

陽明好んで、良知を一塵も止めない明鏡に譬えるが、照らそうとする意なくして、万物をその個別的真相に於いて、照らし出すところに、知るなくして知る趣きを見るであろう。

「万物一体の仁の世界」と云うようなものは、固より人己物我を分けて二つと見る、常人の日常的立場には隠蔽されるが、この二分観は元々自己の躯殻の生に執着する事から、起こるとせねばならない。

それで、この執着を断ち切る事が、陽明の場合万物を以って一体と為す、大人=君子の学にとって、決定的に重く求められる筈である。

そして、この執着の切断を可能ならしめるものが、外ならぬ儒教に独得な知命→至命の見方であると思われる。そして、この至命が「朝聞夕死」というように、道を主体的に死守する事を通して万能になり、確実となる。

致良知そのものを、究極的に自己目的化せずして、却って成敗利純を超える自慊の境地が致良知の功夫を求める目標である。

それで、自慊の境地に入る為にこそ、吾が心の良知を事に即して、致すのである。

死すべくして死する覚悟を貫くのも、所詮は、安全不動の境地を求めるからである。良知は相対論的な是非の心ではなく、少なくとも、為善去悪を可能ならしめるところの「義」を一義的に明覚するものである。

その意を誠にするとは、悪臭を悪むが如く、好色を好むが如し。これを自謙(慊)と謂う。

自慊とは、たゞ只管に事に即して、義に合う事を好むばかりりで、外に何ものをも求めない境地であり、更にそこでは、最早敢えて気力的な鼓毎もなく、又精力の困憊に困しむ事もないのである。

善は便ち存し、悪は便ち去って、このように何等の穏当快楽である事か、これが致知の実功である。

集義の工夫を養い得て充満すると、それは縦横自在で活潑潑地である。

吾が良知の知る所のものが、少しも虧欠障蔽する事が無くして、その至を極めて、然る後に吾が心は快然として、復余憾なく自謙する。

こうあって、意の発する所のものは、始めて自欺がないから、これを誠と謂う事が出来る。

憂・苦・迷の中にあっても、而もこの〝楽〟は其の中に存しないということはない。

今、誠に豪傑同志の士を得て、共に良知の学を天下に明らかにして、天下の人に皆自らその良知を致すことを知らせ、こうして相安んじ相養って、その自私自利の弊を去り、讒妬勝念の習を一洗して以って、大同を済さしめた時には、則ち僕の狂病は固より、脱然として癒えて、終に喪心の患をも免れるであろう。豈に快ならざんやである。

致良知の学は、天下の「豪傑同志の士」の学ではなくして、自己の聖化を強く志向する君子の学である。

自足自慊の境地は、能く狂に走る事を止める作業をし、自慊の境地を自得しない場合は、世俗を超脱する立場から、一直線に狂に至り得る狂は、まだ道を得ない。

謙は、象善の基。傲は、象悪の魁である。

この心を窮めるには、それは忠信廉潔では君子に媚び、同流合汚では小人に媚びる所以をしるのである。それではその心(=良知)は、既に破壊したのである。それ故に、与に堯舜の道に入る事は出来ない。

儒学というものは、何処までもその根本骨格において、「修己治人の学」である。

儞に真に、聖人の志が有るなら良知の上において、更に尽くさない事がないであろう。(もしも)良知の上に些かでも別念を留めて掛帯するならば、便ち必ず聖人と為るの志ではないのである。

何故に一体、立志を左程まで重く見るのであろうか。私はそこに、陽明による当時代の鋭い時代批判と、もう一つは、人間の「習気」の克服し難きの、重苦しい体認があったと推測する。

前者に就いては、彼は時代の通弊を、貨色声利を外求するとしての「功利」と、一語で厳しく見做して、当時の官僚は言うまでもなく、朱子学者をも功利の徒と見る。

更に進んでは、自分の良知の学は、些かも「効験」を外求しないとする程である。このような時代批判は、その勢い趨くところ、遂に、ラジカルな起死回生の士業にまで到るようである。

