第二章 言志録(イ)

孔子は、人格の品第として「中行(中庸)」に就いて「狂者」と「狷者」を置いた。「郷原」は、徳を損なうものとして、糾弾されるべき存在で、固より論外である。

狂者は果敢に理想を追い求め、狷者は頑なに節義を守って失わない。只、狂者理想に勇である為に、世人の通念から逸脱し、又、言行が一致しないとの誹りを免れないであろうが、その、「鳳凰の千仭を翔る」のような、世に捉おくわれない自由、真率さが尊い。

然し、陽明に於ける狂者の境地が、千鍛万錬を経て勝ち取られた事を看過して、己我に執われた、単なる反俗的な自己肯定と受け取るならば、陽明の心に背く事甚だしいであろう。

世の学人が,富貴、名利、嗜欲の場に溺れて、その奴隷のように成っているのに較あべて、一切の俗縁が、皆本来の自己に関わりない者として、超脱するのは良いが、真修実践を加えて、日に精微の境地に進むのでなければ、次第に社会生活を軽視し、人倫、物理を疎略にする弊害が生れる。

之は、世の凡庸取るに足らぬものと同じではないとは言え、中世から外れ道に得る所が尾ない点では異ならない。諸君は今こそ努力して道に至るようにし、甘んじて狂者の境地に留まってはならない。

朱子学の欠点は、拘(頑なで、融通の利かない)で、陽明学のそれは蕩(締りなく欲しいまま)である。

本当の零落は、勿論情意に任せて放縦に振舞う事ではなく、欲に累われる事の無い、主体の自由自立の働きであり、是は、心の本体である天理を常に存する事から生れる。

科挙の、受験勉強が盛んになってから、士は皆、記誦や修辞に心奪われ、功利得失の念が、その心を分裂・或乱している。

今、天下が治まっていないのは、士人の風習が衰え薄れた為であり、士風が衰え薄れたのは、学術が明らかでない為である。

然し、士は聖賢の学に志し、其の君を業舜にする志があっても、この科挙の勉強によって進まなければ、結局天下に大いに行われない。

良知は、太虚と同體で何ものにも障碍を成す事が無い。有道の士は、富貴貧賤・得失愛憎あっても、瓢風や浮雲が太虚の中に、往来変化するのと同じで、心は、廓燃(からり)として何ら乱される事が無い。

天道の(大自然)の運行は、一息も停滞しない。良知の働きも又、そうである。然し又と云えば、天道と良知は二つの物と成る。良知は即ち天道である。良知の働きに、一息の停滞もない事が分れば、惜陰(時を惜しむ事)が分り、惜陰が分れば知良知が分る。

良知が、自分に備わっている限り、其の要所を確り摑めば、船の舵を得たように、疾風怒濤の中でも傾覆を免れる。

近頃は、もう同志で知良知の説を知らないものは無い。然し、実際に此処で工夫を用いる事の出来るものは全く少ない。皆、未だ良知を本当に悟って居らず、更に又、致の字をいとも容易に見ているからである。

従前の支離の説に比べると、少しは手掛かりが出来たとは言え、要するに五十歩百歩に過ぎない、と云っても過言ではない。

天下の事は、千変万化して、極め尽くす事が出来ない程に成ろうとも、只、親に事え、兄に従う一念の、真誠惻怛の良知を致して応ずる限り、決して遺漏はない。親に事え兄に従う一念の良知の他に、さらに致すべき良知はない。

良知は、誠愛惻怛のところが即ち仁で、誠愛惻怛の心がなければ又、良知は致しようがない。

此の心は、私欲に蔽われてさえいなければ、取りも直さず天理であって、外から少しも添加する必要はない。

孝子で、親に対する深い愛情を以て入るものは、必ず和やかな気分があり、和やかな気分のあるものは、必ずにこかな表情があり、にこやかな表情のあるものは、必ず柔かな物腰がある。

