第七章 言志録(ロ、王陽明に学ぶ)

彼の、知行合一説は畢竟するに、知と行とはもと之れ一箇の本體の両面であって、別に離して考ふることは出来ない。知と行とは同時的共存的のものである云ふのである。

彼は、之を説明して「食味の美悪は、必ず其の口に入るを俟って後知るのである。口に入れないで巳に先づ食味の美悪を知るものはない。路岐の嶮夷も必ず自ら其の境を実歴して後知るのである。まだ實歴しない前に其の嶮夷を知るものはない」と云った。

即ち、眞知は實行と共に生ずるのを云ふのである。又大学の「悪臭を悪無が如く、好色を好むが如し」の句を引いて説明して云ふには「好色を見るは知に属する――――

――――好色を好むは行に属する。かの好色を見た時は、既に自ずから好んでしまったのである。見てしまってから別に一箇の心を起こして、それから好むと云ふことをするのではない」と。

彼は、行といふ語を廣義に用ひた。好悪のやうな心の中で意の趣くことをも行と云った。良知を致すこと其のものをも行と云った。即ち一切の有意的注意を行と云った。

斯く、好色を好むが如き心の中に生ずるものでも、飲食と歩行するが如き外に現はるゝものでも、孰れにしても知と行とは同時的のものであるから。

「知といへば、既に一面に行の存することを意味する。行といへば、既に一面に知がある」若し其の一方が缺けて居るとすれば、其の知といふのは眞の知ではない妄想である。其の行といふのは眞の行ではない冥行である。

彼は曰った。「行の明覚精察なる處は、便ち是れ知である。知の眞切篤實なる處は、便ち是れ行である。若し行にして精察明覚なる能はざるならば、便ち是れ冥行である。知にして眞切篤実なる能はざるならば、便ち是れ妄想である」と。

彼は知といふ語を狭義に用ひ、想ひの語とも區別して眞知の實知の意に用ひた。此の彼が、行の行の語を廣義に用ひ、知の語を教義に用いひたことを知らねば、彼の学説を正當に解することは出来ない。

彼はの意義に於て行と共に知が生じ、知と共に行が生ずる。彼は曰った「眞知は即ち行を為す所以である。行はなければ之を知といふに足らない」と。以上は、彼の知行合一説の大要である。

そこで、陽明の知行合一説が彼の学説全般の上から見て、如何なる地位を有して居るかといふと、之を修養の工夫に應用する所に、極めて切實な生活潑々地の効力を有するのである。

知行は、實生活の中に共進するものである。先づ知って後に行ふという譯のものでない。故に道を修めるにも實生活の中に同時に、己の知行を磨くべきものである。

即ち、「事上に錬磨」するといふことが、眞の修養の工夫となるのである。「孝を学ぶと言はゞ必ず老に服し養に奉じ、躬ら孝道を行って、然る後に之を学ぶと云ふのである。

只、懸空に耳鼻講説して、之を以て孝道を学んだといふことは出来ない。射を学ぶのも、必ず弓を張り矢を挟み引満して真とに中つるのである」。

然るに、世俗の学説に従ふ者は、先知後行の謬見からして、先づ経書などの言語の末に知識を磨き、然る後行はうとするから、何時までも眞の知も出来なければ、眞の行も生じない。

読書は固より、修養の一要道であるけれども、眞知は我が心の中に潜んで居る。書籍は之を明にする為の媒介のみであり、事上に錬磨する為の一指鍼たるのみである。

書中の文字を記憶し得た位では、固より学び得たといふことは出来ない。一門性が陽明に向ひて、読書して記憶し得ないのは如何なる故かと尋ねた所が、彼は之に答へて「読書はその意義を暁り得る事を要する。

汝は、何故に記憶し得ん事を要するのであるか、書の意義を暁り得ようとするのも、巳に第二義に落ちてしまふ。読書はたゞ自家の本體を明め得ることを要する。

若し、徒に記し得る得ようとすると暁り得ない。若し、又徒に暁り得ようとすると暁り得ない。自家の本體を明にし得ない」と云った。

心即ち理、事物の道理と云っても、その實我が心の外にあるのではない。之を我が心に求めないで事々物々逐うても悟り得るものでない。実事上錬磨して始めて眞知が明になるのである。

故に、事上錬磨といふことを他にして真の修養はない。陽明の学説が至って実践的で活気のある所は、實に此処に在るのである。彼自身の悟といふのも、事上錬磨から得来ったものに他ならぬのである。

それで、後進に此の工夫を務むることも、亦至って切なるものであった。門生陸澄が小児危篤の家書を得て憂悶に堪へないで居るときに陽明は之を見て云った。

「此のときこそ、正に工夫を用ふべきである。若し、此の時を放過するならば、閉時の講学は何の為にして居るのであるか、人は正に此等の時に在って磨錬するを要する」と教へた。

彼が、事上錬磨を主要の工夫として重んずるの意を見るべきである。更に、陽明は修養の一要道として静座を説いた。静座も亦彼自身の多年實踐した工夫である。

さうして又、門弟に向っても「日間工夫、紛擾を覚えたりならば静座せよ」といって勧めたところである。併し、彼の静座といふのは枯禪的のものでない。

唯々、人の修養の足りない間は、事物に應接するときに、私欲私情・妄念雑慮が紛然として心中に沸乱し、どれが道理の存する所か、本心の命ずる所か分からない。

終には、事物の役する所となって、身を誤るに至るから静座によって、實事の際に己の心の経験する所を省察し、自覚し、己の心を収斂し、整理し、以て實事に當るの準備を、為さしめやうとするのである。

彼は、静座の目的を説いて「吾が云ふ所の静座とは、人の坐禅入定することを欲するのではない。只、吾輩は平日事物の為に紛拏せられて、又己の為にすることを知らないから、此の静座を以て小学の放心を収むるといむるふ、一般の工夫を補はんと欲するのである。」・・・・と云った。

併し、事と心とを二に分離して、眞の修養を為すことは出来ない。静坐して己の心が中正に定まって居るやうに考へても、實事に當ると又沸乱し易いものである。

吾人は、「静も亦定まり、動も亦定まる」といふのを要義とするのである。實地の活動中にも己の心が定まって中正を得るやうにやするには、やはり事上に錬磨しなければならぬ。

陸澄が、「静なる時に意思の好きを覚えて居っても、わづかに事に遇うふと変って来る。どうすれば良いか」と問ふたら陽明は、「是は、たゞ静養を知って克己の工夫を用ひないからである。―――

―――此の様な事をして居ると、事に臨んで傾倒せざるを得ない。人は須く事上に錬磨すべきである。さうすると心が確り立ち住って来るから、静も定まり、動も亦定まるのである」