次に人間銘々の習気は、一方この時代の病弊に久しく、汚染して成ったものと見られ、他方銘々が、己の軀殻の外面に執着する事から、発生すると見るのである。

こうして、孔孟の聖門の学を継ぐ程の者は、その為学の出発点に於いて、必ずやこの時代の通弊と己の内なる習気=習心という外内二つの病毒に向って、敢然として勇気を揮って、戦うの覚悟を堅持せねばならない。

この場合陽明は、人間銘々の「功利心」に、この二つの病毒の複合を感知するが故に、先ず以って「修己」の決定的重要性を強調する。

それで、上の覚悟の重点は、修己の側面に傾斜して、修己の覚悟となる。この覚悟が「立志」の「立」と解せられる。

宋代の儒学が既に、周子によって「聖を希う」という、根本志向を明確に継承して行くが、陽明に至るとこの志向は一段と主体的に強化された。

今や、単なる聖への希求に止まらず、自ら自己聖化を通して、「聖人となる志」にまで昂揚し凝結して、前述の覚悟と不可分的に結びつく。

そして既に、自己聖化の根本志向を全生涯を貫いて、確立するに及んで、前述の時代の病弊と、己の内なる習心とに対する、道義的な否定的批判は、些かも容赦する事なく、一段と厳しさ烈しさを増すに至ったと解せられる。

それで、この一点の志向に着眼する時、陽明学は儒学に伝統的な「修己の学」を、その主体性の方向にラジカルに貫くという、根本性格を持つと見られる。

気質の問題は、張朱二子も自ら重く人間問題として抱え込むが、陽明の場合は、その問題の取り上げ方が、一段と真剣味を帯びて来た。

人欲の習気の謂わば、極微をさえも拂拭し去らねば已まない、といった調子まで印象付けられるのも、了解に難くはない。

そして、この徹底した主体的修己、つまり、自己の心意の道徳化の辿り着く方向に、晩年顕著に表はれる「心体」の見得の立場が成り立つと思われる。

今や、聖人の学としての陽明学は、天地万物と吾とを一体と為しえるような「仁者の良知の学」と見る事が出来る。

、それでその学は、凡ての学ぶ者に対して、自ら仁者と成って現実の歴史と社会の中に、この一体の仁を実現するという、根本課題を架する筈である。

そして、この根本課題を彼はすぐさま、治國平天下に関するものと見るのである。従って学ぶ者は、銘々の修己は正にこの根本課題を、自己自身に課せられるものとして、主体的に受け取って、その課題の事に自ら当たるに耐え得る為にこそ、求められるとせねばならない。

陽明には、「大同を済す」という、一種の社会理想も着想されたと見られる。それではこの場合、生民の全体を主体とする、所謂、社会主義の哲学となるのであろうか。

陽明の道義的時代批判は、所謂、マルクス風の唯物史観的批判とは、凡そ無縁であると云わねばならない。

陽明の批判の眼は、当時の、生民の困窮の原因と見られる。経済的物質的生活の道徳観によって、弁護する側に立つと見られる。

仁者治人の哲学を立てゝ、大同の理想を説いても、専制王朝を革命的に打倒する理論は、何処からも生れようもない。

大同の、政治哲学をそこから引き出しても、道徳的色彩の強い修己自慊の説を、その中に導入する限り、陽明学は革命の哲学と無縁である。

こうして他の儒学は、朱子学と同様に歴史的には、現在体制に対して、保守的役割を持つと見られるのである。

但し、時あって胸中抑え難いとする、狂者的気象が状況に触発されて、どの方向にどのように発現するかという問題が、朱子学とは違って陽明学の謂わば、体質にかかわる問題として残ると思われる。

