第七章 言志録(ハ、王陽明に学ぶ)

一門生が、聲・色・貨・利の念も明に恐らくば、良知の中に無いとはいへないであろうと、明に尋ねた、所が陽明は答へて「固よりさうである。……能く良知を致し得て、精々明々豪発も蔽がなければ、聲色・貨利の事も天則の流行にあらざるはない」と云った。

陽明は、聲色・貨利も・其の正しいものは、卽ち天理の流行、良知の流行とするのである。

此の、良知と私欲とを全然別種のものとしないのは、陽明の学説の渾然として圓満なる所である。人性真相を発揮して居る所である。

或る学説のやうに、人の性には良心と私欲、或は合理的部分と截然別異の二種の動機があって、相消長する者とすると、人の本性には悪といふ固有の部分があって、到底除去し得ないことになる。

人は、永久に自家撞着である。矛盾である。粹然として道徳的に純化するといふ時期はない。然るに本来唯一の心が其の中正を失った時に私欲、正を得ている時に良心とすれば、吾人の心が正を得て居るときには、瑩徹明透純如として善である。

心が、常住不断に此の情態に在り得るものは、卽ち是れ至聖である。陽明の教訓が学説としてよく透徹し、人生の霊活至貴なる理想を示して居るのは、實に此等の點にあるのである。

元来、良知は虚霊明覚なもので、一方に偏著することのないものである。之が發動して時事物々をして、其の中正を得しむるやうな性能を有せるものである。

卽ち、中庸の所謂未發の中と同じものである。(中庸第一章)喜怒哀楽の未だ發せざる之れを中と謂ふ。發して皆節に中る之を和と謂う。

中なるものは天下の大本なり。和なるものは天下の達道なり。中和を致して天地位し、萬物育はる。未發の中は良知なり。前後内外なく、渾然として一體なる者なり。

人皆、此の良知を有し乍ら一方に偏著するのは、物欲に牽蔽せらるゝからである。「良知は卽ち惟れ未發の中、卽ち是れ廓然大公・寂然不動の本體。――

――人々の同じく具ふる所の者である。それで須く学んで以て其の昏蔽を去るべきである。」此の物欲はどうして起こるかといふと、人には気質習慣等の偏倚した傾が出来て居って、之が為に私意を著くるからである。

「良知は、本来自ずから明なるものであるが、気質の美ならざる者は、渣澤が多く障蔽が厚くて開明することが難い。質の美なるものは、渣澤が元から少なくて障蔽が多くない。

略々、致知の工夫をを加へると此の良知が便ち、自ずから瑩徹する。些少の渣澤ぐらいは湯の中に雪を浮べるやうなもので障蔽とはならない。」

斯く、気質習慣の上から人の品等が異なるだけに、物欲の牽蔽を受くるにも差があるけれども、孰れにせよ物欲を去って、良知を致す工夫をせねばならぬ。

毫末たりとも、物欲が滞留して居る間は、甚だしく良知の累を為すことがあるものである。

「心體上に、一念の留滯たりとも著け得ないのは、眼に些細の沙塵をも著け得ないのと同様である。極僅かな沙塵でも満眼直に昏黒地の状態に陥ってしまふ。

又、此の一念を留滯することの出来ないといふのは、但々是れ私念のみに云ふのではない。好的の念頭も亦些細をも著くることが出来ない。眼中に些細の金玉の屑を入れるやうなもので、亦到底眼を開けることは出来ない」

好的の念頭も、本體自然の發用流行でなくして、之に執著するときは、畢竟之も一種の私心となるからである。譬喩緊切・意味深長、吾人は懼然として警省し、猛然として知良知の工夫に意を用ひねばならない。

「吾が心の良知の天理を事々物々に致せば、事々物々皆其の理を得。吾が心の良知を致すは致知なり。事々物々皆其の理を得るは格物なり。」

良知を事々物々に致すとは、良知のまに~事を正しく行ひ盡すとの意義である。静的に思索し理解するといふやうな意義ではない。

(此の知を致すといふことを、単に知的思索のやうに誤解するものがあるから、注意せねばならなぬ)

「如何にするのが温清の節であるか、如何にするのが奉養の宜であるかを知るのは、所謂知である。まだ之を知を致したといふことは出来ない。

必ず其のどうすれば、温清の節・奉養の宜のであると知れる所の知を致して、実際に之を以て清温し奉養して、然る後に之を致知といふのである。

温清の事、奉養の事は所謂物である。まだ之を以て物を格(ただす)したといふことは出来ない。必ず其の温清の事、奉養の事に於て、良知が如何に為すべきかと、知れるまに~之を行って、一毫の盡さゞることもない。

斯ういふやうになって、然る後に之を格物といふのである。温清・奉養の物格して然る後、温清・奉養を知るの良知が始めて到るのである。

知行合一の道理からして、知は決して行と離れない。その知を上下左右に應要して行ひ、盡きすのを致知といふのである。

知行は同時であるから、知良知の工夫は事上錬磨をその要義とする。實事を離れて懸空に思索しても效はない。

朝晝暮夜と事に接し應ずるの間に、此の良知を致し行ふことを学問の根本要義するのであるが、戒慎して意を用ひないと、此の際に私意が参入して良知を昏蔽し、此に不善に陥るの端緒が開けて来るのである。

毀譽得喪などの私欲が良知を昏蔽するは固よりの事、善を欲するの心といへども、之に意念を執着すると既に私意に陥ってしまふ。

門人陸原静が、「此の心が常に動揺して、寧静の時がないのを覚える」と云ったのに、陽明は答へて「それは寧静を求むるに意があるから、愈々以て寧静ならざるのである」と云った。