彼は又、「定とは、心の本體天理である。動静は遇ふ所の時である」と云った。動と静とは遇ふ所の時を云ふので、動静そのものに価値があるのではない。

定とは心の中正、即ち其の本體天理の完いのを云ふので、此処に価値があるのである。吾人要する所は動時静時を一貫して心の定まることである。

此の、心の定を得る主要の工夫は、事上錬磨で静坐は畢竟其の補助工夫として必要なのである。然るに陽明の門人に、やゝもすると枯禪的に静坐して、懸空に考へ去るものがあるので、彼は之を戒めて―――

又、「吾の格物致知の説は、学ぶ者の本心竝に日用の事為の間に就いて、吾が身に體究踐履して實地に用ふるので、是には多少の次第と多少の積累とがある。―――

―――佛氏の空虚頓悟の説とは正反対である」と云って、思索と實際と分離して二とならないやうに注意を加へた。此等を観ると、陽明の極めて實踐的な学風の真相が手に取るやうに解せられる。

此れ等を観ると、陽明の極めて實踐的な学風の真相が手に取るやうに解せられる。陽明の学説が空談徒説の死学者を排し、実践躬行の活人物を作るに力あるは實に此にあるのである。さうして此の学風の根底は實に彼の知行合一の説にあるのである。

陽明の学説を祖述する者の中に、静坐と事上錬磨とを同等の工夫として竝べ説く者もあるけれども、吾人は陽明の教訓を研究して、静坐よりは事上錬磨に重きを置いたものと信ずるのである。

且つ又世には、静坐そのものをも誤解して、虚無寂滅的のものと考ふるものもあるけれども、其の實陽明の静座は活潑々地のものである。

吾人は、此の點に就いて誤解のないやうに注意せねばならぬ。併し之には彼の高弟にも誤解があった事と見える。門人の陳九川が問うて―――

「近年、泛濫の学が厭になりましたから、毎に静坐して念慮を屏け息めようと務めまするけれども、惟ゝに其の事が出来ないばかりでなく、愈々擾々するのを覚えまするのはどうした訳で御座いましょう」と云ったら、陽明は―――

―――「念は、どうして息めることが出来ようか。只ゝ是れ正からんことを要するのである」と答へた。陽明の所謂静座とは決して、枯木死灰となるのではない。

九川が又、「工夫を用ひて心を収斂して居るときに聲色が前に在ると、常の如くに聞こえたり見えたりする。恐くば是れ専一ではない為でしょう」と云ったら陽明は答へて―――

―――「どうして聞見しないことを欲するのか。それはたゞ枯木死灰のみである。聲が盲ならば出来ることである。たゞ聞見しても流れ去らなければそれでよいのである」と云った。

九川は問を重ねて、「昔一人の静座するものがあって、其の子が次の室で学問して居ったけれども、其の勤惰のほどを知らなかった。程子は之を甚だ敬めりと稱して居りまするのは、どうしたわけでありましょう」と云った。

すると陽明は答へて、「それは多分伊川が識っておるのであろう」と批評した。陽明の所謂静座が活潑々地の工夫たることは、此の九川との対話に痛快に説明せられて居るのである。

嘗て、一属官が簿書訟獄の事が繁忙なので、講学の暇がないと云った所が、陽明は「我は一度も汝に簿書訴訟獄を離れてしまって、懸空に学を講ぜよと教へたことはない。官職に就いて居るものは,官職上のことから学問をしてこそ、斬傎の格物といふことが出来る」と云って―――

―――懇々簿書訟獄の間に實学を為すべきことを教へた。彼は又、「己を修め人を治むるは本来二道ではない。政事が繁劇であっても亦学問の地である」と云った。

又、常に門生に向って「学は必ず事を操って而して後實」と教へた。此等の事を見ると陽明が修養の工夫として、事上錬磨と静坐とを如何に見たかと云ふことが明に知られる。

知行合一の説は、王陽明の学説の起點である。後来次第に完成した陽明の学説は、この説を以て始まって居る。彼の学風の直截簡易で實踐的なる特長を有して居るのも此に基するのである。

又、假令学ぶ者の過とはいへ、其の弊に陥るのも此に関係がある。陽明の知行合一説を評論するには、先づ立言の主旨を明にすることが必要である。

其の主旨には、おのづから二の方面がある。一は空論に偏して實行を怠る所の時弊を救はうとしたのである。他の一つは時弊に対する方便としてのみでなく、此が真理であるからと云ふのである。

陽明は、高弟徐愛の問いに答へて云った。「今の人は、知行を分って両件と為し、必ず先づ知り了って然る後、能く行ふものであると考えへて居る。

それで、彼等に先づ講習討論して、知的の工夫を倣さうと思って居る。故に修身行はず、又修身知らない事になってしまふ。之は容易ならぬ病痛であって、而も其の由来する所は一日でない。

余が、今此に知行合一を説くのは、正に是れ対症の薬を投ずるのである。さうであるからといって余が鑿空杜撰の説を立つるのでもない。

知行の本體が元さうなのである。今若し此の立言の宗旨を知り得たならば、知と行とを両箇にして説くも差し支えはない。其の實一になるからである。

若し、この宗旨を会得しなければ、合せて一箇と説いても亦何等をも為し得ない。只是れ一場の間説話たるに過ぎないのである」と。

此の陽明が、「立言の宗旨を會得しなければ畢竟空談である」と云った一語は、實に人を制すの思ひがある。實に彼は知行の本體を掲げて学ぶ者として、一分一厘の隙も無い著實喫緊な修養を、積ましめやうとしたのである。

彼は又曰った、「今の人は、知と行とを分って両件とするから、一念が心の中に發動して、それが不善であっても事上に現はれなければ、未だ行ったものでないと思って禁止しない。

余が今、此の知行合一を説くのは、正に人をして一念發動の處は卽ち之れ、行ひ了れることを暁り得せしめやうとするのである。

一念發動の處に不善があったならば、直に其の處に就いて之を克治して、根底までも透徹して、かの一念の不善をも胸中に潜伏しないやうにせねばならぬ。是が我が立言の宗旨である」と云った。

此の教訓は、一念發動の處卽ち一體の知あり行ありしたもので、彼の知行合一説の餘程精熟してからの言と思われるのであるが、黄黎洲が「此の如く知行を説くときは真に是れ絲々の血を見る」と云ったやうに、彼の立言の宗旨の真切なのを見ることが出来る。

学者たる者は、須く猛省すべきであって徒に言語の末に知行を解釈したり、一片の理屈を以てこの学説を批評し去ることを許さないのである。

斯く、彼の立言宗旨を明にするときは、此の教訓は人をして、篤實なる修養を積ましめようとするには、誠に適切なるものといはねばならぬ。

兎角、口耳の談説に偏して實地の工夫に疎なのが、獨り陽明の時代のみならず、古今の学ぶ者の通弊である。此の點に於て陽明の知行合一の教訓は、浩々として長へに生気がある。吾人は居常之を體得實踐せねばならぬ。