それで、修己の内面的厳しさを阻害して、敢えて狂者と成って、同胞一念・救済の一念に燃え立つとすれば、現在体制の壁と正面から衝突すると見られる。

人品三等級観:聖は天を希み、賢は聖を希み、士は賢を希む。

弁証法的人間とは、常に自己の不善を知って、これを恥ながら、自己を道徳的人格まで、鍛え上げて行くような、人間の事である。

自己を含めて、万物の永遠の真性活潑々地を悟ってみても、この世の是は是であり、非は非である事に何の変化もない。

只、自己として為す、真是真非主体作用に、執着しないだけの事であるが、実はこの無執着の主体が、凡そ、愛と云うものゝ一つの根本的性格を証じし、且この愛主体の立場にして、真に能くその都度的に出合う、万物をしてその真理に由来する、離悪遷善の方向へと「化する」力を八期し得ると、見るに違いない。

聖人と為るの志とは、単なる目的意識という以上に、強靭な不屈不撓の目的意志、一種の気概と見てよかろう。

それで、その遺志を欠如する人間や、又はその遺志の時あって弛緩する人間には、己の身体の見得など思いも及ばないとしてよかろう。

更に又、聖人となる為には、そのような志を堅持するだけでは足りずに、自己聖化の実地の工夫を久々に、積み重ねて行かねばならない事を強調する。

吾が儒は心を養うも、未だ嘗て事物を離却せずして、只その天則の自然に順う。就ち、これが功夫である。

釈氏は却って、尽く事物を絶とうとして、心を把って幻相と見做し、漸く虚寂に入って、世間に些かも交渉がないようである。これが天下を取る事が出来ない所以である。

功夫は、これこの真機に透り得なければ、どうしてかの充実光輝あるを得ようか、もし能く透り得る時は、(それは)儞の聡明知解に由って接し得て来たのではない。

須らく、胸中の渣滓を渾化して、豪髪も沾帯在らしめる事がなくなってこそ、始めて得るのである。

元々、物我・人巳・内外を、渾然一体とするとしての、愛の実現というのは、己の出会う一切の他者を、その都度的に相手の身に入って、然るべく能く愛して、自らはその愛の作用に執着しないという事である。

大人は、物を容れることが有って、物を去てることがなく。物を愛することがあって、物に徇うことがない。

陽明は、人間に対して、天地万物と吾との一体性を、良知の霊覚が導くまゝに、時には狂者となっても、実現することを求めて已まない。

「至誠にして動かされざる者は未だこれ有らざる也」己の真誠惻怛の心を尽くせば、人はこてれに恰せるに感応し来る。

それでもし、他者が能く感応し来らないと分る時は、自ら省みて己の尽心の至らないことを思うべきである。

他者に出合って、これを愛して化するか化さないかの問題や、その愛の厚薄の問題という、実践の問題を切り捨てゝしまって、実践を超出する「見る」を別の次元に於いて開顕する。愛して化するとしての働くものから、虚心に物を見るものへと、転換してゆくものと思われる。

儞らは、一箇の聖人を拏えて(つまり聖人気取りで)人に講学する。(それ故)に人は聖人が来るのを見て、すべて怕れて逃げ走るのである。

それでは、どうして講ずる事が出来ようか、須らく一箇愚夫愚婦となる事が出来たら、方に人と講学する事が出来る。

後代に与えた陽明学の魅力は、その逞しい謂わば超人的な主意的性格と相俟って、むしろ却ってこの超俗的な情の精純さにある。

学問や哲学は、その究章の処で宗教に席を譲る。

「廓然太公・物来応」:廓然太公とは、己の我を消して、宇宙生命の絶対根本とも見られる、太虚と一体となる事である。

己の耳目に即して見る事なくして見、聞く事なくして聞く、境位立った事を意味する物来応とは、その高い見聞の境位に於いては、庶物が太虚の生気を宿している。

生気溌剌として、千変万化しながら相互に感応して来るから、吾はその庶物の一々の個別的生命の真に自在に順応する。

陽明の場合は、顧惜し憫恤し大哭しても、謂わば「ものゝ哀れ」の情感に沈潜する所までは行かない。

あれだけ病苦と戦って、兵馬倥偲の間に奔走して、恐らく、戦禍の惨胆を人一倍身を以って経験しても、人間の世界、特にもその治乱の歴史的現実の中に、謂わば「諸行無常」を透見しない。

