第一章 言志録(ハ)

こう誠に今に至るまで、功利の毒は人々の心髄にまで浸透し、この幾千年の間に完全に習い性となってしまった。そして知識を誇り、権勢を凌ぎ合い、利を争い、技能を競い、誇り栄誉名声を奪い合う。

記誦の範囲が広い事は、自尊を高めるのに都合よく、知識の多い事は悪事を働くのに都合よく、聞見の博いのは弁舌を欲しいままにするに都合よく、修辞に長けているのは虚飾に都合がよい、という事から今では初学の弱輩までが、どの説にも通じ、どの術も究めたい、と願うに至った。

そして表面に口にする事はと云えば、例外無しに必ず「自分は共々に天下の務めを果たしたいと思う」と言わない試しがないが、しかし、偽りの無いその真意はと云えば、こうでも言わなければ、その私意を満たし、其の欲望を遂げる事が出来ない、と謂うその打算以外の何物でもない。

「嗚呼・・・このような積弊の上に、このような魂胆を以て、さらにこのような学術を行っている以上、如何に我が聖人の教えを聴こうとも、それが現実にそぐわぬ。無用の長物としてしか映らないもの、実にもっともな事で、彼等が良知を不完全なものとみなし、聖人の学は役に立たないというもの、勢いとしてむしろ必然ですらありましょう。」

「嗚呼・・・士としてこの世に生を受けたからには、にも拘らず尚、何によって尚、聖人の学を論じなければ成らぬものか、士として此の世に生れ、しかも学を成さんと欲するものは、何と苦労且つ艱難に満ちてはいないか、余りに阻害が多く道も険難に過ぎない過。」

「嗚呼・・・何と悲しい事ではないか、只幸いに天理が人心に在るという事だけは、絶対に滅びる事ではなく、良知の清明は、万古一日の如くに不変であります。」

であるならば、いや、我が抜本塞源の論を聴く事に依って、必ずや則然と悲しみ、戚然と痛み、憤然として起ち上がるのが現れ、その勢いも軈ては江河の堤を破って、奔流する如くに、防ぎようがなく、激しいものと成るであろう。

私が望むのは、一切の権威に依存する事無く、自らの脚によって興起する、豪傑の士に他ならず、それ以外に誰を、待ち望む者があろうか。

静謐を求めようとし、思念が生じないようにしようとする。此れも将に自私、自利や我執の病であり、だから益々思念が生じ、益々静謐でなくなったりもするのです。

良知は只一つのもので、良知に於いて善悪は、自ずと明らかにされるのです。それ以外に何の善や悪を思うことがありましょう。

老子の学は、自己の充実を計るものです。それは決して、人に信じられるか否かを、思慮するものではなく、飽く迄自己の良知を信ずる事、それのみです。

抑々自己の心に、実得する事を第一義とします。もし自分の心に押し当てて見て誤りだと思ったら、譬え孔子の言であろうとも、それを是としたりはしない。況して孔子にも及ばぬ者の、言に就いては尚更の事です。

一方、自分の心に押し当てて見て、正しいと思ったら、例えそれが凡庸の人の言であったとしても、それに依って、それを非としたりはしない。況してそれが孔子の言なら、云うまでもない事です。

一体、衆人が嬉々として、生を楽しんでいる中に、自分だけが涙を流して世を憂い、或は世を挙げて安逸に走っている時、自分一人だけが頭を悩ませ、顔にしわを寄せてそれを憂える程と云うのは、凡そ狂人でないとすれば、必ず、大きな苦悩を内に秘めた人でなければならず、天下の至仁の人でない限り、誰がこれを理解し得ましょうか。

伝い歩きを学ぶのが、千里を走る事を学ぶ、始まりであるのと同じです。一体私共は先ず伝い歩きの出来ぬ事を、心に掛けるべきで、其れも出来ぬ内にどうして早々と、千里を走る事が出来ぬのを、案じる事がありましょう。況して況や、千里を走る人に対して、伝い歩きを忘れないかどうかと案ずるなど、実に論外でありましょう。

大凡児童と謂うものは、遊戯を楽しみ拘束を嫌い、云わば草木の新芽が萌えでる時のようなもので、自由に伸びやかにしてやれば、スクスクと四方に伸びるが、挫いたり押し曲げたりすれば、萎え衰えてしまう。

凡そ詩歌を吟詠させるに、姿勢を正し精神を落着かせ、その音声を清朗にし、韻律を正確に調えさせねばならない。

苟も、噪いで動き回ったり、だらけてお喋りに耽ったり、或は怖じ怖じと萎縮したり、する事が無いようにしなくてはならない。このような事を続けていると、軈て精神も伸びやかになり、気分も平安になる。

凡そ礼を習うには、心を清澄にし、意念を厳粛にし、儀法に正しく則り、進退挙動に節度を持たせねばならない。

苟も、怠って怠惰に流れたり、いじけて恥かしがったり、粗忽にして粗野に渡ったりしてはならず、態度はゆったりと落着き、しかも緩慢ではなく、謹直でありながら、しかもぎこちなく無いようにすべきである。此れを久しく続けると、例に適った立居振舞にも習熟し、徳性も堅固になる。

人がもし、この良知の要諦を悟れば、如何に多くの邪念があろうとも、此処に一度覚醒する事に依って、それらは消融する。誠にこれは、一粒の霊丹良く鉄を変じて、金と化すものである。

大凡、朋友というものは、欠点を指摘したり戒告したりするよりは、寧ろ扶けたり励ましたりする事の方に、重点を置かなくては駄目だ。

朋友と学を論じ合う時は、自己主張を控え、気持ちを広くして、臨むのが良い。

凡そ、飲食は何よりも我が身を養う事を、主眼とするのだから、食べた物は消化されなくてはならない。もし、徒に腹の中に詰め込むだけであると、痞病に懸かり、とても身体の滋養になるどころではない。後世の学者は、有り余る知識を胸中に滞らせているが、これは食傷の類である。