扨て、此の学説が真理として如何であらうか、吾人は之に就いても些か研究を試みよう。それには先づ知行の字義を明らかにせねばならぬ。

普通「知」の字は、記憶も想像も思考も理解も、一切の観念を包容して廣義に用ひるのであるが、陽明は之を狭義に用ひ、「知」を想とも區別し一切の妄想・空思・虚念を除外して、明瞭・精察・明確・真實の本體の悟の意義に用ひて居る。

又普通「行」の字は、意志の外的動作に現われたものを指して、狭義に用ひて居るが、陽明は之を廣義に用ひ心の内界でも、総て意の趣くを指して行といって居る。

それで、普通の意義に於て義と行と一致しないことは、議論を要せずに明かなことであるが、陽明の用ひた意義に於ては、又彼が説明した通りで厳密に合一で、誰しも一點の疑を入る餘地はない。

知行合一説を根底とする学風は、實事の上に精確に自己の心を省覚するといふのであるから、斯くして得た知は眞實なものであって、之が行を生ずることも明かである。

併し、一個人の経験する所の實事はさう多くはない。さうしてまだ経験しない人生の新方面新行路に歩を進めねばならぬことが多い。

即ち、また實地に経験する前に、己の取るべき道を選定する必要がある。経験して見ればわかるからとと云って、妄作冥行することは出来ない。

豫め、事物を一々知って居なくても、心の本體の正を全くして置けば、其の事に處して正きを得るといふのであるけれども、之も工夫の熟してから後の事である。

此に於て、先づ古来幾多の先進殊に明哲といはるゝ経験し、省覚したと所の道を学んで己の道とする必要がある。丁度未知の境を旅行するには、先づ前人の歩んだ道に依るのが必要である、と同じことである。

又、前人の多年経験し研究した道は、自己の践い経験と熟しない智慮を以て、選んだものよりは遙に確実で正常なこともある。

又、或る場合には前人の経験して有害危険なりと断定したものは、信じてこれに従うべきのみで、自ら實地に経験することを許さないことがある。

例へば、人が毒薬と云ふものを、自ら経験して見なければ真とすることが出来ぬと云って、服用することは出来ない。若し人が自己單独の経験のみから、自己の知能を啓発すべきものとせば、殆んど禽獣と同じである。

一種の一種の

即ち、魚を獲るための筌、兎を捕ふる為の歸たるに過ぎない。如何に博学多識で聖経賢傳の千言万語記誦せる空な観念を結んだり、解いたりして理窟細工を試みても、決して真理の會得せらるゝものではない。

無效なことに精力を弊らして、却って身を誤るのである。故に他に就いて学ぶものは、之を機械的記誦の止めないで、其の道理を己に會得して實地とする必要がある。

之を、會得する工夫はどうすれば良いか云ふと、自己の経験から得た實知識を基本材料として、考察を加へねばならぬ。類推を施さねばならぬ。其の上に古人の教訓で善と信ずる所を實踐して見て、之を實知識と化せねばならぬ。

陽明が、知行合一説を大呼して唱へた時は、天下の学ぶ者が皆滔々として、記誦の末に走り空論徒説を事として居ったのであるから、時弊の対症の薬としては寔に適切であった。

陽明の学問から云ふと、先づ至道と信ずる所の聖賢の教訓がある。之を記誦に止めないで、直に實踐して己の心を磨き、真知とするのである。

此の信仰、此の受用があって、事上錬磨の工夫が加ふればこそ、此に修養が円満に成就するのである。然るに稍々もすると陽明の門流と雖も、一種の弊風を生ぜざるを得なかった。

陽明は曰った、「吾年来、末俗の卑汚を懲さんと欲し、学者を引接するに、多く高明の一路に就いて以て時弊を救ふ。今学ぶ者漸く流れて空虚に入り、脱落新奇の論を為すあるを見る。吾巳に之を悔ゆ」と。

陽明の学風のやうに實践的のものであって、さうして流れて空虚に入るなどは頗る不思議なやうであるが、其の實その理由があるのである。

知行合一を説き、静坐の工夫を教へ、心卽理を唱へ、道を己に求むべしと云ふ所から、学ぶ者は博く他に就いて学ぶことを軽んじ、自家の狭小なる思想を材料として、只管己の心の中に道を求めようとする。

依って、斯かる弊風を生ずるやうにもなるのである。併し之は寧ろ学ぶ者の過である。今日陽明の説を学ぼうとする者は彼のその時代の特殊の弊風に対して、極力主張した意味を除いて解釈することが肝要である。

修養の、工夫の重要なる基本的部分を提示したるものとし、その意義を會得したならば少しも弊を生ずる憂はない。此の憂ないのみならず修養の工夫として、之ほど切實な有效なものはないのである。

後年、陽明学派の大家劉念臺は「真知」と「嘗知」との區別を立てた。嘗とは嘗試の嘗であって「假りの知」といふようなものである。

劉念臺の意は、学ぶ者は先づ嘗知を得之を化して、真知しようとするのである。此の説は修養の工夫の順序を示したものとしては、餘程圓満に近い。

併して、之とても修養の工夫の全部ではない。吾人は古聖賢の教を以て必しも園満至上の者とする事は出来ない。修正を加ふる必要があれば、之を基礎として新たに加ふべきものもある。

此の新發明は、必ず自己の實地の経験観察と思索省覚とによって得られるべきものである。吾人の修養は念臺の所謂、嘗知を真知に化するのみに止まらないのである。

陽明の格物致知の説、知行合一の説も其の哲学的根據は「心卽理」の説にあるので、彼の説は、理は心と離れて事々物々の中にあるのでない。

事物の理といふのは卽ち心というのである。卽ち理心合一説である。彼は曰った。「心は卽ち理となり、天下又心外の事、心外の理あらんや」と。

陽明の説と朱子の説とを対比するときは、両者の意義を最も明瞭に發揮することが出来る。陽明曰く心外理なく、心外事無し。朱子曰く人心の霊は知あらざるなし。天下の物は理あらざるなし。

陽明曰く、虚霊不眛、衆理具はって萬時出づ。朱子曰く虚霊不眛、以て衆理を具へて應ず。斯くく陽明は、心と事物とを合一して見るので、事物を離れて空々に心といふものをふ考える事が出来ない。

又、心を離れて事物といふものを考える事も出来ない。彼は曰った。「夫れ物理は吾が心に心に外ならず。吾が心を外にして物理を求むれば物理なし。物理を遺れて吾が心を求むれば物理なし。物理を遺れて吾が心を求むればが心又何物ぞや」と。彼は曰った。

「至善は是れ心の本體。只是れ明徳を明にして、至善至一の處に到る。便ち是れなり。然れども、亦未だ嘗て事物を離却せず」斯く心と事理をと一體であるから事上錬磨・知行合一の説も出来るのである。