彼は、深い所でいつも「光明」を見ていて、絶望を知らないとも思われる。陽明学はその頂点に於いて、結局光の哲学、寧ろ悟境論となると云って好かろう。

現在の、中華人民共和国に於いて、一方では等しくマルクス主義を強制しながら、他の一方では「孟子」の章節と家族道徳を教えている事は、或る程度儒教主義への復帰を、計らんとしている事を暗示するものではないか。

聖人と為る事を求めるという志があって、然る後に学を共にする事が出来る。之を古訓と考え、之を先覚に質すことは、乃ち、学の已む事の出来ないものである。

千古の聖楽は、只一念の霊明に従って識取するのみである。只、これがそのまゝ聖に入る真の血脈路である。当下に此の一念の霊明を保つ事がそのまゝ学である。

本来的に、自己の具備するこの良知が、霊明を、正に自己の時々の念々に「致す」とは、一切の世俗的な「功利」と、主観的な「見解」との雑入を厳しく排除して、その知良知を正に「知念」にまで徹底させて、自己の心意を「潔々浄々たらしめる「功夫」に切れ目があってはならないと、考えることである。

知は心の本体である、所謂是非の心は人皆之を有する。然し乍ら、是非は本明らかであって、仮借を須いず、感に随って応じて自然でないという事はない。

聖賢の学は、只自ら信得して是々非々に及ぶのである。それ故に自ら信じて是ならば、断然必ず行う。

世を遁れて見れなくとも、自ら是として悶ゆる事がない、一つの不義を行い、一つの不幸を殺せば、天下を得るとしても、之を為さない。

このようである事が、方にこれ自欺なしであって、方にこれを王道と謂ふのである。何といふ易簡直截であることか。

処が後世の学者は、自ら信ずる事が出来ずして、まだ外に倚菲する事を免れない。それで栄辱に動く時は、毀誉を以って是非を為し、利害を惕む時は、得失を以って是非を為すのである。

この様であっては、結局の処、覇者の伎価を成就し得るのが、所謂悟る事である。

良知は是を知り非を悟が、良知には本来是もなく非もない。是を知り非を知るのは、又所謂規矩である。是非を忘れてその功得るのが、悟る事である。

徹悟とは、対境と交わり触れる正にその処で、吾が心の作用根源たる天地の霊機(=天機)に能く万変に活潑に応じて、暫くも、凝然たる道を離れない境地を自得する事である。

吾人の一切の世情や嗜欲は、皆意に従って生ずる(しかし)心は本至善である。意に動かされて始めて不善がある。

若し、能く先天の心体上に在って根を立てる時は、則ち意の動く所も自ら不善が無く、世情嗜欲も自ら容れる所が無い。

(又)致知の功夫も、自然易簡にして力を省く、若し後天の動意上に在りて、根を立てるならば、又世情嗜欲の雑わる事を免れない。(そして)致知の功夫は、覚を転じ難を繁くする。

人心本来的に不死の常活・活動と見て、此処に、天の常連の真機の発動を悟るべし、とする事が分る。そして、常活の人心を突き詰めて、己の現在の一念として、主体的に内面化して捉える。

そして、その良知一念に常活する天機から、千百年の事業も不足なく、生じるとするのである。こうして彼の儒学は、、一切の静寂主義を非として、徹底的な活動主義の立場を、堅持すると見られる。