「発奮して食を忘れる」聖人の志とはこのようなもので、誠に果てる時が無い。「楽しんで憂いを忘れる」聖人の道とはこのようなもので、誠に伸びやかである。志を得ない時と、得た時とに分けて、考える必要はなかろう。

知行合一について、現在人は学問をするに当って、何よりも知と行とを二つに分けて、しまっている。その故に或る念慮が生じて、それが不善である場合にもいや、まだ行うに至っていないからと云う訳で、其の念慮を禁じようとしない。

私が今、この知行合一を説くのは、他でもない、一寸でも念慮が動けば、それが取りも直さず、行ないなのだ、そしてその動きに不善があれば、直ちにその不善の念は、克服すべきであり、しかもそれは、ホンの一念の不善たりとも、胸中に棲ませない程に、徹底を究めなくてはならないのだ。

功夫を始めたばかりなのに、どうして胸の中がおいそれと明るく成ろう、例えば奔流する河が濁水を汲み上げて、亀の中に入れたとしよう、その初め水の動揺は間もなく静まるが、しかし混濁は中々消えるものではない。

長い時間をかけて自然に泥が収まり、透明を回復して初めて、元の清らかさに戻るのである。君も只良知に就いて、功夫を進める事だ。

ずっと長い間その良知が、保たれていたら、軈て真暗な所も、自然と明るく光るようになる。今、せっかちに効験を、求めようとするのは、寧ろ「助長」に終るだけで、功夫成就しない。

諸君が功夫を進める上で、絶対に避けるべき事は「助長」である。大体上智の人などは殆んど、皆無に近いのであって、況して学ぶ者が一足飛びに、聖人の域に入る事など有り得ない。

起き上がったり、転んだり、進んだり、退いたりするのが、功夫にとって寧ろ自然な在り方で、このような曲折は、予め避けられない物なのだ。

昨日ちゃんと功夫に務めたのに、今日になってもそれが十全に、発揮されないと云うので、何とか無理にでもその破綻の様を、取り繕うとしたりするなど、それは無駄な事だ。

そのようにする、それが「助長」なのであり、そんな事では折角前日の功夫まで、全部駄目にしてしまう。これは決して小さな誤りではない。

例えば、路を行く人が、もし躓いて転んだなら、起き上がって又、歩けば良い事で、転倒しなかった振りをして、人を欺く必要はない。

諸君は、常に「世に埋もれていても悶える事無く、自己の正しさが認められなくても、悶える事はない。」そう云う心を抱き続けるべきである。

此の良知に基づき、粘り強く実行して行き、人に非難嘲笑されようと、誹謗されようと、賞讃され又、侮辱されようと、一切それに動ずることなく、一進一退があればあったで、其の侭、功夫を続けて行くが良い。

何よりも、此の良知を発揮する事、此処にこそ、自己の存亡を賭けて行ったなら、長い間には必ず、自然に悟ところもあり、世上のどのような事柄にも、動かされる事が無くなる

舜が、(弟)象の驕慢を感化出来たその秘訣は、何よりも象の不正を見ないと謂う事にあった。もし舜が、象の邪悪の矯正に熱を入れていたら、勢い象の不正が目に付く事になり、一方象は其の驕慢さに依って、絶対に其の忠告に従わなかったろう。況して感化など、思いも及ばぬ事だ。

先生が言う、「良知は、萬物自然の精霊である。この精霊が、天を生じ、地を生じ、鬼神を作り、天帝を作り、一切がここから出た。誠に「物と相対する事の無い」(萬物それ自体と云うべき)ものである。

人がもし此の良知に復し、完全無欠で有り得たなら、自ずと手の舞、足の踏むを忘れる程に、欣喜するだろう。天地間に之に代り得る、どんな愉悦があろうか。

或る人が問う、「仏家も又心を養う事に努めますが、しかし、結局の処、天下の治政に関与出来ないのは、どうしてですか」先生が言う「我々儒者が心を養う場合には、決して具体的な事物から遊離する事が無く、只、天則の自然に順う事に務める。そしてそれが、取りも直さず功夫でもある。

一方、釈氏は逆にあらゆる事物を断ち切り、心を幻想と見做し、軈て寂滅に落ち込んで、世間と些かの関係も無いように振舞う。だから、天下の治政に関与出来ないのだ。

所謂、良知は幼童に固有のものに基づくもので、後天の学問や思弁に依るものではない。匹夫匹婦の愚と雖も、聖人と異なるものではない。

孟子の、不動心と告子のそれとの違いは、微妙な処にある。告子は只、心を動揺させないという事を功夫の主眼とした。孟子の場合は、心は本来動揺するものでは無い、と云う。

そこの処に着し、そこから心の本体は、動かぬもので、只、行ないが義に合わない時に、それが動揺する、という事を明らかにした。

孟子は心が動いているにせよ、いないにせよ、要は飽く迄「義を集積する」ことであり、其の行いが、全て義に適っている限り、心も動く事が無い、とした。

それに対して、告子は只心を動かさぬ事を、目的として心を検束してしまい、その生々躍動して止む事の無い、根源の処を阻礙し、抑圧する結果になった。之は単に益が無いどころか、寧ろ害を与えるものである。

孟子の「義を集積する」功夫にあっては、(人は)自然にその内面が充実して、決して「餒えたり、飽き足らなかったり」する事無く、自ら縦横自在、活潑潑地として来る。之が取りも直さず「浩念の気」なのである。

聖人の知は、謂わば青天に輝く太陽であり、賢人の知は、浮雲漂う空の太陽であり、愚人の知は、黄塵に暗く蔽われた太陽である。

明るさは、その光に依って黒白が、弁別出来るという点では同じである。暗闇の夜にあってすら、薄ぼんやりではあるが、黒白が見分けられるのは、太陽の余光まだ、残っているからに他ならない。「困苦して学ぶ」べき凡人の功夫も先ず、この僅かな明るみから精察して行くべきだ。