駆れは曰った「心なければ身なし。身なければ心なし、但、その充塞する處を指して之を言へば、之を身と謂ふ。主宰の處を指して言へば、之を心といふ。―――

―――心の發動する處を指して之を意といふ。意の霊明なる處を指して之を知と云ふ。意の渉著する處をを指して之を物と云ふ。身と心と意と知と物とは、只是一件、意の未だ懸空的なるはあらず必ず事物に著す。

故に意を誠にせんとせば、意のある所に随ひ、其の事にして之を格して、其の人欲を去って天理に帰すれば、良知の此の事にあるもの蔽無くして致すことを得」と。

彼は、精神といひ身體といふのも、心といひ事といふのも、畢竟唯一の實在の殊なる方面と観るのである。「心を外にして理を求むるは、此れ知行の二なる所以なり」

「理を吾が心に求む、此れ聖門知行合一の教なり。吾子又何をか疑うはんや」と。如何なる聖人といへども豫許多の名物事変を知り盡すことは出来ない」

「それで事物に際して、我が心の作用を正うする工夫を凝らしてさへ置けば、一心が萬事を正うすることが出来る」陽明の学説が直截簡易で、根本の要領を得て居るのは、實に此等處にあるのである。

陽明は又、彼が心卽理の説を唱へた宗旨を述べて居る。其の大意を摘んでいふと「世間で或る人の為した事は理には當って居るが、まだ心が純粋でないだけであるなど云って、理と心を分かつものがある」

「さうして、彼の外の理とする所を慕ひ求めて、心を問はず偽善に流るゝものが出来る。それで余は心卽理を説いて、心の外に義を求むる者の弊を正さうとするのである」

陽明は、道を己の心に求めて、心から行はしめよう、卽ち至誠ならしめようとするので、彼の学説の徹頭徹尾篤實の所が此にも見らるゝのである。

(陽明の学は、此の如く心を重んずる所から、世に之を心学又は陽明の心崇などともいふのである)

附言の一、心とを二に説いても其の實、一の事を両面から説いて居るので、結局は自然に自然に合一するものがある。

それで、此に心と理との哲学上の論辨をする必要もないが、吾人は陽明の説明法を以て要を得たものと思ふのである。

附言の二、世には陽明の学説を以て、経験説の正反対で直覚説であるなどと説く者があるけれども、この種の学説の分類法は、陽明の真意を誤解せしむる恐れがある。

陽明は、説に事上錬磨を説いて、事物を離れて修養はないとするのであるから、極端な経験説とも見られる。「心は自然に知ることを會す。……外に求むることを假らず」と説くから、極端な直覚説とも見られる。

而も陽明は、決して心と事を別にしないのであるから、経験説と直覚説をとを合一したものと云ふことも出来る。吾人は單に一面のみから彼の学説を分類することが出来ぬ所に、彼の学説の妙味があると思ふ。

附言の三、陽明の心卽理の説及び事上錬磨の説は、宋の陸象山の「此の心と此の理と實に二あるべからず」「人情事変の上に在って工夫を倣す」等の思想に淵源して居るとも思はれる。

彼の、悟道の歴程から見ると、何時頃どれ丈の程度に於て、象山に負ふ所があったかは明らかでない。彼が三十三・四歳の頃、儒教に復帰してから、自らは程朱の学を修めたと云っても、象山に負ふたとは云って居らぬ。

併し、其の間に象山の学をも併せ修めたものと見える。彼は四十四歳の頃に「大道卽人心」と云ひ、三十六歳の時に「此心還此理」と言って居るのは、象山の思想と気脈を通じて居るやうである。

又、龍場に於て席元山から、朱陸異動の辨を問はれて居るのを見ると、當時既に朱陸の比較研究も進んで居った事は察せられる。

知行合一の説は、王陽明の一大悟であったけれども、此は寧ろ切實なる修養の工夫を示すものとして重きを為すのである。陽明が道徳の至上の主義として先づ説いたものは「天理」であった。

さうして、此の天理を體現する工夫として説いたのは「天理を存し、人欲を去る」と云ふ事であった。彼は以前弟子に向ひ、格物致知を説き、知行合一を説き、心卽理を説いた。

道を己の心に求めしむる為に、静坐の工夫をも教えたのであるが、学ぶ者の漸く流れて空虚に入り、脱落新奇の論を為すやうになって来た。

それで、陽明は其の弊を救はうとして、専ら学ぶ者に天理を存し人欲を去り、省察克治の實工夫を為すことを教ふるやうになった。

彼が、單に「知」と云はないで、知其の者の内容を明に「天理」と提示して、学ぶ者に實工夫を凝らさしむるやうになったのは、彼の教育法の一進歩である。さうして又之によって彼自身の悟道も、一般精微に進んだものと察せられるのである。

従来陽明は、此の宇宙卽ち天に同化することを以て、人生の帰趣にして居った。彼は以前に仙釋を修めて居る頃にも、儒教に復帰してからも、主として情的に詩的に宇宙に同化しようとする趣があった。

卽ち、詩的想像の翼を張り、大自然に対する一種の崇高なる感情を動機として、塵世を脱離し、羽化登仙するといふような有様で、飄々として宇宙に逍遥することを本領として居ったやうである。

彼は、儒教に復帰してからは、人生自然の根本義を研究する材料としては主として易に依った。易は彼の父祖以来の家学とも稱すべきものゝやうである。

彼は、精を凝らし思いを潜めて之を研究した。易の教義は宇宙を一體の道徳的組織と観じ、その理法に従ふことを以て、人生の帰趣とするものである。

彼は、是に依って天地万物の盈虚消長する易理を究め、人生の禍福窮達の上に超脱する工夫を凝らした。さはれ情的感興のみでは、一時昂進して絶対無限の意味を有するやうであっても、次第に薄らいで来るもので決して永続不変のものではない。

一時は、感想の上から全然天と合體したやうでも又離れて来る。二たび三たび情的感興を繰返して向上するやうでも、又も二たび三たび下退する時が出て来る。

唯々、絶対不変なのは真の智的認識である。それで情的感興では足りない。智的に悟了することが必要である。陽明が天理に悟入したのは、矢張り龍場の一悟と同時であった。

易を始め、経書の研鑽と自家の思索と相俟って自得する所が出来、其の後次第に精緻に進んで、終に学説として提示するやうになったものと考へる。

天理とは何であるかといふと、宇宙自然の大原理である。かの「心卽理」の理も此の天理を云ふのである。「心は卽ち理なり、此の心私欲の蔽なければ卽ち是れ天理」と。

人は天地と體を同じうするものである。「人心と天地と一體なり。故に上下、天地と流れを同じうす」それで宇宙を支配する原理は、卽ち人を支配する原理である。この天理の人に存するもの之を性といふのである。