しかも、その活動を過去と未来から離絶するとしての、その時々の現在中心の活動として、即ち「現在実践」として捉えられる。

人の人為る所以は、神と気とのみである。神は気の主宰となり、気は神の流行と為る。神は性と為り、気は命となる。

良知は、神気の奥にして、性命の霊枢である、良知が到るときは、神気交わりて性命は全い、その機は一念の微を外れない。

一生の学問は、只過ちを改めるにあるのみである。常に、無過の地に立たねばならない。過ちの有るのを覚える事が、方に改過の真の功夫である。所謂、復るとは無過なる者に復るのである。

戒謹恐懼は、未だ嘗て繊豪の力(人為的な力)をも致さない。何か恐懼するものが有るのは、その生を得ない。

文王が、小心翼々として上帝に事えるのは、真に自然であって、識らず知らずに帝の則に順うのである。乃ちこれが真の警愓である。

良知は、学ばず慮らずである。終日学ぶのは、かの不學の体に復るのみである。無工夫の中に工夫するのであって、加える所があるのではない。

工夫は、只日に減ずる事を求めて、日に増す事を求めない。減得し尽くせば、そのまゝ聖人である。(然るに)後世の学術が、正に匂当を添えるのは、終日勤労して更にその病を益す所以である。

果して、能く一念製惺ゝとして、冷然自ら善くあれば、その用処を窮め終る事は出来ないのである。これは、そのまゝ窮境の話である。

自ら信じて是ならば、断然必ず行い。自ら信じて非ならば、断然必ず行わない。

本心をして、時々に主宰と作る事が出来る様にしながら、欲に従う事を自然としてしまうのであろう。孔子は、年70にして方に能く心の欲する所に従って、矩を踰えなかったのである。

吾人は、どうして容易に放過する事が出来ようか。然しながらこの事は卻って、禁絶の能く制する所ではない。

それで須らく本心を信じて、自ら一毫も固必の私がないようにせねばならない。この本心を正心と謂ふ。

これが直ちに先天の義皇に造って、更に別路はなく、これが易簡直截の根本である。これを知る事を道を知ると謂い、見ずるを易を見ずると謂ふ。これが千聖の秘蔵である。

蓋し人心には、只一意有って初めて能く経綸を起こし。徳業を成す意は心を根とし、心は念を離れない。心が無欲なる時は、則ち念は自ら一である。

そして、(この)一念こそ万年の主宰である。(それは)明定して起作する事が無く、遷改する事も無い。正にこれが本心の自然の用である。

―――(もし)僅かに起作する事がある時は、そのまゝ二意に渉る。これはそのまゝ欲が盲動するのであって、直ぐ根を離れて経綸裁制の道ではない。

(11 33 21 91 三 43 21 65 45' 41 62' 52 44' 71 33)

吾が心の、良知の霊活する現在一念は、過去無限から未来無限への、時間の流れに在って、時々絶対現在的に明定して、その自己同一を失わない。

良知の現在は、過去を未来に相対的な現在ではなく、時を超えて時々に時の中に現成する現在、つまり絶対の現在である。

そして、一切の経綸と徳業は、正にこの絶対現在の一念によって始めて、根源的に創造されうるものであるが、その創造完成は一切の人為的な起作を超えて、正にその一念の自然的妙用に外ならない。

聖楽は、性とする所に根差す禍福の起因に従わないと云っても、亦嘗て禍福を外れるのでもない。禍福は善悪の微であって、善悪は禍福を招くもので、自然の感応である。

(それで)聖賢が禍福に処する事は、常人と同じである。(然し聖賢が)禍福を認める事は、常人と異なる。

常人は、富寿を福とし、貧天を禍と為し、生を福と為し、死を禍と為す。聖賢は、只これを一念に反して、吉凶と為す。

念が、苟も善であれば、顔(淵)が貧天し、仁人が殺身すると云っても、亦これを福と謂ふ。念が、苟も悪であれば、蹠が富寿し、小人が余生すると云っても、亦これを禍と謂ふ。