<甑を補修する>後漢の孟敏が、担いでいた甑を地面に落して割ってしまったが、割れた物を眺めても使用がない、と、其のまま後ろも振り向かないで、立ち去ったと謂う故事に基づく。

今の人は、差し迫った仕事が無くても、食事の時ですらいつも齷齪と、心を働かせて休む事が無い。これはその人の心が、気忙しい事に馴れてしまっているからで、だからそのように拡散してしまうのだ。

学ぶ者が、良知にもたれ掛かる事が出来、感情に振り回され事が無かったら、常に伏義三皇以前の人である、

「郷愿」非難しようにも、まるで尻尾の掴まえ所がなく、世俗に埋没したまま、態度はさも忠信らしく、行ないはさも清廉らしく、誰からも愛され、自らも自分に満足し、所謂「狂者」に対しては、「何だってあんな風に、でっかい志を吹聴するのだろう、行ないを考えずに言を吐き、言行不一致もいい所だ」と批判して止まない、そういう人物である。

学ぶ者は、時々刻々不断にその(肉眼に依っては)観得ない所を見、その聞こえない所を聞いてこそ、始めてその功夫は、着実なものと成る。

長らくこうして、軈て熟柿っ切ったならば、特に力を用いずとも又、守護しなくとも、真理は自ずからに、間断無く露わになる。最早(自己の)外に何を見ようが見まいが、そんな事は全く問題にならないのである。

一棒一条痕、一摑一掌血。
諸君は、此処に在って努めて、必ず聖人足らんとする心を、立てるようにしなければならなぬ。ぴしっと、一棒痛打すれば何時までも、一生、一筋の痕が残り。ぐっと摑めば、其の物に、手の血型が付くようで無ければ成らぬ。

それでこそ、私の話を聴いても、一句一句力になるであろう。もしぼんやりだらけて、日を送っていると、人間は一塊の死肉と同じ事で、打っても痛痒を感ぜず、結局は物にならないであろう。

業を、終えて家に帰っても、一向今迄と変るまい。それでは折角勉強に来た甲斐が無く、残念な事ではないか。

心の本体には、一念たりとも(我執)の滞りを留めて置けない。丁度それは、眼にはどんなちっぽけな塵埃も、留めて置けないのと同じだ。そんなちっぽけな物に、何が出来るかとと思うが、眼はそれによって忽ち、真暗にさせられる。

又、其の一年は、単に私念のみに留まらない。善念ですら、些かも留めて置けない。眼の中に金や玉の、ほんの僅かな絅片を入れたとしよう、眼はやはり開けて居れなくなるだろう。

道は至大である、天地も又至大である。天地と道とは、或は、等しいとする事も出来よう、然しながら、天地を以て道を対するに、道は天地の本である。道を以て天地に対するに、天地は太倉の一粟、滄海の一勺に過ぎぬ。

彼は、多方面な興味を有していた。彼の心の内には、言い表わすべくもない、一種の熱烈な追求があって、それが、まっしぐらに彼を駆り立てていた。

彼は、恰も精力過剰で然も、どうしてもその捌け口が、見当らないでいる者の如くであった。一面では極めて執着的、他面では実に躍動的、このように彼は何か抑過する事が出来ぬ、自我拡充の理想憧憬が、内心深く存していて、彼を奮発努力に駆り立てていた。
この様なのが、陽明の少年時代であった。

先生の学は、刻苦奮励、多くは深夜の枕の上で汗を流し、涙を滴らせる所より得切ったもの、然も其の体得して自ら楽しむに及んでは、これ又、手の舞、足の踏む所を知らぬ、蓋し、七十年一日の如く、発奮と怡楽と交々生まれる、と云う風でとりわけ、聖賢の精髄を得た物と云うべきである。

儒学に於いては、「心を養う」と言っても、其れが事物を離れてしまう事はないが、仏教では、反対に盡く事物より、絶縁しようとする為に、虚寂に入って、まるで社会と没交渉になってしまう。

聖人の学も、禅も共に「心を盡す」事を求める点では、異なる事はないが、然し禅に於いては、只、只管に心を守り、心を養うという点のみ、力が注がれる結果、「人倫を度外視し、事物を放擲し、かくて独善に走る」と謂う、自私自利の幣に陥るのである。

即ち、「内」が「外」と絶縁し了っている処に、釈老の象性、私的性格が在るのであって、理を心の外に立てようとする、朱子説の「支離」なるは、最も排斥すべきであるが、逆に理を否定して、心のみを求めようとする、佛老の「空虚」も又、掩い難い。「物理、即ち吾が心を度外視する事は出来ぬ」と謂う点を、彼等は知らないのである。

如何に、広さは広くとも、源なき堤の水であるよりも、只、数尺にもせよ、源を有して生意極まりなき、井水でありたい。

狂と罵られ、心を喪う者と、笑わるるも不可なし、聖学を復舊せずんば、其の蒼生を如何せん。

学とは実に人間の自然、人間の本體を、回復する事を学ぶに他ならぬ。「学問者が、心を尽し思いを凝らして、探究するも、求むる所は、只々、彼の本来の體用に、復しようと願うのみ。」

黄宗義によれば、其の学風は凡そ三変していると謂う。即ち「黙座澄心」を主眼とし、発散に対して「収斂」に重きを置いたのが、第一の時期、もっぱら知良知を提唱し、知行合一を主張した。

第二期最後には「信ずる所は愈々円熟し、體得する所は愈々渾然となり、時に応じて是を知り、非を知り、時に応じて是も無く、非も無く、口を開けば直ちに本心を晒す。借り物や、寄せ集めなどは全然ない。その様は、恰も太陽が空に輝いて、萬象皆照らされるに似ていた。」と謂う第三期に終る。