聖人の心は、明鏡と同じである。つまり、一つの鏡が明らかでさえあれば、外物が触発して来るままに対応して、どんな物でも映さないという事はない。

既に消えた筈の映像が、未だ、鏡明に残存していたり、又、映してもいない映像が前以って、鏡面に含まれてたりする事はあり得ない。

只、鏡が澄明でない事を気遣えば、能く事物がやって来た時に上手く映す事が出来ないと、気遣う事はない。

事態の可能な変化と、それに対応する仕方を、講求しはするが、其れも矢張り現に映している時にするのであって、前以ってするのではない。

とすれば、学問するものは、必ず、前以って心の鏡を澄明にする、工夫、できるようがなければならず、只、此の心が、明らかに成っていない事をこそ、を気遣うべきである。

事態の、可能な変化と対応の仕方を、講求し尽くしていないと云うような事は、気遣わなくても良いのである。

問う「静かな時は、心境も良いように思われるのですが、一寸でも事にぶつかると、もう静かな時のようには参りません。どうした事でしょうか」

先生云う「それは只、心を静かに養う事だけ心得て、克己の工夫を積まないからだ。そんな風で事に臨めば、忽ち崩れてしまうだろう。人は必ず事との関わりの中で磨いてこそ、始めて確りと立って「静にも安定し、動にも又、安定する」事が出来る様になる。

今の人が、心を保つと謂うのは、只、気を落着けているだけの事である。寧静と云う時でもつまり、気が寧静であると云うだけで、「未発の中」と謂う事は出来ない。

人欲を去って、天理を存するようにしてこそ、工夫というものである。静かな時も、一念~人欲を去って天理を存し、動く時も、一念~人欲を去って天理を存し、寧静であるとか、寧静であるとかは、問題にしない。

もし、その寧静な状態に、もたれ掛かる様になれば、次第に静を喜び、動を厭う弊害が出て来るばかりか、その状態の中に多くの欠点が、潜伏したまま、結局絶ち除く事が出来ず、何か事に出くわすと、旧態依然としてのさばって来るだろう。

理に、従う事が主眼になれば、寧静でない時はないが、寧静が主眼になると、理に従う事が出来るとは限らない。

後世では、聖人と成る根本が、天理に純一成る事にある事を知らず、却って専ら、知識才能の上に聖人を追求し、聖人は知らない事はなく、出来ない事はない。

自分も必ず、聖人の諸々の知識・才能を一つ~会得してこそ、始めてなれるのだと思う。だから天理の上で工夫を着けず、徒に勢力を消耗して書物を研究し、名物を考究し、事蹟を比較する知識が広くなれば成る程、人欲が蔓延り、才知力量が多くなれば成る程、天理が蔽われる。

恰も、他人が万鎰の純金を持っているのを見た時、自分の金を高い含有量に精錬する事に依って、その人の純金に遜色無いようにしようとは努めず、却って、やたらに目方の上でその人のと同じ万鎰に成るように努めて、錫、鉛、銅、鉄等を雑然と投げ込み、其の為目の方が増せば増すほど含有量が落ち、其の裡、かけらでも最早金が存在しなくなるようなものである。

我々の、工夫を用いるのは、只、日に~減らすようにして、日に~増やすようにはしない事である。一分でも人欲を減らせば、つまり一分だけ天理を取戻す事が出来る。何と軽快ですっきりした事、又何と簡易な事か。

人は、必ず「己の為にする」心があってこそ、始めて「己に克つ」事が出来る。己に勝つ事が出来て、始めて「己を成す」事が出来るのである。

良知は、つまり天の植え付けた霊根で、自然に生育し息む
事が無い。只、私心の累に捉われて、この根を損ない塞いで、発育出来ない様にしているだけである。

知行合一に就いて問うた。
先生云う「これに付いては、私の主張の本旨を、知って貰わねばならぬ。今の人の学問は、知と行を分けて、二つの件とするものだから、一念が発動してそれが不善であっても、未だ行っていないからとて、禁止しようとしない」

「私が今、知行合一を説くのは、将に、人の一念が発動する事が、取りも直さず行う事である、という事を悟り、発動の処に不善があれば、すぐさま、この不善の念を克服させる為である。徹底的に、其の一念の不善を、胸中に潜伏させないようにする。此れが私の主張の本旨なのである。」

大体、聖人の教育の仕方は、人を締め付けて皆同じ型にし、仕立てるような事ではない。狂者なら狂なる性格から完成に導いてやり、狷者なら狷なる性格から導いてやるだけである。人の才能・気質はどうして同じで在り得よう。