彼は又、「寧静を求めようとして、念の生ずる無きを欲するは、此れ正に自私・自利将迎意必の病である。是を以て念愈々生じて愈々寧静ならないのである。

良知は、只ゝ是れ一箇の良知であって、善も悪もおのづから辨別する。更に何の善をも悪をも思ふべき事はない。良知の體は本自ら寧静なるものである。

然るに、今却って又一箇の生ずるなきを欲する意念を添える。是れ實に甚だしい將迎意必である。只ゝ是れ一念の良知は、頭に徹し、尾に徹し、初なく終りなく卽ち前念滅せず、後年生ぜざるものである。

然るに、今却って前念滅し易く後念の生ぜざらんことを欲するのは、是れ佛氏の所謂種性を断滅して枯木死灰に入るの謂である」と。

絶えて私欲の動揺拂乱を受けないで、絶対なる良知のまに~生々流行するのが、卽ち定であり寧静である。此の良知に自然に具って居るものである。

然るに、今強ひて寧静を求めようと意念を著けるのは、是れ卽ち私欲で、良知を昏蔽して心を動揺せしめる所以である。

人情は、機詐百出して甚だ油断のならぬことである。今、此等の人に対して事を處するに、全く疑はないで居ると往々欺かれる。

さればとて、此の方から先づ人の心を査ろうとすると、おのづから逆へ億ることになる。詐を逆へるのは詐である。不信を億るのは信でない。

人の為に欺かるゝのは査でない。逆へず億からずして、さうして常に先覚するのは、其れ惟良知の瑩徹であろう。然るに出入毫忽の間に背いて詐になって居ることが多い。

君子の学は、己の為にするのである。未だ嘗て人の己を欺くことを虞らない。恆に自ら己の良知を欺かないのみである。未だ嘗て人の己を信ぜざるを虞らない。

恆に、自ら己の良知を覚らんことを務むるのみである。是の故に、欺かなければ良知は偽るところがなくて誠である。誠なれば明である。

一切の意念を、執著せぬようにするのはどうすればよいか、本来良知は自覚的ものである。良知其のもの々作用をも自覚するし、意念の執著した時は又之をも自覚する。

良知發用の思は、自然に明白簡易である。良知は亦其れ自身が良知なることを能く知り得るのである。若し是れ私意安排の思は、自ずから是れ紛憂なものである。

良知は又、自ずから是れを分別し得るのである。蓋し思の是非正邪は良知が自ら知らないものはない」自然の直覚であるか、安排思索を用ひて居る私意であるか、卽ち心が本體の中正を得て居るか。

或る、意念に執著して一方に偏して居るか、善も悪も吾人も良知に自覚さるゝのである。「良知は本来中和的のものであるのに、却て過不及があるはどうした譯か」と問うたら、陽明は「過不及を知り得る處が、卽ち是れ中和である」……と答へた。

意が發動して、苟も過不及があるならば、良知は必ず之を自覚する。その自覚した所に力を用ひて、益々其の良知を発揮し、克己を以てその私意を去り、その事に良知が渾然として、圓満に流行するやうにするのが、卽ち知良知の工夫である。

此の如くにして、良知の自覚に基づいて工夫を凝らして居ると、良知の作用は益々明を加へ、善悪の判断は透徹して、豪頭の誤りもない。

「平日の所謂、善なるものが未だ必ずしも善ならず。所謂、不善なるものが却て正しい」といふやうなことを発見するやうになる。

さうなると、拘泥固執の弊が全くなくなって、事々物々が随所随時に、その中正を得るやうになって来る。

今日の、善事の必ずしも他日の善事でない。吾人は適もなく英もなく執著することは出来ない。さりとて無主義で居ることは出来ない。

事々物々に流通自在で、さうして常に其の中正をえねばならぬ。是れ實に明瑩なる良知を事々物々に致す事によって得られるのである。

實に、此の知良知の説は、陽明自身も百死千難の中に得来ったもので、彼は斯くいふより外に道がないから、人の為に一口に知良知を説き盡したのである。

只、彼は学ぶ者が之を容易に得て把て一種の光景として玩弄し、切實に工夫を用いないで、此の知に負くに至らんことを恐れたのであった。

それで、彼の学を修めて實積を挙げようとするものは、之を一場の話頭とし、その光景を想像するに止めないで、必ずや勵精刻苦して著實なる工夫を積まねばならぬ。

良知は、直覚する自覚する虚明霊照するものであるといふ事は易いが、真に良知が瑩徹して完全に其の妙用を發揮するに至るは工夫に工夫を積ね、歩一歩と漸進する結果なのである。決して一躍突飛して其の境に到るものではない。

「聖人の知は青天の如く、賢人のは浮雲の天の如く、愚人のは陰霧の天の日の如くであこく百をる。其の昏明の程度は同じくないけれども、其の黒白を辨ずることの出来るのは一つある。

昏黒な夜中でも、彷彿として黒白を見得るのは、卽ち是れ目の餘光が未だ盡きざる處である。困学の工夫も亦只ゝ此の一點の明なる處から次第に精察加ふるのである」

暗雲四塞の時と云へども、太陽は常に存している。私欲の昏蔽の極みとのいへども、良知の存せざる事はない。さうしてさう薄明ながらにも、良知の光が自覚せられる。

一點たりとも、此の自覚した光明を逸しないやうにして、此處からその先を漸次に擴充するのが、卽ち、致知の工夫である。

修養には、少しも隙間のないやうに努力するべきであるけれども、連なる欲し效を求めようとして助長してはならぬ。さりとて助長しまいとするには、自ら其の根本の工夫がなければならぬ。

浩然の気を養ふに「必ず事とするあれよ、而し正するなかれ。心に忘る勿れ。助けて長ずるなかれ」とある。其の、大意は浩然の気は義を集めて生ずるものであるから、之を養ふには、常にその事を事として怠らぬやうにせねばならぬ。