学問者が聖人を学ぶ者は、只、人欲を去って、天理を存しようとするに過ぎない。それは恰も金を精錬して、その成分の十全さを、求めるようなもので、金の成分の量の多さを、争わないならば、精錬の手間は省け、成果は上げ易い。

成分が下等になれば成る程、精錬は困難になる。人の気質は、或は濁、或は純粋、或は雑駁で、中人以上、中人以下があり、「道」に就いても「生まれ乍らにして知り、安んじて行う」ものと「学びて知り、利として行う」ものとがあって、下なるものはどうしても、人が一つで済むものならば、百、人が十なら、己は千、と云う風でなければならない訳であるが、その成果を完成したとなると、その点では同じことである。

後世では、聖人と成るの根本は、天理に純なる処にあるを知らないで、却って知識や才能の点に、聖人を求めて行き、聖人は知らざる所なし、能わざる所なし、と思い込み。自分も必ず聖人の幾多の知識・才能を逐一、體得せねばならぬ、それでこそ始めて、望みを達する事が出来るのだ、と考える。

だからして天理という点に、努力を傾ける事をしないで、徒に勢力を消耗し、上から研究したり、事物の飢えから考証したり、行跡を模倣したりする。

かくて、知識が広くなれば成る程人欲もしげくなり、才力が多くなれば成る程、天理も愈々蔽われる。

これは、丁度萬鎰の純金を持っているのを見て、成分を精錬して、後の純金に愧じないようなものを、作りだそうと努める事はしないで、妄りに貫目ばかり念頭に置いて、彼の萬鎰に等しくあろうと努め、錫・鉛・銅・鐡何でもかんでも投げ込む込むものだから、分量は幾らでも増すが、成分は愈々下等と成り、終いにはその如何なる、小部分共もう金は無くなってしまう。

もし、いにしえに聖人が居なかったならば、人間と謂うものはとっくの昔に、滅亡してしまっていたであろう。

後世の儒者は、只分量の上で比較考察しているので、功利主義に堕している。もしも分量を比較する心を除き去り、各々が自己の力量・精神をありったけ発揮して、只管この心が天理に純であるように、という点に努力するならば、直ちに、誰もが其々の円満成就を得るであろう。

「即ち、大は大を成し、小は小を成し、外に求める必要はなくて、全てが具足しているであろう。是こそ着実な意味で『善ニ明カニ身ニ誠ニ』する事である。」

陽明に於いて重要な点は、彼が今や「林下の高士」的な高踏主義を脱して、聖学復興の大施を真向に、振りかざした革新運動を展開し、又それと表裏して理論的に、極めて尖鋭な分析が縦横に、駆使されて来る事である。

悟性論理の徹底と云う点に於いて、その分析尖鋭さに於いて、絶えず根本原則より、出発する論旨の透徹せる点に於いて、中国思想史上、陽明に匹敵するものは、求める事は出来ないであろう。

陽明説の綱領は既に陸象山が、四百年前に先駆して、説き尽していると言ってもよいかも知れぬ。然しながら象山には、陽明のひた向きな論理が無く、使命感に燃えた改革者の情熱が無い。

解放と自立を求めるパトスと、その必然的産物たる、分析論理的合理主義、後に李卓吾に於いて、頂点に達する忌憚無き、歴史批判・文化批判は、裏にそこからする、当然の結論であった。

所謂、「聖教の罪人」は却って、寧ろ最も峻厳に、聖教の真面目に返ろうとした、陽明の嫡統であった、と云わねばならぬ。


官職に就く事は、人間の志をスポイル(人間を駄目に)する。

社稷人民の事は、元より学問でない訳ではない。然し、政治に於いて学問する事は、最も汝である。

「抑々、聖人の聖たる所以は、精神の命脈、完全なる隊の『内』依りする働きに存するのであって、人に知られることを求めはせぬ。故に絶えず自ら自己の過失を、認識し、自己満足に按ずる事無く、日々に進歩を求めて、止む事が無い。」

「所が郷愿は、只、世に媚びる事に心があり、全き體も精神も悉く『外』を標準として規制する。故に自分では正しい、と思っているのであるが、堯舜の道に、入る事は出来ないのである。

学術の邪なるか聖なるかの、分かれ道は疑いもなく、此処に存するであろう。聖学が明らかにならず、世には中行の者も鮮く、不狂・不狷の習いは、人の心體に沁み渡ってしまった。

我々は、聖人を学ぶ者が、精神命脈と云う点を、追求・探求しようとはせず、只、徒に皮毛肢節の外面をのみ学び取り、行為や事跡の後ばかり収拾し、非難や誹りを免れて、世に媚びようと努め、かくて傲然と自らを正しいと為し、郷愿と同様な処に陥って、居ながら気が付かない。

苟も、能く自ら反省し、恥を知る一念だに起せば、直ちに狷に入る事が出来、克を知る一念だに起せば、直ちに狂に入る事が出来、時に随う一念だに起せば、直ちに中行に入る事が出来る。入るものは主となり、出るものは奴となる。

「狂者の志す所は、尚友にあり、大綱に関心を注ぐが、細目は余り意に介せず、理想は高く雅懐は広やかであって、格套を繕い、世に容れられようと努める事は、その潔しとせざる所である。」

「其の、言行の相掩わぬ点は、如何にも狂者の快点ではあるが、心境は光明であり、潤達であって、殆んど自己弁護や、隠蔽という事が無いのは、道に近いものである、と言わねばならぬ。」

「天下の過ちは、天下と共に之を改める。どうして、自己の計らいというものを、介入させよう。もし能く念に克つならば、中行に進むことが出来る。孔子が狂者を思ったのは、此の故であった。」