人がもし、完全に良知に復帰して、少しの欠ける所も無ければ、自ずと手の舞、足の踏むのも覚えないであろう。一体、天地の間に之に代れる程の楽しみがあろうか。

天下の人々の心も、始めは聖人と違っている訳ではないが、己我に捉われる私心や、物欲の蔽いに依って分け隔てられ、本来、大きい筈の心も小さく、通い合う筈の心も塞がり、銘々自分本位の心を抱き、自分の父子兄弟を、仇敵視する者すら出て来るようになった。

聖人はこれを憂慮し、そこで、天地万物を一体とする仁を推し及ぼして、天下の人々を教え、誰もが私心に打ち克ち蔽いを除去して、万人に普遍な心の本体(本来の在り方)に、立ち帰らせようとした。

その教えの大綱は、堯・舜・禹の間で授受された、所謂「道心はこれ微なり、これ精これ一、允に其の中を執れ」であり、その細目は舜が契に命じられた、所謂「父子親あり、君臣義あり、長幼序あり、朋友信あり」の五つ(夫婦別ありを加える)に他ならない。」

抜 本 塞 源 論

理想社会論:思うにその心学が、純粋且つ明白で、万物一体の仁を全うするものであったから、その精神が貫流し、士気が通達して、他人と自己、物と我の、分け隔てが無かったのである。

例えば、一人の身では、目は視、耳は聴き、手は持ち足は歩くという様に、分担して一身の用を果しているが、耳は聡くないのを恥じないばかりか、耳の係るものにものに必ず作用するし、足はものを取れない事を、恥じないばかりでなく、手の探るものの方へきっと進み寄る。

蓋し、元気は隅々まで充満し、血管は枝分かれして、のびのび広がっているから、痛痒にせよ、呼吸にせよ、触発があれば直ちに反応し、「言わなくても悟る」様な霊妙な繋がりがある。

三代が、衰えると王道は消滅して、覇術が盛んと成り、孔子・孟子の亡き後、聖学は光を失って邪説が横行し、教える者は最早これを教えず、学ぶ者も最早これを学ぶ事をしない。

覇者の輩は、先王の道まがい物を取り出し、上辺はこれを借りて飾り乍、裏では自分の欲を遂げ、天下の人々は靡くように此れを信奉し、聖人の道は遂に荒廃に帰した。

人々は共に見習い、日々富強を計る為の説を求めた為、敵国を詐いて滅亡させる、謀や攻伐の計など、凡そ、天を欺き人を騙して、一時でも、名声利益を引っさらう事が出来れば良いと謂う。

例えば、管仲、商鞅、蘇奉、張議といった連中の術が、一つ一つ名を挙げて教える事が出来ない程、現れるに至った。こう謂う状態が打ち続くと、闘争や強奪など、其の惨禍は耐えられなくなり、人々は禽獣や夷狄も同然と成り下って、覇術すら行う事が出来なくなった。

世の儒者は、慨燃にして之を悲しみ、昔の聖王の文物法制を、収集しようとして、戦士や焚書による、焼け残りの中から拾い集め補修した。

抑々、その意図と云うと、確かに又、先王の道を挽回しようとする物であったが、聖学は最早、遠い昔の物と成り、一方覇術が伝わって、最早深く浸透堆積して居る為、賢人や智者と云われる人々さえ、皆それに慣れ染まない訳にはいかない。

だから彼らが、先王の道を究明し文飾して、世に広め、輝かしい過去を再現しようとする事が、却って、覇者の領分を増す事に成るだけで、聖学は、その入り口すら遂に二度と、見る事が出来なくなったのである。

かくて、訓詁の学が現れ、これを名誉として伝え、又、記誦の学が現れ、これを博学と云って持て囃子、更に又、修辞の学が現れ、、華麗さを誇った。このようなものが、紛然として天下に群がり起り競い立って、その学派はどれ程あるか知れず、将に万径千路で、どれを行けば良いか、分らない状態となった。

世の学人は、見世物小屋に入った様なもので、歓声を上げたり、駄洒落を飛ばしたり、飛んだり跳ねたり、奇抜さや巧妙さを戦わせたり、笑いや媚びを争ったりする者が、四方から我、劣らじとばかりに登場するので、あっちを見たり、こっちを見たり、応接に暇がないほどで、目は眩み、耳は聞こえず、精神はボンヤリしたまま、日夜、こんな所に入り浸り、遊び続けて丁度気が狂い、本心を失った人が、自分で自分の家業が、どうなるか知りもしないのと、同じである。