而し、其の成功を豫期してはならぬ。豫期すると效を急ぐ様になる。さりとて心を忘れてはならぬ。忘れたなららば其の工夫が廃れる。

さりとて、他力を加へて気を助長しようとしてはならぬ。助長しようとすると無理が出来て却って気が害せられる。故に養気は其の工夫に努力して而して、自然の発展を待つべし。

余が、この際に学を講ずるには、只ゝ一箇の「必ず事とするあれ」を説いて「忘るゝ勿れ、助くるなかれ」を説かない「必ず事とするあれ」とは、只ゝ是れ常々に集めて息まない事である。

学問の工夫は、全く「必ず事とするあれ」といふ上に在って用ふべきで「忘る勿れ助くる勿れ」は、只ゝ其の問に就いて警覚するのみである。

若し、是の工夫が元から間断しなければ、更に忘る勿れと説く必要はない。元から連なるを欲し效を求めなければ、更に助くる勿れと説く必要はない。

学問の工夫で、此より明白簡易なことはない。此より洒脱自在なことはない。然るに今却って必ず事とするあれといふ上に、工夫を用ひないことが肝要である。

懸空に一箇の忘る勿れ、助くるなかれを守著して居るのは、此れも正に鍋を焼いて飯を盛るやうなものである。鍋の肉に一度も水を清し米を下さないで、専ら柴を添へ火を点けたならばどうなるか。

余は、余力加減まだ調はないうちに、鍋の方が先づ破裂することを恐るゝのである。近日一種の専ら忘る勿れ助くる勿れといふ上に工夫を用ふるものは、其の病は丁度此のやうなものである。

終日懸空に一箇の「忘る勿れ」を為さうとし、又懸空に一箇の「助くる勿れ」為さうとし、渀々蕩々として、全く實際に手を下す處がない。

つまり、その工夫は只ゝ一箇の空に沈み寂を守るの習を為し、一箇の擬俟漢を養成するのみである。僅かに一小事が起こり来っても直に牽滯紛擾して、穏當の處理牽制を加ふることが出来ない。

此等の工夫を修めて居るものは、此れ皆有志の士である。而るに其の事の為に吾が身を労苦して、あたら一生を無益に過さしむるのは、皆学術人を誤った次第で甚だ憐れむべきである。

夫れ、必ず事とするあれといふは、只ゝ是れ義を集むることをいふのである。義を集むるとは只ゝ是れ良知を致すことをいふのである。

義を集むと説けば、一時未だ頭脳を見ないが、良知を致すをと説けば、卽坐に實地に工夫を用ふべき處がある。故に余は専ら知良知を説くのである。

時に随ひ事に就いて、其の良知を致すのである。著實に其の良知を致して、一豪の意・必・固・我のないのは卽ち是れ心を正すのである。

著実に良知を致せば、自づから忘るの病はない。一豪の意・必・固・我がなければ、自づから助くる病はない。故に格・致・誠・正を説いたならば、必ずしも更にかの忘と助とを説く必要はない。

畢竟、陽明の主旨とする所は、知良知といふ修養の大頭脳を明にし、忘却の弊なく助長の弊なく其の工夫を積んで、著実に漸次に長進せしめんとするのである。

陽明の学説が、簡易で直截で而も頓悟を尚び、虚寂に流るゝやうな弊なく向上の一路に人を奮励せしめて、而も著實に直進せしむる處があるのは、實に此等の點にあるのである。

此くの如くにして、到良知の工夫を積んで息まなかったならば、人は優に聖域に入るので、少したりとも私意の執著する所がなく、此に良知の霊照なる妙用は完々全々に發揮せらるゝのである。

「聖人致知の工夫は、至誠にして息むことがない。其の良知の體は白檄として明鏡の如きもので、少しのかげくもりもない。

妍来れば妍、媸来れば媸、物のまに~其の形を見はして、而も明鏡は曾て留染する所がない。所謂「情萬事に順って情なし」とは之をいふのである。

「住ることなくして其の心を生ず」とは、佛氏も會って曰って居るが非とすべきではない。明鏡の物に應ずる妍き者は妍く、媸き者は媸く一たび照らして皆眞である。

卽ち、是れ其の心を生ずる處である。妍き者は妍く、媸き者は媸く、一たび過ぎて留まらない。卽ち是れ住る所なしといふ處である。」人の光明大自在の生活は實に此にあるのである。

陽明の、所謂良知と誠とは、如何なる関係があるかといふと、「誠は是れ實理、只ゝ是れ一箇の良知」、畢竟両者は一體のものである。

唯一の至徳を方面異にして、二称名を附せるに過ぎないのである。唯一の至徳が照明霊覚、善悪正邪の判断を下す方を主として良知と云ひ、意志に發動して他に一豪も不純な動機を混じない方から、之を誠というのである。

「意、温清せんと欲し、意、奉養せんと欲する者は所謂意である。まだ之を意を誠にすると謂うふことは出来ない。―――

―――必ず、實地に其の温清奉養の意を行って、、務めて自ら慊して、而して自ら欺く事なきを求めて然る後之を意を誠にすると謂ふ」

好色を好むが如く、悪臭を悪無が如く、善を行って善其の者に自ら満足し、少しも他に求むる意がないのを誠意といふのである。

「先生は甞て『人但々善を好むこと、好色を好むが如く、悪を悪ぬこと悪臭を悪むが如くなるを得ば、卽ち是れ聖人』と云はれた。

余は、初め之を聞いた時に甚だ易いことゝ覚えたが、其の後實際に體験して見ると,此の一箇の工夫は實に困難である。

一念の上に、善を好み悪を悪むことを知って居っても、知らず覚えず毀誉得喪等の妄念が、其の間に夾雑してしまふ。

僅かでも夾雑があると、卽ち是れ善を好むこと好色を好むが如く、悪を悪むこと悪臭を悪むやうな心でない。善は能く實際的に好んだならば、是れ念として善ならざるはない。

悪は能く、實々的に悪んだならば是れ、念の悪に及ぶこともない。能く此の如くにして、どうして聖人でないといふことがあらうか。故に聖人の学は只ゝ是れ一の誠のみである。」