善く人を見る者は、事功、名義、挌套の上に於いてせず、只、心術の隠微なる処に於いて、密かに之を観察し、把握するものである。

青年は、始めて学ぶに当って、只、気象を呑込むべきである。気象が宜しければ、何をしても穏当である。気象には、言葉遣いの軽重、身の振舞の所作・・・そのようなものに於いて、充分に見て取る事が出来るものである。

「正に一箇の大器量人である、精神は極めて玲瓏、外面は極めて質樸、数十人の者が聚って喧雜している時でも、会話のやりとりを仕損ずる事なく、はたの人がいくら割込んで、混乱させようとしても、到底混乱させる事は出来ない。」

自分の遇った限りでは、此の人に比べられる人は、いないのである。傲慢に過ぎるのでなければ、諂いに過ぎ、聡明を露しるぎるのでなければ、余りに悶々瞶々といった連中は、皆此の人に及ばぬ。

聖人も又、人にほかならぬ。高く遠く飛び上がって、人間界を棄て去る事が出来ぬ以上、着ず食わずで、穀物を断ち草を衣として、荒野に逃れるという訳には行かない。故に聖人といえども、勢利の心は無きあたわず、盗跖といえども、仁義の心は、無きあたわぬのである。ru


抑々、天が一人の人間をして、この世に生を享けたからには、自ずから一人の用がある筈で、孔子に補ってもらって初めて、充足するという訳のものではあるまい。

もしも、孔子のお蔭で、初めて充足を得る、と云うのであれば、大昔に孔子が未だ、出現していなかった時には、人々は遂に、人であり得なかったであろうか。

着物を着、飯を喰う。それが取りも直さず、人倫物理である。着物を着、飯を喰う事を除いては、人倫物理なるものは、存在しない。世の中の種々の事は、皆衣と飯の範疇に帰着する。

切々として、「用」を求めながらも、委曲に用を具現する、能力のない事。此処にこそ、儒者が天下後世より、非笑せられる所以がある。

学問を以て、経世する事が、儒家の標榜であるにも拘らず、彼等は伝統的、且つ空疎な規矩繩に拘泥して、現実を知らず役に立たない。「こせゝと周公の禮楽を以って、現実の天下を治めようとし、井田・封建・肉刑を以て、後世においても、必ず施行せられるべきものとなし、一歩一趨、孔子でなければ、夜も日も明けぬもの」それが儒臣である。

当世の、学者官僚に対しては、嗚呼、平居無事拝をなし楫をなすのが、唯一の能事で、一日中静坐して泥人形も同然、雑念が起らぬ、真に大聖人、大賢人だと自惚れている。

其の内、些か悪知恵の働く奴は、良知の講席に紛れ込み、以て秘かに髙い官位をせ占めるが、一旦、変事が起ると、顔を見合わせて顔色なしで、甚だしきは、互に責任を成す繰り合って、明哲保身と心得ている。蓋し、朝廷で用いるのが、懸かる輩ばかりなので、イザという時、役に立つのが居ないのだ。

性質は、せっかち顔付は傲慢、言葉は鄙俗、心は狂疾、行ないは軽率、交際は寡いけれど、面接すれば熱情的に親しむ。

例え、天が崩れようと、地が陥ると、お構いなしで、只、学を講ずるのみ。

抑々、天下の人が所を得ているのは、昔からの事ではあるが、其の所を得ざるもののあるのは、横暴なるものが掻き乱し、仁者が害するからである。

仁者は、天下が所を失っている事を、憂えて汲々として、所を得たる境地を、恵んでやろうとする。そこで徳や禮でその心を格し、政や刑でもって其の身體を縛る。かくて初めて人は所を、失うに至るのである。

聖人は、自己の主観的條理を、押付けようとしないで、民物に順い、順う事に依って、それを安んずる。この故に、財を貪る者には禄を与え、権勢の元に走る者には爵を与え、強き力を持つ者には権力を与え、能力ある者には仕事に相応しい官職を与える。

又、気力なき者は保護して使い、有徳者には誰からも仰がれる虚位与えて、祭り上げ、才の優れた者には重任を負わせて、些細な行動を問題にせず、各々好むがままにさせ、その長ずる所を、発揮せしめるならば、独りとして、役に立たない者はない事になる。

真の書家は、物を師とするのであって人(昔の名手)を師とするのではない。真の学者は自らの心を師とするのであって、道を師とするのではない。真の詩人は森羅万象を師とするのであって、先輩を師とするのではない。

「人間の心は、萬物と交換しない訳にはゆかず、又思慮を起こさしめぬと云う事は難しい。もし、それらの事を免れようとするならば、心に主あるを要する。」

「然らば、その方法は如何に、敬なれば良いのである……人心は両様働く事はできぬ(人心不可二用)一事に働けば、他事は最早入る事ができぬ。それは事がその主となる事である。」

「事が主となってさえ、思慮紛擾の患いはなくなる。もし、敬を主となせば、此の患いのなくなるであろうこと、言を俟たぬ。」

敬とは、「一を主とする」事であり、一とは「適くなき事」である。「主一の」の道程を涵養せねばならぬ。一でなければ二、三であるであろう。

易に、「敬モテ内ヲ直クシ、義モテ外ヲ方ス」とある。あくまで内を直くする事。それが主一の意味である。

「敢テ欺カズ」といい「敢テ慢ラズ」といい「尚ワクハ屋漏二愧シザラン」と云うも皆、敬の事に他ならぬ。只、之を存して、涵養する事久しければ、自ずから天理は明らかと成るであろう。

君側に、仕えながら君父の事は念頭になく、地方官に、仕えながら人民の事は念頭になく、水間・林下に同志を、携えて性命を討究し、徳義を切磨しながら、世道の事は念頭になおならば、例え他にどのような美点があったとしても、君子は共に歯いせぬ。

日本は陽明学に依って、富強を来たした(明治維新)という説に対して、必ずしもその論は適用し難く、当今の策とは成し難い。曰く、近頃東国は王学を用いたので、国は富強に成ったと云う論者があるが、これまた世(時世)を考慮せざるものである。