時の君主も又、皆そのような説に迷わされて考えが転倒し、役にも立たない無内容な文章を作るのに、一生浮身をやつしながら、自分でも何を言っているのか判って居ない。時たまその空疎且つ虚妄であり、又支離し、且つ拘泥するのを自覚して卓然と奮い立ち、実際上の行事として、具現しようと思う者もあるにはあるが、せいぜいの処の処、矢張り富強、功利と云った五覇の事業を、回る程度に過ぎないで終ってしまった。

聖人の学は、日に日に遠ざかり、日に日に明白さを失って、功利の言渡ると習わしは、世人がこれに奔れば奔る程、下劣さを加えた。その間、仏教や道教に盲い迷った事があるが、仏教や道教の説も、結局はその功利的な心に勝つ事が出来ず、又群儒の論も、所詮はその功利的な考え方を、打破出来なかった。

抑々、今に至るまで功利の毒は、人の心臓や骨髄にまで浸み込み、習い性と成って殆んど千年に成る。かくて知識を誇り、勢力を競い、利益を争い技能を自負し、名声を奪い合う。

其の出仕するや、財政を司る者は、かの軍事や司法をも兼任しようと思い、文教を司る者物は、又、人事にも関与しようと思い、地方管として郡や県に入る者は、更に上級の布政使や按察使の地位を得たいと思い、監察の任にある者は宰相という要職を望む。

固より、能力がなければその官を兼ねる事は出来ないし、内容に通じていなければ、それなりの栄誉を求める事は出来ない。

記誦が広範に渡ると、慢心を募らせる助けと為り、知識が多ければ、悪事を働くのに好都合と為り、見聞が広ければ、弁舌を存分に振るう事が出来、修辞が豊かに為ると虚偽を飾るのに都合がよくなる。

それで、皐陶、虁、稷、契でも兼ねる事の出来なかった事を、今日では初学の弱輩でも、皆、その内容に通じ、その技術を究めようと、思うように為った。

彼等も、表向きは「自分は、共に天下の務めを果たしたいと思う」と、標榜しないものは無い。然しその偽らぬ本心は、こうでもしなければ、自分の利益を計り、自分の欲望を満たす事が、出来ないと謂うのである。

嗚呼、かくも積年の習染があり、かくも卑劣な志向を抱き、その上、かくも堕落した学術を、講じているのであるから、我が聖人の教えを聞いても、余計で現実にそぐわないものと、受け止めるのも無理からぬ事である。

嗚呼、士がこのような世に生れ合せながら、それでも聖人の学を求める術が在るのであろうか。又、それでも聖人の学を論ずる術が在るのであろうか。士がこのような世に生れ合せながら、しかも学を修めようとするのは、何と苦労で繁雑且つ困難ではないか、何と障害の多く険難な事ではないか、嗚呼、悲しい事である。

だが幸いな事に、天理は人の心に具わって、何時までも滅ぼす事の出来ないものであり、良知の明るさは、万古一日のように変る事がないから、私の抜本塞源の論を聞けば必ずや惻然として悲しみ、戚然として痛みを覚え、憤然として起ちあがる。

その、勢いの盛んな事、恰も決潰して押し止める事が出来ない、江河の奔流のようなものが出て来るであろう。かの豪傑の士のように、何ものにも頼る事無く、独力で起ち上がる者でなければ、私は、誰に望みを懸けようか。

知 行 合 一

天を怨まず、人を尤めず、下学して上達す。(身近な事を学んで、道に達する)

世間の志の無い人は、既に、名利・文辞の習わしに駆り立てられている。中には、自己の本来性を追求しなければならない事に、気付いている者が又、ある種の正しい様で間違った学に執われて、終身、抜け出す事が出来ないでいる。

人は未だ、真に聖人に成ろうとする志がない為、小さな事に目を付け、効果を焦るというような、私心を差し挟む事を免れないから、この種の学問は目先を誤魔化して、済ませるに充分過ぎる程である。それで、豪傑の士であっても「任重くして道遠く」志を少しでも励まさなければ、其の侭その中に、落着いてしまいそうになる者が多い。

根本が、元気であれば枝葉が茂るのは、道理として勿論当然である。然し、草木で花の多いのは実が無く、花の咲くのは実が少ない。

人が、官途に就いている時は、山林に引退している時に比べて、工夫は十倍もの困難を伴う。だから、絶えず良友に依る啓発や、切磋琢磨を受けなければ、平日の志向する所もいつの間にか失われ、のんびりして、日一日と、堕落の一途を辿らない者は稀である。