(こうして)常情を以って、例論する事は出来ないのである。(抑々)良知は無善無悪であって、これを至善と云ふ。良知は善を知り悪を知る、これを真知と謂ふ。

善悪が無い時は、禍福も無い。(また)善悪を知る時は禍福を知る。(しかし)禍福が無い事を天と徒を為すと謂ふ。

(これは)神明の徳に通じる所以である。(これに対して)禍福を知る事を人と徒を為すと謂ふ。(これは)万物の情に類する所以である。

(ところで)天人の場合は、その機が甚だ微力である。これが、そのまゝ微上微下の道である。そこで若し知を致す時は、心を悟に在する。此処で、知を致すことが尽きるのである。

過去を思わず、将来を期待せず、只管、現在の一念に向って、徹底的な反観内省を凝集する。

ところで彼は、この厳刻とも印象付けられる反観内省を、自ら行じる事によって、それに於いて、この内省の作用の活潑さを体認した。

そして、遂にこの活潑なる作用に、「天機の常活」を直覚し得たと推測される。即ち、その内省作用に於いて、寸毫も自己の本心を欺かない。

寧ろ、欺き得ないとしての、内的生命の躍動を此処で明瞭に意識し、その内的生命の現在活現に、「天機の常活」「天機の神応」ありと、信得したのであろう。

念慾を、どうして退制しようかなどと、果てしなく思い累うよりも、今すぐ且つ真実に怵惕し、羞悪することその事が、肝心の先決問題であるとした。

怵惕羞悪する事に徹すれば、困勉の「愚夫愚婦」でも生機の神応に感触して、堯舜と全く同じように、「生知安行」であるとする。

当時の所謂官学という、世俗的な権威を独占して、その通用的朱子学が、形式化・固定化した主知主義と、講説する学問的・思想的状況の下で、竜渓の学が起こった。

その、主意的生命主義の立場から、人生には、天機=生機の鵜常々の、活潑潑地の別天地があり、真の道徳的な生き方は、正にこの生機の常活を、吾が現在の一念の中に、実現する事によって、無限に創造されると説いた事は、当時の時代思潮の中に潑剌とした、清新の気風を巻き起こした事であろう。

且又彼の聖学は、要するに、彼の極めて自性的な、格調の高い人品の結晶物であると思われる。従って例えば、我が国の中江藤樹がこの竜渓の聖学を通して、謂わば、感動的に陽明学を受容するに至る消息も、理解し得なくもないであろう。

その発育の功は、天地固有する所であるが、然し、天地にはいつもその功が、有るもものではない。蔵する事が深くなければ、その化は速やかでなく、蓄える事が固くなれば、その致す事は遠くない。