本国は、最近やっと封建を脱したばかりの国で、人は武に馴れ、然も土地は狭く、国民性はガッチリしている。王学をやって勝れた成果を上げたのは、当然であるが、仮令、朱子の学をやっても、矢張り頑張るであろう。

抑々、民の心が彊氏であったから、持久する事が出来る。そこで王学を借りて粉異る事が出来たのである。処が中国は、民はばらばらで、国民性は快楽的である事に、既に久しいものがある。僅かに、明末に於ける如く、一時を支えるに過ぎず、永続的であり得ない。

王学に基づいて、事に当るものは、成法に拘われるので、往々にして成功するが、元々、永続的ではあり得ぬものである。

人は、常に生き生きとして、はっきりと心地よく、さっぱりと気持ちの良い所がなくてはならぬ。若しも徒に、物事に縮み上り、愚図愚図していて、義に遺はない事を恐れるようでは、活用の無い敬であって、到底この天下に在って、何事も成就えし得ないのである。

君子は、素行するから何処に居ても、如何なる地位に立っても、不平を拘かずそれぞれに応じて、成すべき事を成して、決してあくせくしない。

畢竟「心に満足出来ずに楽しめない」と云う字は、常に功名利欲に夢中に成っている、人達の経験する所で、君子は全く没交渉である。思うに君子は、内に自得する所があるからである。

陽明は、夷狄に遇って凡ゆる辛酸を舐め、毎日死との対決であった。今更,生死は問題ではなかった。「人間、一度生死の境を脱却すれば、胸中廓清と成り、何の未練も無くなる。」

「世の中の、高坑通脱の士は皆、富貴を捨て、利害を軽んじ、決然と自分の進むべき道を歩み続け、何とも思わない気持ちがある。」

もし人間が、時には外道詭異の説に好んで従い、情を詩酒、山水、技芸等の楽しみに投じ、又、時には憤排(感情の高ぶり)に感激し、嗜好牽溺し或る物に頼って、他のものに勝つという事があった場合、そこであれを去って、これを取り。それをやっても心の向っている事に飽き、思うに任せぬ事が、起って来る。

憂鬱に成り、気持ちが事に随って移るようになると、憂愁悲苦がこれに付いて起って来る。こういう状態では果して、高貴を捨て、利害を軽んじ、爵禄を棄て、快然として終身自得する事は、到底出来ない。

大体人間は、言う事が調子良く話せる時になって、きっぱりと我慢し黙る事が出来、意気将に発揚する時に、しんみり引き締める事が出来。憤怒嗜欲やるかたない時になって、からっと鎮める事が出来るのは、天下の大勇でなければ、到底出来るものでは無い。

学問とは、心を明らかにする事だ。それには人欲と悪習慣を除き去る事である。その根本は、克己と誠にある、内に求める事である。所が世儒は汲々として、外に求める事としている。

清心寫欲を以て要と為す所の、所謂養生や寧静無念などは、何れも自私自利的の、功利的たるものなれば、固より知良知ではない。

明朝末期に、満州に抵抗し、百度敗北しても、屈しなかったものは、参禅を好む士でなければ、陽明学派の徒であった。日本の維新も、陽明学が先導となった。

然し、陽明学を一義的に行動の、さらには革命の哲学と規定するならば、膚浅又、失当と云わざるを得ない。

百死千難を経て、遂に良知の二字は実に、千古の諸聖が相伝して来た、一点の滴骨血、知良知の三字は、真に聖門の正法眼蔵である。

彼の、生涯を通観する時、死に至る病となった、持病の呼吸器疾患を始めとして、投獄・左遷・三次の軍事行動、それに非道極まる政治的圧迫や、学術上の非難など、凡そ人の堪え難い憂患に満ちているのに驚かされる。

これら、憂患と対決する毎に、その悟道は一段と徹底し、思想は深まった。憂患こそ彼にとって自らを玉成する天与の砥礪の地であった。

その荘厳な人品と哲学は、正しく憂患の中から、生成したというべきで、孟子の所謂「天の、将に大任をこの人に降ろさんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ云々」は陽明に於いてこそ、その典型を見る思いがする。

君子の学は、いつ如何なる処でも、志を立てる事を努めざるはない。身を終えるまで学問の工夫は只、志を立てる事だけである。

天下の人に、黄が狂っている者がいる限り、私がどうして気が狂わないで居れよう。本心を失っている者が未だいる以上、私は本心を失わずに居れないではないか。

良知の学こそ、煩瑣哲学、雑文文化、功利主義、俗物精神等、社会全般を覆う、世紀末的症状を救済して、彼の理想とする「三代の治」「三代の淳」に復帰する事を、可能ならしめる対処薬であった。

「価値ある未来へ向かって、道を開く為には、裸体化・真正化が不可欠である。」

もし静坐が、自己目的と成り、人倫や社会的実践を疎外して、閉鎖的な自己沈潜に陥るようであれば、陽明の立教の意図に背く事甚だしい、と云わなければならない。彼が打開した境地こそ、内と外・動と静を一如とする、大自在の世界であった。

意識の平静や澄明は、病根が伏在したままでも、可能な上澄み的様態に他ならない。

古来、心は明鏡止水を以て、喩えられることが多いが、この喩えはややもすれば、広大な無意識の領域に巣食う、本能的欲求や情動、抑圧され忘却された、願望や想念の存在に、目を蔽わしめる。

陽明は、意識に浮上する私欲雑念を、徒に無意識界に封じ込めるのではなく、却って内観を深める事に依って、之を凝視し、対決し、克治しようとするのである。

静坐は、「天理を存して人欲を去る」場でなければ成らない。

万象がなければ、天地は無く。我が心がなければ、万象はない。だから万象は我が心が為ったものであり、天地万象が為ったものである。天地万象は我が心の糟粕である。

聖人の学は心学である。学とは、心を尽す事を求めるものに他ならない。心学とは、謂わば心が自己充足的、自己完結的な道徳的原理であり、学は只、この心にのみ求めて、他に求める事を要しない。