顔子は、自分の力を出し尽くしたとは云え、終日恰も愚者の様で、その楽しみを改めなかった。此れは名利を得ようと計って、焦心苦労し、得失を憂い、止めどもなく追い求めて、死ぬまで精神気力を疲らせ、すり減らしている世間の者とは、雲泥の隔たりがある。

一体、学問は志を立てること程、緊急な事はない。志が立たなければ、根も植えずに矢鱈と、土を盛りかけたり、水を注いだりするのと同じで、苦労しても成就する事はない。

世の人が、ずるずるとその場しのぎで、世俗の習わし引き摺られ、道から外れた事に馴れて、結局、堕落してしまうのは総じて、志が立たないからである。

抑々、志は気師(統率者)で
ある。人の命であり、木の根であり、水の源である。源が深くなければ流れは止み、根が付かなければ気は枯れ、命が続かなければ人は死ぬ。

志が立たなければ、気は昏乱する。だから君子の学は、何時如何なる所でも、志を立てる事を務めとしない事はない。思うに、死ぬまで学問の工夫は、只、志を立てる事だけである。

現在、朋友の重大な欠点は、志を立てる事が出来ない、という事である。この為、因循怠惰締りなく日を送っているが、もし、志を立てたならば警戒の気持ちは、自ずと止み難いものが在る筈である。

だから、警戒という事は立志の助けと為るもので、警戒する事が出来れば、学問思弁の工夫や、切磋琢磨益は日一日と新たに成り、沛然として防ぎ止める事が出来ない様になるであろう。ン

一体、君子の学は気質を変化する事を、目指すものに他ならない。気質を変える事が困難なのは、客気が災いして、吾を折って人に下る事が出来ない為である。遂に、自己を正当化し、自己を欺瞞し、非を飾り、慢心を募らせ、詰まる所、凶悪頑迷且つ卑劣に成る。

大人は、天地万物を一体とする者の事である。その天下を見る事は、一家と同じく中国は一人と同じ事である。肉体に捉われて、我と汝とを分けて隔てる様な者は、小人である。

後世の人は、至善が我が心に内在する事を知らないばかりに、勝手な知恵を働かせ、外に向かって憶測を加え、事々物々には皆一定の理があると思う。この為内在する是非の法則を晦まして、支離滅裂と成り、人欲は蔓延り、天理は滅んでしまう。

徳を明らかにし、民を親しむ学は、かくて天下で大変混乱した。昔の人で、その明徳を明らかにしようとする者は、勿論居るには居たが、至善止る事を知らないばかりに、その私心を余りにも高遠に走らせた。この為、虚無寂滅の陥る過ちを犯して、家、国や天下にあつ対する施為を欠いてしまった。

仏道二教の類がそれである。又、その民を親しもうとする者も、勿論あるにはあったが、至善に止まる事を知らないばかりに、その私心を卑俗瑣末に溺らせた。

この為、権謀術数を事とする過ちを犯して、仁愛則脱(慈しみ・憐れむ)の誠が失われてしまった。五覇のような功利主義の輩がそれである。以上は孰れも至善に止まら事を、知らないのに基づく過ちなのである。

聖賢の千言万語は、只、人の良く得る事を求めるだけである。故に示すところは同じではないが、入るところは一つである。

かつ、古人には其々道に入るところがある。周子主静、程子の持敬、朱子の窮理象山の易簡、白沙の静円、陽明の良知など、その言は異なっているようで、道に入るのは別ではない。

幕末から明治初年にかけては、我が国未曽有の変革期であったが、この時に当たり、多くの英傑が現れて、危局を克服し、国歩を扶翼した。

新政府設立当時、明治大帝の周囲に、あれ程多くの有力者がいた事は、確かに驚異であった。.....彼等は皆、王陽明哲学の信徒であった。

王陽明の哲学は、余り進歩的である為、シナでは深く根を下ろした事はないが、日本では所謂「五十五人の明治建設者」の事如くが、その信奉者であった。

陽明の学は、心即理・知行合一・知良知を以って三綱領と為す。

門人の心の動揺を見ては、之に静座を教え、卑瑣の弊を見ては、之を救に高明な一路以てす。己にして高遠玄妙に恥じるを見ては、復之をして事上磨錬の功夫を用いしむ。

現今、我國之を観るに実に此の両弊に陥れり。彼の主義なく節操なく、或は新を求め奇を好みて一時の風潮に投じ、或は妄りに権門勢家の脚跟に従いて転ずる者、或は終に奇利を遂げて冒険的企画を事とする者、天下此々皆然り。