斯く心も性も天も、畢竟一の實在を観る方面を異にして名付けたまでゞある。忠と云ひ孝と云ふも、仁と云ひ義と云ふも、只々一箇の天理が人の性となり、心となって事物に現われ出たものに過ぎない。

故に、天理は道徳最高の主義である。之を至善といふのであると。「至然は只々是れ、此の心天理に純なるの極、卽ち是れなり」

彼の、格物致知といふのも、此の天理の自覚流行を主意とするに外ならぬことである。「格物致知の功を用ひて、私に勝ち理に復るべし。卽ち心の良知、更に障礙なく以て克即流行するを得、便ち是れ其の知を致すなり。知到れば意誠なり」

上来、陽明の、天理を道徳の本源とする学説は之を概括すると、中庸に「天の命する之を性と謂ふ。性に率ふ之を道と謂ふ。道を修むる之を教といふ」といへる一句の意義を、祖述したものといふことが出来る。

人は誰しも、此の天理を己の性として具へて居るのであるけれども、人欲の為に昧まされ妨げられて行はれながら、不義となるのである。

そこで、天理を存し人欲を去るといふことが、修養の最高工夫となるのである。「只々人欲を去り天理を存することを要す。方に是れ功夫、静時も愈々人欲を去り天理を存す。動時も愈々人欲を去り天理を存す。」

動時静時の區別なく、只管天理を存し人欲を去ることが一切の工夫となるのである。此の「天理を存し人欲を去る」の極巧は「天理に純にして人欲の雑無き」に至るのであって、之を至善いひ、斯くの如き人格を備ふるものを聖人といふのである。

聖人の聖たる所以は、只々是れ其の心が天理に純で、人欲の雑が無いからである。丁度精金の聖たる所以は、但其の成色が十分で、胴や鉛の雑がないのと同じである。

人は、天理に純なるに到った時が方に精である。金は、其の成色が十分なるに到った時が方に精である。然るに聖人といはるゝ者にも、其の才力には大小の差がある。

丁度、分量は同じでなくても成色が十分であれば、皆之を精金と謂ふがごときである。……故に凡人と雖も修養して此の心が、天理に純なるやうにしたならば亦聖人となることが出来る。

学ぶ者が、聖人を学ぶといふのも、金を煉って雑物を去り精金とするのと同様に、人欲を去って天理を存するに過ぎない。

此れ等、陽明の聖人論は實に千古徳教の極致を道波するものである。其の深切なる其の痛快なる吾人に対する永久の福音といはねばならぬ。人皆聖人となるべし。

さりとて、徒に高きを希ひ大なるを慕うてはならぬ。己の力量に相當の所に止まらなければならぬ。己の分に安んぜねばならぬ。

さりとて又自卑自棄してはならぬ。人皆自ら務めたならば聖域に入ることが出来る。己の分に安んじて己の最善を盡す、斯くして箇々に圓成するときに絶対至上の満足がある。

人々、自ら足るから他と才力を較量して、外に求むる必要はない。人間の最高至上の生活といふものは、之を措いて他に道はないのである。

陽明の、此の教訓を體得真悟したいならば、それこそ奮励欣躍、手の舞で足の踏む所を知らざるものがあるのである。

天理を存して人欲を去ることが、最上至高の工夫たるからには、天理と人欲との區別を十分明かにせねばならぬ。此の天理人欲の區別は甚だ微妙なる處に存して居る。

さうして、之を悟らねば陽明の学説の最も重要なる部分を解することの出来ぬ譯であるから、学ぶ者は深く此れに思を致して究明せねばならぬ。

陽明は曰った、「天理は卽ち古人の所謂道心である。人欲は卽ち人心である。……心は一つである。人心の其の正を得たるものは卽ち道心である。――

――道心の其の正を失うたものは卽ち人心である。人の心は初から二の心があるのではない。」人に別種二様の心があるのではない。心は一つである。

心の本體の正を得たときに、天理を存するといふのである。心の本體の正を失ったときに、人欲といふのである。

陽明の門人陸澄が、小兒の病気の危篤の為に憂悶に堪へないで居るときに、陽明は之を喩して「父の子を愛するは、おのづから是れ至情である。――

――然れども、天理には亦自ら一箇の中和の處がある。之を過ぐれば卽ち是れ私意である。然るに人は此の私意の處に於て、誤り認めて是れ天理の、當然で愛すべきものであると思ふと只管に愛苦する

さうして、其の憂患する所が既に其の正を得て居ないのに思ひ付かない。大抵七情の感ずる所は多くは過度に陥るものであって、及ばずといふ方は少ない。――

――僅かでも過ぎたならば、便ち心の本體ではない。それで必ず調停敵中始めて本體の正を得るのである。父母の喪に就く場合の如きは、人の子たるものは一哭して死んだ方が心に快きやうに思ふ。

然れども、孝経の中に殷すれども性を滅ぼさずといって、哀殷が情に過ぎて性を滅ぼして死ぬやうなことがあってはならぬと、戒めているのである。

是は聖人が、孝子の至情を強ひて斯かる制限を設けたのではない。天理や本體には自ずから分限があって、過ぐべからからざるからである。

人は、伹々心體の自然に分毫をも増減し得ざるを識り得ん事をようする」と曰った。この一段は最も明に天理と人との區別を発揮して居る。

喜怒も哀楽も好悪も人の性である。真に之を人欲といふことは出来ない。其の正を得たときに天理といひ正を失ったときに人欲といふのである。

故に、「至善は心の本體である。本體上、僅に少したりとも過當であれば、便ち是れ悪である。既に一個の善があって、却して又一個の悪があって、相對するのではない。故に善悪は只ゝ是れ一物である」

然らば、同じ一の心から出る作用が、或は天理をし全うしたり、或は天理を失って人欲となるのは、何に由るのであるか、それは其の間に私意を著けざるとにあるのである。

「喜怒哀楽の本體は、自ら是れ中和的のものである。纔にても此れに自分で些しの意思を著くると、便ち或は過ぎたり或は及ばなくなる。便ち是れ和である」

「好悪を作さずと云ふのは、是れ全く好悪の無いのを云ふのではない。全く好悪の無いものは是れ知覚の無い人である。好悪を作す作さないの問題にはならない」

「只、好悪する所が好悪する所に循って、其の間に些したりとも意思を著けなかったならば、それが曾て好悪しないと一般である」

天理は、自家の意必を俟たないで自然に覚知せられ、自然に流行するものである。此に少しでも私意を執著すると、大学に所謂「親愛する所に辟し、賤悪する所に辟辟し、畏敬する所に辟し、哀矜する所に、敖惰する所に辟する」ことゝなるのである。

天理と人との區別は実に此に存する。故に一切の意必将迎の私を去ったならば、天理は自ずから全うせられる。陽明は曰った。「人欲を去り得たならば、便ち天理を識るのである」