善の為に善を行なひ、其の間に少しも毀誉得喪う等の動機を夾雑しなければ、卽ち是れ善に純粋なるもので之を聖といってよい。然らば、このやうな貴い生の工夫はどうすればよいかといふと、、知良知に外ならぬのである。

陽明の致良知が、誠意の工夫であることは反復丁寧に説いて居るが、大学の正心・誠意・致知・格物を説いた大学門中の一段は、其の総括とも見るべきものである。

「蓋し、心の本體はもと正しからざるはない。其の意念の發動から正からざる事も生ずるのである。故に其の心を正しうせんと欲する者は、必ず其の意念の發する所に就いて之を正すのである。

凡そ、其の一念を發して善なれば、之を好むこと真に好色を好むが如く、一念を發して悪なれば、之を悪むこと真に悪臭を悪むが如くなれば、意が誠ならざるはなく、心も正しうすることが出来るのである。

併し、意の發する處に善もあり悪もあるから、其の善悪の分を明にするのでなかれば、亦真と妄とが錯雑して之を誠にしようとしても、得て誠にすることが出来ない。

故に、其の意を誠にせんと欲するならば、必ず知を致さねばならならぬ。…知を致すとは吾が心の良知を致すのである。良知とは孟子の是非の心の、人皆之れ有りといへる者である。

是非の心は、慮る事を待たずして知り、学ぶことを待たずして能くする。それで之を良知と謂ふのである。是れ卽ち天命の性、吾が心の本體で、自然に霊昭明覚なものである。

凡そ意念の發すると、吾が心の良知が自ら知らないものはない。其れが善ならんか、唯々吾が心の良知が自ら之を知るのである。

それが不善ならんか、亦惟は吾が心の良知が自ら之をしるのである。是れ皆他人に興る所がないものである。…今、善悪を別って其の意を誠にしようとするには、惟ゝ其の良知の知る所を致すに在るのみである。

何となれば、意念が發して我が心の良知が既に其の善たるを知って居るのに、誠にこれを悪むことが出来ないで、又背いて之を知るならばこれ善を以て悪と為し、自ずからその悪を知るの良知を昧すのである。

意念が發して、吾が心の良知が既に其の善たるを知って居るのに、誠に之を悪むことが出来ないで、又これを為すならば、是れ悪を以て善と為し、自ら其の悪を知るの良知を昧すものである。

若し是の如くならば、知るも猶知らないと同様である。意を得て誠にすることがどうして出来ようか。今良知の善と知り、悪と知るものを、誠に好み誠に悪んだならば、自ら其の良知を欺かないで意といふものを誠にすることが出来るのである。

然るに、其の良知を致さうとするのも亦、影響恍惚懸空實なきをいふのではない。是れ必ず實に其の事があるのである。故に知を致すことは必ず物を格すにある、物とは事である。

凡そ、意の發するの所は必ず其の事がある。意の或る所の事、之を物と謂ふのである。格は正するである。其の不正を正して、正に帰するをいふのである。

其の、不正をただすとは悪を去るを謂ふのである。正に、帰するとは善を為すをいふのである。…良知の知る所の善は、誠に之を好まうとしても、苟も其の意の在る所の事物に就いて、實地に之を為すのでなければ、物もまだ格しくないし、之を好むの意もまだ誠でない。

今、其の良知の知る所の善なるものに於ては、其の意の在る所の物に就いて、實地に之を為して盡さゞる所のないやうにしなければならぬ。

そして、其の良知の知る所の悪なるものに於ては、其の意の在る所ものに就いて、實地に之を去って、盡さゞる所のないやうにしたならば、さてこそ物が格しかざるないやうになる。

さうして、吾が良知の知る所のものが、障蔽のあることなく、以てその至を極るのである。さうして後にこそ吾が心が快然として、復餘憾なく自ら満足するようになる。

さうして、後にこそ意の發する所のものが始めて自ら欺くことなく、以て之を誠にすと謂ふことが出来る」斯くの如く、知を致して意を誠にす謂ふのである。

併し乍ら、知を致すといふことが終りて後、意を誠にすといふことが始るのではない。知の致ったときは卽ち意の誠になったときである。

致知と云ひ誠意といふのも、其の實同時共存的のものである。正心・誠意・致知・格物と四に分けても、畢竟皆一件のことである。

之に、先後の順序を立てゝいふのは、吾人が此の一件の工夫を意識するときの、一種の順序をいふにほかならぬのである。

「物格しうして後、知至る。知至って後、意誠なり。意誠にして後、心正し。心正しうして後、身修まる。蓋し、其の工夫条理に先後次序言ふ可きありと雖も、而も其の體の惟一は實に先後次序の分つべき無し」

良知を致し、意を誠にし、心を正しくしたときは、卽ち心の本體が全うせられたときである。彼は、身に省みて誠なれば楽は常に在りとするのである。

哀哭は、所謂七情の中の苦痛に属するものであるけれども、若し哀哭すべきするならば、其處に楽が同時に存して居るとするのである。

誠なるものは、己の心が常に善に安ずるものである。満足するものである。それで真の善そのものには楽が常に具足して居るのは當然である。

善は、七情の快楽の為に行ふのではないが、善の中に楽が存するのである。是れ又陽明に「善を為す最も楽し」の説のある所以である。

「君子は、其の道を得るを楽しむ。小人とはその欲を得るを楽しむ。併し、小人が其の欲を得るのは、吾は亦但ゝ其の苦たるを見るのみである。

五色は、人の目を盲ならしむる。、五聲は人の耳を聾ならしむる。五味は人の口を爽やかならしむる。馳騁田猟は人心をして狂を發せしめる。

栄々、威々として憂患に身を終へ、心労して日に拙く、欲縦に悪積んで、以て其の生を亡す。どうして其等を楽にすることが出来ようか。

若し、夫れ君子の善を為すものは、仰いで愧じず、俯して怖ぢず、明には人の非がない、幽には鬼の責がない。優々蕩々として、心逸して日に休する。

宗族は其の考を稱し、郷党は其の弟を稱する。言うて人の信ぜざるはなく、行って人の悦ばざるはなく、所謂入るとして自得せざるはない。亦如何なる楽も之に及ぶものはないであろう」
楽に
此に注意すべきことは、陽明は道の楽と欲の楽とを、別って記しているけれども、、両者を全然別種のものとするのではない。