「人心惟危うく、道心惟微なり。惟精、惟一。允に厥の中を執れ。」

政治的権威と結合し、禄利の途と化した朱子学が沈滞し、腐敗するのは自明の理である。それは最早、真摯な人士の内面的欲求に、答える事は出来ない。

陽明、朱子学徒として、儒学を始めたが常に、心と理との相克に苦悩した。挫折絶望のあげく、道教・仏教を遍歴した。しかし肉親への慈愛止み難く、軈て訣別して再び儒学に復帰し、遂に龍場で心学的自覚を確立した。

それを定式化したのが、心即理に他ならない。之は心外に理を求める朱子学の、支離と理を疎外して心を求める、道・仏二教の、虚無寂滅の超克を含意するものであった。

世の儒者は支離に流れ、外に向かって、末梢的な法制礼楽の知識を追求する事によって、物理(事物の理)を明らめようとして、我が心が即ち物理で初めから、外に借りる必要がない事を知らない。

又、仏教や道教は空虚に陥り、変る事の無い人倫や、事物を遺棄する事に依って、我が心を明らめようとして、物理が即ち我が心で、遺棄する事の出来ない事を知らない。

云った、孔孟の教訓は日月の様に、明らかである。聖人の学に志あるものが、孔子の教訓を、外にして求めるのは、日月の明るさを捨てゝ、蛍や松明のような微力なものに、光を期待するようなものである。

聖人は、天地万物と一体であり、儒、仏、老、荘は皆我が用である。之を大道と云う。二氏は自己本位である、之を小道という。

聖人の道は、大道の様に平坦であるのに、世の儒者は無闇に穴道や小道を切り開き、茨を踏みつけ、穴ぼこや堀に落ち込む、という体たらくである。

その、主張する所を突き詰めて見ると、却って道・仏二氏にも劣っている。これでは世の高明の士が、儒を厭い道・仏に走るのも無理からぬ事で、決して二氏の罪ではないのである。

曾点の心境を悟れば、さっぱりとして、どんな境遇にあっても楽しまざるはない。爵禄の念が生じない、と謂う事など言うに足りない。

礼を収して躬を修める、外貌がしばらくでも荘敬でなければ、卑しく偽りの多い心が入り込む。之が礼楽の本で心身の学である。

一体、自分は世にも拙いものである。普段健康な時でも一旦、職務が紛糾して来ると、支離滅裂と成り、嫌気が差して、対応出来なくなり掛ける。況して今、多病の後で披露憔悴する。

抑々、孔子の道は存養、慎独の微から始まって、化育、参賛の大に終り。日用常行の間に行なわれて、国家天下の遠きまで達するのである。

当初、王陽明は危なっかしく、倒れては起き上がるような有様であったが、後、甘泉を友に得て、志は益々堅くなり、毅然として最早、過める事が出来ないようになった。

然し彼も人の子、況して多感な男児である。酷寒の獄中夜半、屋根の隙間から漏れてくる、月の光を見て立ち上り、行きつ戻りつしながら、涙に衣を濡らす事もあった。

想えば、世の得失栄辱の如何に空しい事か、これに対しては彼は浮雲と観じて、超脱する事は出来た。

学問の工夫は、一切の名誉、利益、嗜欲等に就いては、何れも殆んど払落し切っても、尚、生死の一念が、少しでも心に引っ掛かっているようであれば、全体に於いてまだ融釈しない所があるのである。

人は、生死の念に於いては、元々、生身の命そのものに付帯して、来たものであるだけに、除去するのは容易でない。もしこの点に就いて看破し、透徹するならばこの心の全体は、初めて流通無碍となり、其れこそ「性を尽して、命に至る」の学である。

悟る所があれば、沛然として水を切って落とすようであり、瞭然として透き徹るようである。菹於(泥草、汚濁)が出て、精華(純美なもの)が入る。

悟って玩味すれば、ゆったりと安らぎ、満ち足りて喜び、油然として春に万物が生ずるようである。静と粗とは一つと為り、外と内は合体する。

逆境を見る事、順境も同じで、未開の地に居る事が、災厄である事も知らない、此処に彼は始めて、万物と一体である、本来的自己を徹見して、生死の関門を透過し、随処に主と成る、自由人たる事が出来たのである。

人は、只、志が無いのを憂え、成果が無いのを憂えない。

世の儒者が、孔孟の説に背いて「大学」の格物致知の教えに暗く、徒に外に向かって博識を勤め、それに依って内に益ある事を求めるのは、皆、汚れた所に入って居ながら、清らかである事を求め、垢を積みながら、明るい事を求めるようなものである。

紛雑たる思慮は、強いて禁絶しようとしても出来ない。只、思慮が萌動する所に付いて省察克治し、天理が精明に成るに至れば、自然に「ものはそれぞれの物として見る」心境になり、自然に静澄専一で、紛雑の念が無くなる。

君は平日、只存心(本心を存養する)の説を知っているだけで、未だ全然実際に克治の工夫を加えてはいない。だから動静が合一する事が出来ず、事に遇うと、ともすればゴタゴタすると謂う、弊害が出るのである。

主体性・自由動静を貫いて確保する為には、静時の存養だけでなく、厳しい省察克治、ないしは克己と謂う動時の工夫が、併用されねばならない。

格物とは、心の不正を去って、本体の正を全うする事である。只、意念の係る処に於いて、その不正を去って、その正を全うしさえすれば、何時如何なる所でも、天理を存しない事はない。之がつまり窮理なのである。