「天理を體認するには、只ゝ自己の心地に私意なきことをようする」「人心は本是れ天然の理で、精々明々たるものである。若し繊芥染著するものがなかったならば、只々是れ一の無我である」

それで、汚染を拭ひ去ると鏡の自ずから明なる如く、一切の私意人欲を去って心が天理に純なるやうにすることが、修養の根本工夫となるのである。

此の、人欲を去って天理を存するのは如何にせよよ云ふと、格物致知が其の主なるものである。心卽ち理で、心と事と離すことは出来ないから、事々に心の發現する所に就いて、人欲を去って天理を存するやうに工夫すべきなのである。

此の、事々に當って天理を存しようとするときに、其の障礙をなすものは人欲である。そこで「省察克治」といふことが大切なる工夫となるのである。

陽明は、此の克己の工夫を未萌の先にすると、方に萌すの際にするとの両様に説き、且つ天理と人欲の区別は微妙の處に存するのであるから能く心を用ひて自私 自利 将迎 意必の病根を根本から抜き去るやに考へた。

「必ず、此の心が天理に純であって、一豪も人欲の私がないやうにするのは、此れ聖となるの工夫である。必ず此の心が天理に純で、一豪も人欲の私がないやうにしようとするには、未だ萌さゞる先に防ぎ、方に萌す際に克つのでなければ出来ない。

未だ、萌さゞる先に防ぎ、さうして方に方に萌す際に克つといふのは、此れこそ正に中庸に謂ふ所の戒心恐懼であって、大学の致知格物の工夫も此の更に別工夫はない。

彼の、東に滅して西に生ずと謂ひ、犬を引いて堂に上げて之を逐ふと謂ふのは、是れ自私自利将迎意必が累を為すのであって、克治洗蕩が患を為すのではない。

今、養生の法は清心寡欲を以て要とするといっても、此の養生の二字に既に自私自利将迎意必の根がある。此の病根が中に潜伏して居るから、汝には東に滅して西に生じ、犬を引いて堂に上ぼせ之を逐ふの患あるも當然である」

人欲の私意を去らうといふ其の心に、既に私意の伏在して居ることがある。恐懼戒慎すべきは實に此の點にあるのである。

陽明の論は抜本塞源である。克己の工夫の根本義を提示したものである。陸原静の疑の刃は彼の手から拂いひ去られたのである。

省察克治、殊に私欲を未萌の先に防ぐと當いう工夫は、陽明の最も重きを置ける所である。一門性が陽明に向って、「静坐の時に名を好み貨を好む等の欲根を逐一尋ね出して、掃除廓清しようとするのは、恐らくば肉を割って瘡となすやうなものでありますまいか」と問ふと彼は色を正して―――

―――「此れは、是も余が人を醫する法である。真に人の病根を去るに、之より外に更に大本の事があるとも覚えない。人はたとひ十数年過ぎても、猶此の工夫の不用になることはないのである。

汝若し用ひなければ其の儘打ちやって置くがよい。余の大切な方法を壊してはならぬ」と云った。此れ等を観ると陽明の家法として最も重んぜる所を知ることが出来る。

或る時、王陽明は書を門生に寄せて、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」と云った。口で克己といふことは易いが、之を實行することは容易でない。

此の克己の工夫を、励行するやうにするのはどうすれば良いかいふと、陽明は一に立志にありとした。彼は立志を解して、「只、念々天理を存するを卽ち立志」と云った。

彼は、又曰った「吾が輩がが今日工夫を用ひるには、只々是れ善を為す心が真切ならんことを要する。此の心が真切で、善を見ては卽ち遷り、過があれば卽ち改するのが、正に是れ真切の工夫である。

此のやうにしたならば人欲が日に消えて、天理が日に明になる」此の善を為す心の真切なるのが、卽ち立志である。彼は、彼の義弟守文にも「夫れ学には志を立つるより先なるはない。―――

―――志が立たなければ、丁度其の根を種えないで、徒に培擁灌漑を事とするやうなものである。労苦にして而も成る所がない。

世の因循苟且、俗に随ひ非に習って、卒に汚下に帰するのは凡て、志が立たないからである」と云った。是れ彼が「志立って学半ばなり」の意義を敷絎せるものである。

人は、猛然として此の志を責め、確乎として此の志を立てゝ居るならば、必ず實地に努力する。實地に努力するならば、必ず其の間に、何が天理か、何が人欲かゞ自責されてくる。

此の志がなくて、實行がなくて、口耳の末に天理人欲を解釈しようとしても、一を存し、他を去ろうとしても出来ることではない。

どうも人は、道を知解の上に求めようとして、實事の上に求めようと工夫しない。斯くては講学すること十年はた百年なるも、終に實果はないのである。

陽明は曰った、「余が諸君と日々講究して居るのは只々是れ致知格物の事である。今後たとひ十年二十年を経過しても、矢張りこのやうに致知格物を講ずるのみである。

諸君が、吾が言を聴いて實地に工夫を用ひたならば、吾が講説一番を経る毎に諸君は、自ら長進一番するを覚ゆるであろう。

さうでなくして、只ゞ一場の説話としたならば、之を聞いても亦何の用もなさない」と。学ぶ者は猛然として警省する所がなければならぬ。

立志によって、省察克治が励行せられる。省察克治に依って、人欲を去り天理が存せられる。天理を存するの極致は、天理に純なるやうになる。

之を聖域に入るというのである。此の聖域に達するのは達するのは、固より切實なる修養を累積した結果であって、初めほどは天期の者が中々よく解せられない。

立志して、省察克治を勉むる者は、学ぶ者の事である。省察克治して仁欲を去り天理を存する者は、賢人の事である。

天理を存するの極、少しも人欲の私を雑えないで、天理に純なるに至るは聖人の事である。此に至っては卽ち天神合一である。

絶対至上の天と體を一にするものである。生死も禍福も云ふに足らない。浩々として宇宙と流れを同じうするものである。人の至高貴大自在の生活は此に在るのである。

天理を體認し、體現し得るやうになったならば、悟道の極致と云っても良いのである。王陽明は天理を悟り得たと自覚したのである。然るに彼は猶此れ以上に説を進むる所があった。

彼は、更に知良知の説を掲げて唱ふるやうになった。此の良知の説こそは彼が「百世以て聖人を俟って惑わざる者なり」と、自ら深く信じた所のものであって、彼の悟道の極致である。

卽ち、陽明学の精髄である。彼は以前に知行合一を説いた時にも、良知を云はないのではなかった。は天理を存し人欲を去る教を主として説いた頃にも、良知の語を用ひた。

元来、此の語は孟子から出て居るものであるから、陽明も此の語を慣用したのである。然るに彼は五十歳の時になって、良知といふ語に前よりは更に深切な意味を持たせ、最高の主義として特に之を掲唱するやうになった。