道には、耳目などの物質的、快楽以上の楽もあるけれども、五色五味の楽とても其の正を得て居るときは、其れは卽ち道の楽の一種なのである。

「楽は是れ心の本體である。七情の楽に同じくはないけれども、而も亦七情の楽に他ならない。則ち政権は政権は別に真楽があるけれども、而も亦常人の同じく有する所である。

但ゝ常人は、之を有して居っても自ら知らないで、返って自ら許多の憂苦を求め、自ら迷棄を加へるのである。憂苦迷棄の中に在っても、此の楽は又存在しないことはない。

但ゝ一念開明して、身に反りみて誠であったならば、此處に在るのである。余が毎度原静と論ずるのは、此の意でないことはない。

而るに、原静は尚如何なる道に依って、楽を得べきかと問うて居る。是れは丁度まだ、驢馬に騎って居りながら覚むるの蔽を免れない」

此の陽明が「七情の楽に同じくはないけれども、七情の楽に外ならない」といひ「聖賢は別に真楽があるけれども、而も亦常人の同じく有する所である」

此の箇所は、一見頗る解し難いやうであるが、之が彼の教の真切な所で、良知の自覚に伴った七情の楽は、皆彼の真の楽とする所なのである。

即ち道に誠で自ら慊する所に、常に真の楽は存するのである。至誠は至善である。至善は至楽である。さうして其の工夫は實に知良知にあるのである。

王陽明は、以前に仙釋の二教を於溺るゝまで熱心に研修した。さうして其の結果かゝる非社会的の教義は人の本性に反するものとした。

そして、社会的の教義を説く所の儒教に復帰したのであった。後年彼は哲学的見地から儒佛二教を比論したのは、頗る痛切を極めたものである。

「佛氏は、相(事物の形相)に執著しないと云ふけれども、其の實は相に執著しまって居る。吾が儒は相に著るやうであるが、其の實は相に著しない。

佛は、父子の累を惧れて却て父子を逃げてしまふ。君臣の累を惧れて却て君臣を逃げてしまふ。夫婦の累を惧れて却て夫婦を逃げてしまふ。

却て是れ此の君臣、父子、夫婦といふものゝ為に相に著してしまふから、それで逃避せねばならぬやうになるのである。吾が儒では此の父子といふものがあれば、それ相當に仁を以てする。

此の君臣といふものがあれば、それ相當に義を以てする。此の夫婦といふものがあれば、其れ相當に別を以てする。少しも父子・君臣・夫婦といふやうな、相に著することはない」

此の、社会的道徳の根本は何であるかといふと、儒教にては孔子以来「仁」を以て之に答ふるものである。儒教を奉ずる所の陽明も固より、仁を以て人間の至徳とするのである。

彼が仙教の非を悟った時に「長生在ㇾ求ㇾ仁」と歌ったのは、まださして、深遠な意義を有していないやうであるが、龍場の發後以後にも道徳を説く所には、毎に仁愛を以て道徳の根本として説いている。

彼は、温情定省等の孝道もその根本は誠孝的の心で、誠孝敵の心は愛であるとした。「之を樹木に譬へると、此の誠孝的の心は卽ち根である。

許多の條件は便ち枝葉である。先づ根があって然る後に枝葉があるべきである。先づ根があって然る後に枝葉があるべきである。先づ枝葉を尋ねてしまってから、然る後根を植ゆるのではない。

禮記に「孝子の深愛ある者は必ず和気あり、和気ある者は必ず揄色あり、揄色ある者は必ず惋容あり」と言ってあるが、須く是れ一箇の深愛が根となって、便ち自然に此の如くなるべきである。

斯く、仁愛が根本の徳であるからには、陽明が後年至上の主義のとした。良知と仁愛とは如何なる関係があるかといふと、良知卽ち仁なのである。社会的方面から良知の内容を云へば、卽ち仁愛の情なのである。

陽明が、仁と良知を以て一體のものとし、真誠の同情を以て、衆徳一切の根本とするの意を見るべきである。

陽明の門人が問を發して――
『程明道は「仁者は天地萬物を以て一體と為す」といって居るのに、どうして墨子の兼愛を以て仁と謂ふことが出来ぬのでしょう」
と尋ねたら、陽明は之に答へて――

――「此は亦甚だ言ひ難ひことである。須く諸君は自ら體認して、始めて悟り得べきである。仁は是れ造化生々不息の理で、爾漫周遍處として是ならざるはないけれども、其の流行發生には亦一個の基準がある。