翻って、学界の弊風を察するに、彼の所謂学究輩徒に高遠玄妙を喃々し、奇論空理を喋々して毫も実行如何を顧みる者なし。嗚呼是れ何等の冥行ぞや、何等の空知ぞや、吾人が陽明の簡易直裁なる、知行合一を鼓吹する者、正に、此の病を醫せんと欲すれば也。

抑々、一見単純成るが如くにして、その実極めて複雑なるものは人生也。人生の価値を評定する事は、性情の真を知るよりも更に困難也。

陽明は、毎に知良知は「人欲を去って天理を存する」の謂也とし、又、天人合一を説けども、所謂合一とは人間を離脱して一層高尚なる天に合せよ、と云うに非ずして、人の聖境に達する者は能く、天徳に合し得べしとするのみ。

故に、陽明は立志の最終の目的として、聖人に成る事を説けり、然れば、この世界を汚濁として、外に清浄なる世界を求めるに非ず。此の体體軀を厭うて他の神霊界に入るに非ず、此の世界こそ真に人の生れて活動し、且つ、死すべき楽土なれ他にには此れより善美なる楽土ある事なし。

此の事を去って他に楽土を求めよと、説くは迷溺せる煩悶者の哀訴なり。而も此の哀訴は遂に可かる事なかるべし、何となれば之を可くべき者は何れの所ににも存せざれば也。

此の體軀を棄てて、他に楽しき體軀を得んと欲するものは、一時の苦痛に堪えずして長く逝かんとする迷妄者の冥行也。

而も、この身を棄てて他に楽しき體軀を得ることあるなし。此の世界は美なるものなれども亦た醜なるものなきにあらず、楽しき事あれども亦た苦しき事なきにあらず、笑うべき事あれども亦た泣くべき事なきにあらず。

猶ほ天候に晴雨寒暖の變あるが如し、陽明が宇宙を観るは極て穏健なるものあり、楽天主義は真正なる人生観なり。

所謂、知良知の説も亦た、誠を全くするの道に他ならずして、誠は即ち良知也。唯だ指す所に由て其の名を異にせるのみ。然れば則ち陽明の教えは、良知を致して誠を立て、人道を全くして天地の誠道に合するを以って、最終の目的と成すもの也。

聖人とは至誠の人なり、神とは至誠を抽象的に想像したる霊物に外ならず、天人合一とは則ち、天人の誠が融合して間隔無きに至れるを云えるのみ。故に衆徳の根底は吾人の心中に有り、真の神は人心に在り、神たらんと欲する者は、仰て影なるに祈らんよりは、省みて我が心に求めよ。

聖人とは、古人の特稱に非ずして、全く我心に在り。至上善は他に求めずして、我が心に求めよ。吾人は、空しく他に向って渇望するを要せず、一切の善は我心より起らん。えか

「至誠なる真我は、世界中最も偉大にして、最も神聖なるものなれば、人生の真価を知らんと欲すれば、先ず真我を知らざるべからず。真我を知るものにして始めて、穏健なる人生観を為すを得べき也。

良知は、吾人百行の標準法則と為れば、良知の指揮の下に行動せば、自然に善にして不善なかるべき事を示せり。

陽明が、性の一字を以って、宇宙及び人間に通じて説きしは、天人通融の妙を示して世人の局束を、解除せんと欲したるに由る也。

仏氏の、不思善・不思悪の語は、静的功夫を示せるものにして、強制的絶念たるを免れず、陽明の所謂、無善・無悪は心の寂燃不動なる、本然状態を形容するものにして、功夫と関係する事なし。故に二者の間大差あるを見るなり也。

陽明は、告子が良知に従って行動すべき事を説かずして、徒に善悪を外界染習一辺に求め、任意の言行を以って皆性なりとする。

「知行合一」

①知れば必ず行ふ。

②知る事と行ふ事は一緒に進む。

③行はざるは未だ真に知らざるが故なり。

④真に知れるならば必ず行ふ。

⑤行はずんば到底真知は得られず。

⑥知は理想なり、行は実現なり、真の理想は、必ず実現す。若し実現せずんば、其は只だ空想のみ。空想は之を理想と曰ふべからず、観念と其発現に就て言ふも亦た之に同じ。世間に徒知空想家多くして真知実践家少なきが故に、陽明の此論は起りしなり。