こうして、屈伸剥服の際は、天地でも違う事が出来ない。況して況や人に於いては、尚更である。

ところで先生は、豪傑の才と邁往の志を以って、一変して文章を為し、再変して気節を為したが、その擯斥せられて、万理の絶域に流離せられるに及んだ。

形影孑立、朝夕に惴々として、動忍の益を成したのである。こうして最後に大夢の醒める様に、固有の良知を得たのである。

最後に、辿り着いた良知説は、惨憺たる辛苦動忍の人生体験を通過して、始めて為ったものである。

良知は、固より稟愛の自然に出て、嘗て滅びないとは云っても、その流行発見が、いつも孩提の時であり得ようと欲するなら、必ずこれを致す功夫というもがある。

(即ち)枯稿寂寞を絡た後に、一切が退聴して天理が炯然として、なるのでなければ、とてもこれに及び易くは無い。陽明の竜場がこれである。

嘗て、自ら資質の凡庸を病みて、学を談ずる事十有三年にもなるが、往々にして人の口吻を逐い、人の歩驟を学んで、まだ、特立不抜の志が無かったのである。

邇来自ら騐するに、抑々そのようであったのは、皆欲根に縁って(これを)除かずして、それに染著したからである。

既に、(その)染著があっては、例え(他人の言説を)解釈する事ができたとしても(その事は)自己の覚る事に預かる事はない。

当時余は、虚妄の見に陥っていて、その力を日用に致さなかったのである。又意が有に渉るところまでは、到らなかったとしても、その意を必ず尽絶するのではなかった。

―――抑々天が人を養うには、食邑や居室・財貨がない訳にはいかない。それで亦、人には爵位や声譽・技能の別がない訳にもゆかない。

こうして、自分は生があるのでその累を重ね、又知があるのでその誘を雑えて(遂に)外誘の有生の類に触れる。その心は既に、自ら勝つ事がなかったのである。

―――それで吾が心は、日に紛々として、これらを(居室や財貨)失う時は慄れ、得る時は燥となって悟る事を知らなかった。

念按菴が抱え込んだ、偽学の最初の根本課題は、己の凡庸な資質と自力を踏まえた上で、自己の流儀によって艱苦して、道徳的実践に専一になる事であるとしてよい。

従ってこの場合、古人や先覚の唱導する一言の説、例えば「仁」とか「良知」説に安易に依存して、只それを「解釈」して足る、とするような学問の仕方を、厳しく拒否する事が、此処で注目される。聖人の学は、解釈の学ではない。

大智は大舜のようで、間を好んで両端を執りてこれが中を用いる。自己の一切の知解を忘れて、始めて知者の過ぎる事がない。

大賢は顔回のようで、一善を得るとこれを拳々服膺して失わない。この一処が緊要の所であって、始めて賢者の過ぎる事がない。

私欲の根強さに重く実感を持つ故に、その「発根の処」を「破除」しなければ、それを一時的に潔浄して見ても、その欲根が潜伏するどころか、却ってこれを培植するだけである。

良知なる者は、静にして明らかである。これに盲動を雑えると、始めからこれを失って、復する事は困難である。

常に幾を知る事は、即ち知を致す事であり、即ち義を存する事である。成熟の時に到ると、そのまゝ止まるを知る。止まる所を得ると時は、則ち知は至るのである。

儒と釈と違うのは、吾が儒は只、中と仁の処だけを言うにある。堯舜の「中」と孔門の「仁」とは言は同じくないとは云っても(その実は)一つである。

(中は)、則ち倚る所(偏倚する所)の無い事を指すが、それは仁と一つであるから、渾然として、物と体を同じくする事を指すのである。

釈氏の無往は、「中」に近い様であるが、(中は人が)兢業として允く執るに至るもので(釈氏の無往とは)茫として相似ない。

(又)、渾然同物(仁)と(釈氏の)覚海円澄とは、又大いに遠いその端緒を探さずに、詢の脗合だけを挙げて、帰と為すようでは、その宗を失うのである。

中は、倚る所が無くして、自然と物と体とを同じくする。この気象を得守して失わない事が、吾が儒の終日行持する処である。

そして、更に加えて曰く「良知の外に又、中と仁とが有る」と、謂うのではないのである。

ところで、天下と吾とは一物をなすが、身を以ってその(一物)の本と為す。身がある時に、それは天下國を兼ねる。それで身が修する時は、それに斉治平をを兼ねる。

こうして、先後する所を知りて、而る後に止まる所を疑わない。それで、知を致すという事は、知る所に至るという事である。

それでは、知を致すとは何れにあるか、吾に在りて天下と感動交渉し、此処で通じて一体と為りて、間隔の有る事が無くなる時に、則ち物は格って知も到り、こうして止まる所を得るのである。

太極なるものは、理の極致の処である。その人心に在って、湛然として欲の無いのが、即ちその体である。先儒は、心は乃ち太極であるというが、この語は須らく善く会得せねばならない。

無欲の心は乃ち真心であり、真心というものに太極がある。若し、只その無形、無方、無際を見るだけであるなら、この見には所見があってすぐさま妄である。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2016-05-23 05:31:14

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