順序があるから、一箇の發端の處がある。發端の處があるから生ずる。生ずるから息まない。之を木に譬へると、其の始めで芽を抽づるは卽ち是れ木の生意發端の處である。

芽を抽でゝ然る後幹を發する。幹を發して然る後枝を生じ葉を生ずる。然る後生々して息まない。若し芽がなければ、どうして幹があろうか、枝葉があらうか。

能く芽を抽づるには、必ず下面に根があるからである。根があれば方に生じ、なければ便ち枯れる。根がなければ何處から芽を抽づるであろうか。

父子兄弟の愛は、便ち是れ人心生意の發端の處で、木の芽を抽づるやうなものである。此からして民を仁し物を愛するは、便ち是れ幹を發し枝を生じ、葉を生ずるのである。

墨子は、兼愛して差等がない。自家の父子兄弟を以て、途上の人と一般に看るのである。、便ち自ら發端の處を没了して芽を抽でない。そこで彼には根がないとか知れる。

便ち生々不息でない、どうして仁といふことが出来ようか。論語にも孝悌は仁を成すの本とあるが、却て是れ仁の理で、内面より發生し来るものである。」

陽明の理想的治世に於ける教育は、畢竟徳を成し材を達するを目的とするのである。徳を成すとは人々をして、其の固有普遍の天地萬物一體の仁を発揮せしむることである。

材を達するとは、人々には各々材能の長短があるから、教育によって益々その特長を精熟せしめようとするのである。

卽ち、成徳に依って人々が、一體の社会となって統合するやうにし、達材に依って長短互いに相補を以て、世用を為さしめようとするのである。

扨て、此のやうにの教育せられたものが、世に處するやうになった時に、長短優劣、各々その分がが定まって居るから、皆その分に安じて其の業を励み、敢えて高を希ひ外を慕はない。

此の如くにして、天下の人皆一家親たる如く、雍々として春風の裏に在るの思ひを為さしむるに至ったならば、此に理想的治世が實現したといってよい。

「今の、性を論ずる者紛々たる異同は、皆是れ性を説くのである。性を見るのではない。性を見る者は異同の言ふべきこともない」

然り、吾人は言論の末に紛々たる異同を詮議するよりは、単刀直入其の本源に就いて性その者を見るがよい。性は皆人々の固有する所ではないか。

陽明は、性の研究法に就いて、斯かる超脱した意見を有って居ったように、性其の者に関する見解も亦、頗る卓拔なるものである。

人は、陽明の性説を評して「善無く不善無し」の説に類するとか、善悪混在切説に類するとか、曖昧であって定見がないとか、いや確に性善説であるとか、陽明一箇の性説に就いても、亦学者の紛々たる論議があるようである。

併し、この紛々たる論議は他の学者の側のことで、彼の関する所でない。彼自身の意見は頗る徹底した超然たるものである。

元来、吾人の見地からいふと、後世の学者が中庸の「天の命ずる之を性と謂ふ、性に率ふ之を道と謂ふ、道を修むる之を教といふ」の説を尊奉するからには、性の善悪を論ずることが抑々根本からの誤謬である。

孟子が、性善説を主張した為に、後世の儒者が之に拘ったものと考ふるのである。何となれば「性に率ふ之を道と謂ふ」といふ思想からすると、性が道の根源である。

性が、道を決定するのであって、道が正を判定するのではない。卽ち性が善悪の標準となって、以て事物を判断するのである。性の善悪を判断する所の標準が性の外にあるのではない。

性自身が、絶対の至高なものである。性に率ふものは之を然と稱し、性に率はぬ者は之を悪と名づくるのである。故に性が善か悪かといふことは問題にならない。性の善悪を論ずるならば、之れ性の外に道を求むるものでるある。

若し、孟子等の性善説を以て、通俗の教育的手段と見るならばよい。常人は聖賢の教ふる所の道が、己の性に基づくことを知らないで、道とは人の性を強ふる忌むべきものゝ様に、誤解して居ることもある。

この場合に聖賢の教ふる所の善は、皆汝らの性に具って居るのである。外に假ることを用ひないものである。之に依って汝等の性を全うするものであると、教ふるのは人をして自重奮励せしむる所以である。

併し、若し之を学者の哲学的議論とすれば、問題にはならぬのである。然るに孟子が性善を説いてから、之を哲学的に論議しようとするのは、寧ろ古人に拘はったものと云わねばならぬ。

「天地の間もと只々此の性がある。只ゝ此の理がある。只ゝ此の良知がある。只ゝ此れ一件の事」彼は、又性も良知も只ゝ一件とするのである。

此のやうに陽明の謂ふ所の性は、理心或は良知と同一体のものであって、畢竟、一箇の「人」といふ實在を観る方面を異にして、名付けたものに外ならぬのである。

性とは、人といふ實在の人に賊せられ、固有しているといふ方上に面からいふのである。故に性は絶対至上なものである。

性の他に性を判断する基準はない。「道は卽ち性、卽ち命、もと是れ完々全々、増滅することを得ない。修飾を假らないものである…。

天の命、人に於ては命卽ち之を性と謂ふのである。性に率って行へば性便ち之を道といふのである。…」性が卽ち道となって、事物の善悪を判断する標準となる。

依って、性其の者は善か悪とかいふ名目以上に超在して居って、善とも悪ともいいやうのないものである。従って「性の本體もと是れ善も悪もなし。」

「善なく悪なきは是れ心の體」といふのが、陽明の性に対する正面の見解と為すべきである。

「告子の病原は、性善なく不善なしといふ見解上から来るのである。性は善なし不善なしと説いても、言葉の上から大なる間違いはないのであるけれども、但、告子は執定して性を看て居る。

卽ち、一箇の善なく不善なしといふ性が内に在って、猶其の外に物感上に善あり悪ありと見て居る。便ち一箇の物が外に在るとして、性と物とを両辺にして看ておる。

是れ、問題のもとである。、善無く不善無し、性はもと此の如きものであるから、十分に悟り込むときは只、此の一句に盡きるのである。

更に内外の問てがあるべきでない。告子は、一箇の性が内に在るを見、一箇の物が外に在りと見て居るから、性に於てまだ透徹して居ない處のあることがわかる」

告子は、善悪の基準は性の外に在って、性はこの基準に対して如何様になるものとして居る。それで告子の善無し悪無しといふのは、性其の物の本體を道徳に無関係のものとするのである。