⑦知は理論なり、行は実際なり、理論の真価は実際に適すると、否とに依って定まる。実際に適さざる理論は価値なし、理論は実際と違ふものと諦めて怠る事は、陽明には決して之を可とせず。知行合一説は架空論朧知の排斥策也。

⑧知行合一は、知行の関係論の真相也、即ち本義也。

ん⑨知行合一説は、即ち実践的・勇気鼓舞論也。

⑩知行合一の行は、必ずしも動作に発するものに限らず、時には心上にも云うこと有り。譬へば悪念をを知るは、是れ、知にして悪念を直ちに消除するは、是れ行也。以て陽明の所謂、念頭を正すに就いての知行合一を見るべし。

陽明の知行合一は、一念発動の瞬間に於いて、為善去悪の功夫を断行するものにして、所謂、念頭を正すの意也。

若し、悪念既に起るも之を退治せず、再び之を身に行なう時は、即ち、是れ過を復びする者にして、知行合一の主意に背け、単に念頭を正すに就いて云うのみならず、心に知ると身に行なうとの就いて云うも、亦た知行合一の成立を見るべし。

然れども、その根底を正すの簡にして、要なるに如かざる也。而して陽明は心即理説を取れるが故に、本心即ち、良知の指揮に従うて知り、且つ、行なふのみ。

陽明の、為学の方法、順序は簡単にして可成れども、動もすれば読書講学を忽せにして、枯禅に陥り易き傾向を存す。

之に反して朱子は、行を重んずるには非ざれども、百搬の事物を経験的に豫じめ討究して、之を実施に施さんとし、読書講学に重きを置き足れば、先知後行の説と為りて、自身も、終生力を訓鈷注釈に注ぎ、居敬窮理を主張せり。

是故に其の影響の及ぶ所、末徒に至っては動もすれば読書窮理に溺れ、集中力を失うて支離滅裂に傾くを免れず。

「繁雑なる事変に遭遇して、其の是非邪正を判別する事は、固より困難なるものなれども、この困難は決して屡、起り来るものにあらず」

「而して、この困難は唯、知良知の功夫に依て打ち克つとを得る也。然れども、吾人は自ら憂うる所は、正邪判別の知識の欠乏にあらず、正を取り邪を舎つるの実行的勇気の欠乏に在る也。」

吾人は唯だ、良知を恃むべく良知真に他のむに足る。行為の良知に合する時は、自ら快楽にして、之に反する時は、自ら不快を成す。故に君子は行止死生、一に良知の指揮に合して、自ら快楽を求めんとするのみ。

良知は、宇宙の根本原理たるものにして、又、哲学倫理のの根底也。然れば、良知は自然の大法たるものにして、又道徳律を成すもの也。

一切の善は、悉く皆良知より出で、最上善は唯知良知の極度に於いて得らるるのみ故に、良知に由らざるの行為は、全く価値を有せず迷行妄作たるのみ。

古来、聖賢の教訓及び、倫理に関する係を有する書類は、悉く皆良知の説明に過ぎざる也。古来歴史上に現れたる善悪正邪の事蹟は、良知の判断の記録也。

現今の、科学的知識の行為に資すべきものは、皆な良知の判断の、諸種の結果を調査して、生じたる報告に基づくもの也。

是故に、良知外にして、吾人行為の標準を求めんとするは、猶ほ、空気を呼吸せずして生活せんとするが如し。良知は直接若しくは間接に、必ず吾人の指揮を為すもの也。

知良知の功夫は、日進月歩各自其の分限の及ぶ所に随うて、其の光明を発耀すべし。是即ち、良知の力に依って致知の功夫を為し、漸悟漸擴遂に其の極に達するを得ん。功夫は間断あるべからず、復た躐等べからざる也。