是れ、彼の龍場發悟以来十餘年間、幾多の曲折波瀾ある實生活と相俟って、精思に精思を重ねた結果であって、其の此に達するには真に彼自ら「此の良知の説は、百死千難の中から得来ったものである」――

――と云った通り、容易な事ではなかったのである。た陽明は初めに格物致知・知行合一を説いたのであるが、「知」その者のゝ内容を特に提示することはなかった。

中頃之を「天理」と提示して、天理を存し人欲を去る事を、修養の根本工夫として教へた。然し、其の天理とは如何なるものであるかと云ふことは、之を問ふ者があっても自ら之を求めよと云って、特に之を説明したことはなかった。

固より彼自身には、悟得する所があったのであるけれども、其の意義を簡明な言語にされそうになった。彼は時々友人に語って曰ふには、

「近頃、此れを発揮しようとするに、只ゝ一言あるを心に覚えるけれども、口に發することは出来ない。津々然と味があって、之を口に含むやうである」と。

正に是れ、山雨来たらんと欲して、風樓に満つるの時である。心の中には既に口より溢れ出るばかりになって居って、まだ語を為さないと云ふような一種無限の情懐は、思索を事とするものによくあることである。

陽明は、此の心地を失はないで、久しく老へ続けて居ったが、やがて「良知」の二字となって、發揮せらるゝことゝなった。

「余の論ずる所の致知の二字は、乃ち是れ孔門の正法眼蔵なり。此に於て真的を県得せば、直に是れ、これを天地に建てゝ悖らず。

これを鬼神に質して疑ひなくひ、これを三王に考へて謬らず、百世以て聖人を俟って惑わず。これを知る者、方に之を道を知るといふ。

これを得る者、方に之を有徳といふ。これに異なって学ぶ卽ち之を異端といふ。これを離れて説く、卽ち之を邪説といふ。これに迷って行ふ、卽ち之を冥行といふ」

「孔孟既に歿してより、此の学傳を失ふこと、ほとんど千百年天の霊に頼って、偶々また見るあり。誠に千古の一快。百世以て聖人を俟って惑わざるものなり。

陽明が晩年に至って、極力良知の学を唱をふるに至ったのは、、確かに彼の悟道の一層、精微に一層深遠に進んだものであるが、彼自身もいへる如くに龍場以来多年の悟道が、精熟し大成に至ったものである。

別に、前説を否定して新説を創めたと云ふのではない。知良知の説は彼自身よりは、寧ろ行進を指導する上の大発見であったと云ふべきである。

扨て、陽明は特にろり立てゝ良知を説くやうになったのであるか、其の實良知と云ふも天理と云ふも、その内容に於ては同じである。
「吾が心の良知は、卽ち所謂天理なり。吾が心の良知の天理を事々物々に致せば、事々物々は皆其の理を得」良知とは、畢竟心の天理の自覚せるものに外ならぬのである。

「良知は、是れ天理の昭明霊覚の處。故に良知は卽ち之天理」「良知は、只ゝ是れ一箇の天理の自然に明覚發見する處」

其の實、一體のものを良知と云ひ 天理と云ひ、名を異にするのは見る方面を異にするからで、人の方面から云へば良知、天の方面から云へば天理で、結局同一のものである。

「天に先って、天違はず天卽ち良知なり、天に後れて天の時を奉ず、良知卽ち天なり」斯く天理卽ち良知であるのに、陽明は何故に「天理を存し人欲を去る」の教に代ふるに「良知を致す」語以を以て下であろうか。

是は、天人は一體であるけれども、天理と人とを対照して説くときは、天と人とが二に分かれる傾きがある。假令陽明自身にはさうでなくても、行進には之を誤解する恐れがある。

それで、彼は知良知の説を掲唱するやうになった事と思はれる。天理の自覚は卽ち良知であるから、良知を致すといはゞ、自ずから其中に天人が合一する道徳一切の要項を、この一語に包括することが出来る。

此に於て、彼は良知を以て人生至高の主義とし、之を致すことを以て、修道の最高の工夫とするやうになった。斯くして彼は自己の悟道も後進の指導も、其の最高を極めたと信ずるに至ったのである。

若し、思慮すべき餘地があるならば、それは良知のまだ瑩徹しないものといふべきである。知らうとする私意を著けないで自然に知るのが直覚である。

陽明が良知を説明して、「知ることなく知らざることなし。良知の本體はもと是れ此のようなものである。譬へば太陽は照らさゞることないのが太陽の本體である。良知も亦さうである」と云ったのは、良知の直覚作用の消息をよく傳へて居る。

天理の自覚せるものが卽ち良知であるから、既に天理を解し得たものものは、良知も解し得て居る譯であるが、良知の説は王陽明の学説の完成せるものとして、晩年に全力を盡したものである。

陽明の所謂良知とは、道徳の最高の主義たるものである。根本の動機たるものである。良知の事物の是非善悪を判断するものである。

彼は曰った。「善を知り悪を知るは是良知」「良知もと是れ精々明々的」その判断は真に公明なるものであって毫髪たりとも誤謬のないものである。

彼は嘗て弟子に諭して曰った。「汝の有せるかの一點の良知は、汝自身の準則である。凡そ、汝の意念の趣き著く處が是なれば、卽ち是と知り。非なれば、卽ち非と知り。更に其の良知を欺瞞することは出来ないものである。

此の良知は、善悪を判断する最高の標準であるから、此の良知さへ瑩徹証明になって居ったならば、吾人は萬事に應じて正當の判断を下すことが出来るのである。

「かの、良知の節目時變に於けるのは、丁度規矩尺度の方圓長短における如きものである。天下無数の方圓長短の事物は、豫め窮め盡す事は出来ない。

規矩尺度さへ定まって居るならば、如何なる事物の方圓長短をも判断し得るので、決して之を欺くことは。出来ない。

天下無数の節目時變は、豫め定め盡すことは出来ないが、吾が良知さへ明になって居るならば、如何なる節目時變でも應ずることが出来る。決して之を決して之を欺くことは出来ない。」

それで、吾人一切の正邪善悪の判断は、之を良知に俟たねばならぬ。「若し自己の良知上に就いて真切に體認するのでなければ、丁度星目を盛ってない量りを以て軽重を權り、開かない鏡で醜美を照らし見ようとするものである」

実に此の良知は、完全圓満に具足して居るもので、更に缺陥のないものである。少しも他に俟つところはないものである。

「良知はもと是れ完々全々なるものである。善も悪も只管良知の判断する所に依って置けば、誤りはないのである」

此の善悪に関して、完全至高の判断を下す所の良知の作用は、如何にして行はるゝかといふと、自然であり直覚的である。更に思慮を要しないものである。「良知潑用の思ひは自然に明白簡易である」