陽明が、性善なし不善なしといふのは、性其の者が善悪の標準となるのであるから、相対的意義に於て善も悪ともいふことが、出来ないとするのである。

是れが、告子と陽明と語を同じうして、意を全く異にする所以である。性は、譬へば眼やうなものである。直視は平かに看る場合の眼、微視は観ひ見る場合の眼である。

總じて之を言へば、只是れ一箇の眼である。若し怒る時の眼を見得て、喜ぶ場合の眼がないと説き、平視する時の眼を見得て、観ひ見る場合の眼がないと説かば、皆是一辺のを執り定めた僻見で錯って居ることが分かる。

孟子が性を説くのは、源頭上から説いて来るので、亦是れ一箇の大概の此の如しと説くのである。荀子の性悪の説は、是を流弊上から説き来るので、又彼の説が盡く誤って居るといふことは出来ない。只ゝ其の性の見方がまだ精ならざるのみである。

陽明が、性を見得たならば異同の論のいふべきなしといへるのは、卽ち此處をいふのであって、性の見處によって論も亦違って来る。見性の本體から見ると、善なく悪なきもので之を至善とも名づくのである。

吾人は此に筆を進めて、性論中の最も困難な場處に進もうとするのである。喜怒哀楽・視聴言動吾人一切の所作は、皆一個の性から發動する者であるのに、何故に其處に善と不善との別が生じ来るのか、是れ最も困難なる大問題である。

「心の本體は性である。性は善ならざるはないから、心の本體はもと正ならざるはない。其の意念の發動する處から不正といふことも出てくる」

意念の發動が心の本體上から見ると、或は過ぎ或は及ばない。之を悪といふのである。

「至善は心の本體。本體上に少しでも過當であれば、卽ち悪となる。」

然らば、意念の發動が本體上から見ると、何故に過不足するか、意念も性から發するのではないか。性が至善ならば、意念に悪のあるべき理がないではないか。

意念に悪があるならば、本體に悪な處がなければならぬ道理ではないか。此處が根本の問題である。陽明は二子の言が、共に両立するものとしたのである。

人若し、一悟して本體に透徹したならば、意も知も物も本體のまに~行はるゝので、更に悪といふものがない。従って悪に対して善と名づくべき者もない。

卽ち、意も知も物も善無く悪なきである。併し、斯かる人は稀有なことであるし、常人に之を道とせしむるならば、誤解して流れてしまふ。それで格物致知を以て道としたならば、更に斯かる危険はない。

「諸君が、以後朋友と学を講ずるには、切に余の宗旨を失ってしまってはならぬ。善無く悪なきは是れ心の體。善あり悪あるは是れ意の動。

善を知り悪を知るは是れ良知。善を為し悪を去るは是れ格物。只、此のやうに説いて、人に随って指點したならば、おのづから病痛はない。工夫である。

此れ、もと是れ徹上徹下の工夫である。利根の人は世に又遇ひ難い。本體も工夫も一悟して盡く透るのは、此れ顔子、明道も敢えて承當せざる所である。

どうして、軽易に人に望むことが出来ようか。人には習心がある。之をして良知上に在って、實著に善を為し悪を去る工夫を用ひしめないで、只、縣空に此の本體を想ひ去る。

一切の事為俱に著實でなかったならば、一箇の虚寂を養成するに過ぎない。此の一箇の病痛は實に少々のことではない。早く説破して置かねばならぬ。

そこで、陽明のは性の本體上に習心の弊があって、此處から善意悪意が發動するとするのである。然らば此の習心とは如何にして生ずるものであるか。

「気質の剛なるは、善に習へば剛善となり。悪に習へば剛悪となる。気質の柔なるは、善に習へば柔善となり、悪に習へば悪となる。」

習心とは、気質に意念が發動して習慣となったものをいふのである。陽明は、気質の奈良ざる者は美ならざるものは、渣濁が多く障蔽が厚く私欲客気となって、之に罹るやうになるのである。

然らば、性と気質とは如何なる関係のものであるか。陽明の性論の最後の解決は此処に求めらるべきである。

宋儒以来、理と気を以て宇宙全體を解釋しようとする者が多いのであるが、天理の人に賦せるものは卽ち性であるから、倫理問題に於ては性と気とを対して説き、又理と気と対した侭説くのである。

陽明も亦、性或は理と気とを対して、倫理の根本問題を説いている。陽明の謂ふ所の気とは、身心一切の活動流行を起こして居るもの、卽ち人生一切の現象として、意識すべきものを気といふのである。

「善悪は、全く汝の心に在る。理に循ふは便ち是れ小善である。気を動かすは便ち是れ悪である。」といった。そこで性卽ち理と気とは如何なる関係があるかといふと、気は人生一切の現象を為している。

依って、其の現象の内容的實在を性といふのである。故に、性といふものを直接に意識することは出来ない。所謂「未發の中、卽ち廓燃大公・寂然不動の本體である。」

故に、性といふものは其の現象に發動する所、卽ち気に動くから性を察し得るのみである。「性善の端は、須く気の上に在って始めて見得べきである。若し、気がなければ亦見ることが出来ない。

畢竟、性も気も人といふ、一箇の實在を内實からいふと、外面からいふとの差があるのみで一のものである。

故に、「若し、自性を見得て明白なるときは、気は卽ち是れ性。性は卽ち是れ気。もと気と性との分かつべきはない。」

性卽ち理、卽ち良知であるから、理或は良知と気との関係も亦同じである。「理は気の條理である。気針の運用である。條理がなければ運用が出来ない。運用がなければ亦以て其の所謂條理あるものを見ることもない」

良知と気との関係を説いたものでは、「夫れ良知は一である。其の妙用を以ていへば、之を神と謂うのである。其の流行を以て言へば、之を気と謂うのである。」

「良知も亦只ゝ是れこの口説、この身行である。どうして気を外にして、行ったり説いたりすることが出来ようか。

故に、程明道も性を論じて、気を論じなければ備わらない。気を論じて性を論じなければ、明らかでないといって居る。要するに気も亦性である。性も亦気である。」
然らば、内面の實在たる性が外面の現象となって活動する時に、其の本體に対して或は過ぎ或は及ばないで所謂、不善といふものを生ずるであろうか。