良知の本體は、本来精明なるものなれば、其の発する時にも、私意の障碍なかるべきが如きも、一般の人は皆な悉く然る能はずして、自然に障碍の為に昧まざる事あり。

故に、常人は須らく致知格物の功を積むべし。知を致せば則ち意誠なるべく、意誠なれば、則ち、私意の障碍なくして、良知の本體の明を発すべし。

一節の知を致せば即ち、全體の知を致し得る也。猶ほ一杯の水を知る者は、世界の水を汁が如し。

静的功夫は、無事閉暇の時の功夫にして、寧ろ消極的なれば、門人等の甚だしく論争に耽りて、精神の騒擾たる時、若しくは外誘に馳せて放埓に陥れる時、姑らく此の功夫を為さしめ以て、其の心の安静を求めし足るのみ。

然れば、静的功夫は一時の方便に過ぎずして、陽明常用の功夫に有らざるを見るべし。凡そ功夫は、総て事物に接するの素養を為すに他ならざれば、静的功夫を為すも事物に當って、其の功夫を奉ぜざるが如きあらば、何等の効果なし。

之に反して動的功夫は、着々実用するものなれば、真の功は直に之を知るを得べし。陽明の簡易直裁なる実学が、自ら動的功夫を要とするは、知良知以外の点よりも直に推測するを得る也。

所謂省察克治とは、動静を通ずるものなれども、其の実功は事上磨練に於いて、之を見るべし。而して、去人欲・存天理とは則ち、知良知の謂に他ならざる也。又陽明は事上磨錬を以て、有益なる功夫と為し、動的功夫は動もすれば放溺の弊に陥る事を示せり。

静的功夫の、最も行ひ易きものは、読書に若くはなし。夫れ読書の吾人に興ふる利益は、実に多大なるものなり。一室の内に坐して古今東西の聖賢に対し、大小精粗の事理を知り得るものは読書に非ずして、何ぞや署は死物に非ず。

署の精神は、即ち著者の精神にして、能く後人を感奮せしむるの力あり。故に署は、知識を増進し、気象を振興するのみに非ず、又能く放心を調攝し、寧静を保持するの鴻益あり。

朱晦庵の如きは、読書の方法を示す事で、極めて詳密にして之を以って、学問の最大要件と為せり。

陽明は、読書法を示す事は固より、晦庵の如く、詳密ならざりしと雖も、亦読書を以て静的功夫の一法と為し、亦知良知は一法と為せり。

王学は、頓悟の学・利根の学にして、中根以下の人に適せざる所多く、朱子の小心翼々應
対進退の小学より進修して、遂に聖域に入るべしとの説とは、到底相容れざるを見るべし。

我邦、吉村秋陽が「王学は利刀の如し、善人用ひずんば手を傷らん」と、評せしは夙に適評なり。然れども至簡至易なるは則ち、王学の王学たる所以なり

自己固有の良知を知るは、賢愚共に之を為し得る所、之を知る時は則ち、自然に良知の光明に依りて、其の良知を致すの功夫を積むべし。

積習、年を経て茲に能く徹底するに至らん。其の機や至微至妙なり、一瞬怠るあらば一分之を放失せん。陽明が格物を解して、正念頭と為せるもの蓋し此の意に外ならず。但し方今百家の進修法既に備われば、之を参酌に王学の簡易なる所を補ひ、以て進まば初学の徒雖も、必ず得る所あらん。

良知の體は、即ち心の昭明霊覚なるもの是也。

良知の用は、即ち昭明霊覚なる心、即ち知・情・意の三作用が或る行為に対して、発現するものを云う。

要するに、去私欲存天理の六字は陽明学の最大眼目也。吾人が陽明の学を論ずるには、大抵便宜上、心即理・知行合一・知良知等の数綱領を提ぐるを以て常とすれども、此れ等数綱領を一貫するものは、実に去私欲存天理是れ也。

四無説は、上根の人を導くに適すれども、中根以下の人に適せず。四有説は中根以下の人に適すれども、上根の人に適せざれば、両説は、互いに相待ちて用を全うすべきを示し、特に、四無説は軽々しく示すべからず。

聖人とは、天人二道に通じて、至誠至善を了知するもの是也。故に、聖人とは吾人の理想的至誠の偉人也。標準的至善の大人なり、人格円熟せる人也、人生の真意義をを知れる人也、人生の根本的目的を達し得る人也。

人道の、正に向って心を純一ならしむる人也、邪念妄欲を超絶したるの人也、正義公道に契合したるの人也。而して、飛行的神仙に在らざる也、超人的霊物に在らざる也。




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  • 最終更新:2013-10-04 15:26:31

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