人を殺すには、必ず喉元に刀を当てなければ為らないように、我々が学を修めるには、心髄(心の奥底)の微にいる処から、力を用いなければならない。そうすれば、自然に篤実で光輝を放つようになり、私欲が萌動しても、全く「洪爐の点雪」(大きい囲炉裏の僅かな雪)同然で、直ちに立ちどころに消滅し「天下の大本」が立つ。

此の処、万事がごたつき、身体も弱ってっているが、お陰で益々工夫し、力を得る所のある事が分った。つまり従来は、大体に於いて確実に力を用いた事が無く、いい加減に暮らし、いい加減に説いて来たのに他ならない。これからは諸君と共に、努力勉励、命に掛けても前進しなければならない。そうすれば、どうやら取り返すことも出来よう。

彼は、嘗て「大学」「中庸」の註を作ったが、涵養が未だ純一でなく、外に向かって知識を求め、効を焦る欠点がまだまだ免れていないとして、草稿を焼いてしまった事がある。

「用兵の術は、只、学問純篤、此の心を養って不動たらしめる事にある。人の智能は、然したる開きはない、勝敗が決するのは、陣に臨んだ時に卜するまでもなく、只、此の心が動くか不動であるかに懸かる。」

不動の心体を養い得てこそ、変に応じ、計り知れない対応が、可能に成るのである。而もこの不動心は、「良知の上で工夫を用いる」事に依る。

「人は、と先生の用兵が神の様である、と称していますが、どんな術が齎したのですか」と、王幾が尋ねた時「私には秘術などない、只、平生自ら信じているのは良知である。」

「凡そ、機に応じ、敵に対した時、只、この一点の霊明(良知)が霊妙に感応して、些かも生死利害に、動かされなかっただけである。」

人生、命に達すれば自ずから、灑落讒を憂へ毀りを避けて、徒に啾(悲しげに泣く様)たらんや。

親に事え、兄に従う一念の良知の外に、さらに致すべき良知はない。

心、意、知、物は一つのものであり、意を誠にしようとすれば、意が関わる処の某事に就いて、其れを格し、其の仁欲(不正)を去って、天理(正)に帰せしめる。そうすれば、其の事に関わる良知は、蔽われる事無く致す(究める)事が出来る。之がつまり誠意の工夫である。

君のその良知、其れが君自身の準則なのである。君の意念に関わる事は、それが是であれば、是と知り、非であれば、非と知る。少しでも其れを誤魔化せるものでは無い。

君は、只、それ(良知)を誤魔化さずに、確実に其れによって、やって行きさえすれば、善は存し悪は去る。そうなれば心の中は穏やかで楽しい事か、これこそ格物の真の要訣で、致知の、実際の工夫というものである。

若し、この心機(真のはたらき)に依り掛らなければ、どうして物を格して行けよう。私も近年に成って、このように明白に体認するようになったが、当初は未だ、只、其れに依るだけでは、不十分ではないだろうか、と疑ったものである。だが、精細に見て来て少しの欠ける所もない。

人の胸中には、其々聖人が宿っているが、只、自身が信じきれないばかりに、皆我と葬ってしまっているのである。

「私は、良知の説に於いては、百死千難の中から体得して来た。容易な事で此処まで悟れたのではない。」

「此れは本来、学人にとって学究の話題(話、禅家では公案の意)であるか、惜しいかな此の道理は、もう久しく埋もれ、学人は聞見の障碍蔽塞に苦しんで、手掛かりの所を見失っている。」

「其れでやむを得ず、人々の為に一口で説き尽したのである。只、心配なのは、学人がこれを容易に受け止め、単に一種の光景として弄び、この知に孤負く事である。」

「良知は、飽く迄主体的な働きであって、対称化(客体化)を許さない。良知を一種の光景として弄ぶとは、良知を対象化する事を意味する。


それでは、静坐して虚明の境地を求める、単なる観想や、論を高遠玄妙に弄ぶ、観念の遊戯に堕して仕舞うであろう。

聖賢の道は、大路のように平坦で、愚夫愚婦でも預かり知る事が出来るにも拘らず、後世の論者は近きを忽せにして、遠きぼんぐnに求め易きを捨てて、難きを図り老大家でもおいそと、議論出来ない様にした。

だから、当今では凡愚の者が到底修められない、と諦めるだけでなく、高明抜群の者でも皆この学を、無用の長物とし、空言や無駄口位に見て久しくなる。

こう言う時に、仮にも此処に求めようと思って来る者があれば、本当に所謂「空谷の足音」(滅多にない事)で、人に似た者を見ても嬉しいほどだから、況して礼を正して来る者には、喜んで接しないで居れようか。

衆人は年に順うが、聖人は年に逆らう、知る事聞く事は共に加わるが、知る事が浚ければ心を心を沈め、見る事が博ければ心を覆し、聞く事が蓄えられると心を亡ぼす。

此の三つの働きは、心に根差しているが、却って心を損なうのである。年に順って下るのは滝に順って下るようなもの、年に逆らって反るのは滝に逆らって反えるようなものである。私は行年既に五十、誕生の初めに返りたいと思うが、未だ出来ない。

礼は、飽く迄人情の自然に依るべきもので、徒に古礼に拘泥し、心に納得もしないで、闇雲に振舞うが如きは、「非礼の非」(似て非なる礼)に他ならない。

宸濠の変、許忠張泰の難という大利害・大許毀誉の局面を切り抜けて、精金が益々鍛錬され、愈々光輝を放つような境地にある彼にとって、一切の毀誉・得失・栄辱は、浮雲や瓢風の大空を、渡るようなものであった。

南京に居た頃までは、未だ幾らかの郷原(八方美人的俗物)的な意識から成っていたが、今は、此の良知を信じ、真是真非(良知によって判断した真実の是非)をさながら行動に表われて、少しも取り繕うわなくなった。今はやっと「狂者」の心境に成れた。天下の人が、皆、私の行動が云う所と一致しない、と云っても其れで良い。

(43 43' 23)

  • 最終更新:2013-07-26 13:22:08

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