「是非を判断する心は、卽ち良知で慮らずして知り、学ばずして能くするものである」良知は直覚的であるから其の上に更に何等の思慮を要しない。

思慮を要しないと云ふよりは、自明であるから思慮すべきことがないのである。「良知は只ゝ是れ一箇の良知であって、善悪をおのづから辨へるのであるのである。更に何等の善、何等の悪の思ふべきことはない」

「良知は、常覚常照である。常覚常照であるから、明鏡が懸かって居っても物の来るものが、おのづと其の妍媸を遁るゝことが出来ないようなものである」

斯く良知は、直覚的に是非善悪を判断するものであるが、善悪を判断するのみならず、猶其の上に善を行ふ動機となるものである、力となるものである。

「心の虚霊明覚は、卽ち所謂本然の良知である。其の虚霊明覚の良知が感に應じて動くものを意と云ふのである。知あって後意があるのである。

知がなければ意もない。知は意の體である。」陽明の所謂知と意とは別物ではないのである。「良知は喜怒憂懼に滯らないけれども、喜怒憂懼も亦良知に外ならない。」

良知の内容には、喜怒憂懼の感情を含むのである。喜怒哀楽の正を得たときに之を天理とも良知とも云ふのである。

故に、良知の内容には道徳的感情が包まれて居る。一面から見ると此の道徳的感情の明覚なる處を良知と云ふのである。

「良知は、只是れ一箇の天理の自然に明覚發見する處である。只々是れ一箇の真誠惻怛である。卽ち真誠惻怛は良知の本體である。

故に、此の良知の真誠惻怛を致して、親に事ふれば卽ち孝である。此の良知の真誠惻怛を致して、兄に従へば卽ち悌である。

此の、良知の真誠惻怛を致して、君に仕ふれば忠である」斯く陽明は、真誠の同情を以て良知の本體として居るので、畢竟天理も良知も真誠の同情も一つのもので、唯之を見る場合に依って名を異にするのみである。

猶陽明は、注意の道徳的なるものを〝良知〟と云っている。

「能く戒慎恐懼するものは是れ良知なり」
それで陽明の所謂知は、今日知情意と三に分類していふ所と意義を異にし、其の内容には情をも意をも含むのである。

「良知は、只ゝ是れ一個の是非の心である。是非は是れ一個の好悪である。好悪といひ是非といふのも一の道徳心をいふに外ならぬのである。

陽明の、此等用語の意義を明らかにしない時は、彼の学説を解することが出来ないから、学ぶ者は注意して見ねばならぬ。

陽明が所謂、知・情・意とは畢竟一體の心を観る方面を異にして云ったまでゞ、譬へば同一の火の光明なる所を、知と名付け、勢力のある所を情と名付け、其の火力が一つの方向に活動する所を、意と名付けたやうなものである。

此の良知は、生まれ乍らにして人に具有して方面を居る。卽ち先天的のもの固有のものである。苟も人たる以上は、誰しも皆之を固有して居るのであるから、普遍的なものと謂ふべきである。

「良知の人心に在るは聖人愚人の別はない。天下古今の同じ所である。」「良知の人心に在るは萬古一日の如し。」世に盗賊と云はるゝ者にも、此の良知はある。

「良知の人に在るは、本来固有のものでどうしても此れを、泯滅することの出来ないものである。盗賊といへども、自ら盗の為すべからざる事を知って居るから、人が彼を盗賊と喚ぶときは、彼もまた、忸怩として慚づるのである」

斯く良知は、普遍であると共に絶対なものである。完全圓満至高のものである。良知以上に良知を判断する標準はない。良知以外に更に他の増益を俟たない。

「良知は只ゝ一箇。其の發見流行する處に從って當下に具足する。更に去来もなければ假借することをも要しない。」それで良知は、一箇の私智を以て之を動かすことの出来ないものである。

「良知は、自知的の是非の心、便ち是れ本来の天則である。聖人の聡明といへどもへ一豪をも増減し得ない。」「良知は固に吾が心天然自有の則である。其の間に擬議加損する所あるを許さない。――

――其の間に擬議加損する所のあるのは、是れ私意小智であって至善ではない。」良知の絶対といふのは、真に厳密なる意義に於ていふものであって、更に是と相対するものはない。

「良知は、是れ造化的の精霊である。真に是れ物と対がない。人若し此の良知を復し得て、完々全々少しも缺くる所がなかったならば、自ずから手の舞ひ足の踏むを覚えない。天地の間、更に之に代るべき楽はない。」

此のやうに、良知は絶対不変なもので、人心に固有し、直覚的の作用を為すものであるに、どうして人が不善を為すに至るかというと、私欲の為に蔽るゝからである。

「夫れ、良知は即ち是れ道である。良知の人心に在るは、但々聖賢のみではない。常人といへども亦、此の如くならざるはない。――

――若し物欲に牽蔽せられないで、但々良知に循って、良知のまに~發用流行したならば、即ち是れ道ならざるはない。但々常人は多く物欲の為に牽蔽せらるゝから良知に循ひ得ることが出来ないのである。」

そこで、私欲を去って、良知を致すと云ふことが修得の根本要義となるので、良知を致すと致さゞるとは聖と愚との分かれ目である。

好悪と云ひ是非と云ふのも、一つの道徳心を云ふに外ならぬのである。

陽明の、此等用語の意義を明かにしない時は、彼の学説を解することが出来ないから、学ぶ者は注意して見ねばならぬ。

若し、夫れ努力して此の良知を致すことを得たならば、愚夫・愚婦も聖域に入るのである。如何なる境遇に處しても、人間の絶対至高の満足は此に得らるゝのである。

「人孰れか是の良知なからんや。独り之を致すあと能はざるがあるのみである。聖人よりして以て愚人に到り、一人の心よりして以て四海の廣きに達し、千古の前よりして以て萬代の後に至るまで、同じからざるはない。

此の良知というものは、是れ所謂天下の大本である。此の良知を致して行へば、所謂天下の達道である。天地以て位し、萬物を以て育し、富貴・貧賤・艱難夷狄入るとして、自得せざるはないやうになるのである」

良知と私欲との関係は、即ち天理と人欲との関係に同じである。分って良知と云ひ私欲といふけれども、其の實全然別種のものではない。

本来一つである所の心が、本體の自然のまに~活動する時は、之を良知と云ひ私意を執著するときは、之を私欲と云ふのである。

喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲、此の七情は其の自然の流行に順へば、皆是れ良知の作用である。……七情が執著することあらば俱に之を欲と云って、俱に良知を蔽ふのである。

併し又、少しでも七情が執著せば、良知も亦おのづから之を覚るのである。覚れば卽ち其の蔽は去って、其の本體に復するのである。此の處をよく徹底して悟り得たならば、方に是れ簡易透徹の工夫である。

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  • 最終更新:2020-07-16 05:13:50

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