此の、哲学上の究竟問題に就いて吾人は、陽明の意見を深く知るだけの材料を得ないのである。只ゝ此の問題に関する一事を挙ぐる、と門人の黄直が録して云ふには、―――

―――「先生は嘗て、善悪は只ゝ是れ一物と云うはれましたが、善悪は両端で氷炭相反するが如きあるのに、どうして只ゝ一物と云はるゝのですか、と問うたら先生は―――

―――「至善は、心の本體である。本體上僅かでも過當なれば、卽ち是れ悪となるのである。是れ一箇の善と云ふものであって、来たって相対するものではない。故に、善悪只ゝ是れ一物である。」と曰れた。

余は、先生の説を聞いて程子の所謂「善は固より性である。悪も亦之を性と謂はなければならぬ」(程明道曰く生之を性と謂ふ。性は卽気、気は卽ち性、生の謂ふなり。

人生気禀、理善悪あり。然れども是れ性中もと此の両物ありて、相対して生ずるにあらず。幼より善なるあり、是れ気禀然ることあるなり。善固より性なり。然れども悪も亦之を性と謂はざるべからず)

「善悪皆天理である。之を悪と謂ふは、もと悪なのではない。但本性上に於て過ぐると及ばざるとの間のみである。」

(程明道曰く、善悪は皆天理之を悪と謂ふは、本悪なるに非ず。但或は過ぎ或は及ばず、便ち斯くの如し。盡し、天下性外の物なし、本、皆善にして悪に流るゝのみ。

陽明も程子も、本来善なる性が何故に悪に流るゝかといふ點に、明快なる解釋を加へて居らぬ。

此処は、吾人の大悟するを要する所で、吾人に普通の意義に於ける善悪、卽ち一偏から意見を立てた善悪に、執著することは出来ない。

哲学的に大観したならば、人生一切に事は皆性より發動するものであって、善より善に移る経過に他ならぬのである。

若し、夫れ普通の意義に於ていへば、一分たりとも意思を執著して気を動かし、悪に流るゝ所があれば良知は之を自覚する。

さうして、本體の中正に復帰しようとする努力が生じて来る。此に工夫を加えへて本體を全うするを良知と致す。或は性に復するといふのである。

「人能く道を修めて、然る後に能く道に違わないで、以て其の性の本體に復する。則ち亦是れ聖人の性に率ふ道である。」

唯々、此の気質の偏したものが、吾人の中に潜在して居ることは、病根が人知れず體中に潜んで居るやうなもので、時としては頭を擡げて来る。

それで省察克治、力を極めて根本から之を除去し、昭明霊覚な良知を致す事が大切である。是れ實に徹上徹下の工夫である。

「之を譬へて見ると、時に發らないことがあっても、病根が除かれてしまはなければ、之を無病の人といふ事は出来ない。

須く、是れ平日色を好む、利を好む、名を好むなど、一切の私心を掃除蕩々條して又、繊毫の留滯だに無いやうにしなければならぬ。

此の心の全體を廓然として、純ら是れ天理たらしむべきである」此の如くにして、天理に純なるをえたならば、卽ち性を全うするを得たならば、此れを聖といふのである。

陽明の学説と實生活とは、二にして一、決して分離して見る事の出来ぬものである。彼の学説は實生活に依って體現せられて居るし、彼の實生活は学説に依って意義を有するのである。

陽明は、龍場の僻地に在って、窮厄の極み、生死の煩悩を解脱し、格物致知の義を悟り、翌年三十八歳の時に、始めて知行合一の説を世に発表した。

始めて、其の説を聞いて悟る所のあったのは、提学副使の席元山といふ人であった。元山は當時学政を監督して居ったのであるが、陽明に朱陸異同の辨尋ねた。

すると陽明は、朱陸の異同をは語らないで、自ら悟れる所を告げた。学問の目的は、人の学説の異同を紛々として辨ずるのではない、道を悟るのである。

陽明が、朱陸の異同を辨じないで、直に自ら語れる所を指示したのは、又彼の一手段である。此の年(四十歳)より明年にかけて陽明は官途に累進し、門下にも済々多士が次第に集まって来た。

此の際、彼の学者間に於ける地位は頗る困難で、努力を要する事が多かった。それといふのは、陽明の学説は當時社会一般に権威を有せる先儒の説と異なっていた。

格物致知の解釋を始めとし、其の言う所・論ずる所、人の意表に出づるものが多いので、儒林中には彼を目して奇を好み、異を立つる者とする者が多かった。

甚だしきは、まだ彼の謦咳を聞かないで、既に先づ忽易憤激の情を生ずるものもあるし、従学の徒にも彼の説に疑惑する事が甚だ多かった。

又、以て陽明の性格が生死安危の際に処して、少しも動かないだけに熟して居った事が分かる。学問にもあれ、教育にもあれ、政治にもあれ、先づ事物の根本に著眼し、其據から手を下さうとするのが、陽明の流儀である。

戦争に於ても、亦さうであって、之が彼の成功の速なる一因であった。出征の深夜まで諸生と学を論じ、院に帰って一睡するほどの暇もなく、直に兵を率いた。

其の従容、其の神機、吾人は彼の病軀を以て、此くの如き絶倫の精力を發揮し得ることを感ずると共に、哲人陽明先生の面目を此処に見るのである。

十一月二十五日、陽明は疾を興して梅嶺を携え、南安に至って舟に登った。時に南安の推官して居る門人の周積が来り見えた。陽明は起坐した咳が出て已まない。

喘ぎあえぎ徐に、「近来の進学はどうか」と尋ねた。嗚呼、彼は猶門人の講学に意を注いでいるのである。、周積は政事の模様を以て之に對へ、且つ「御道體は如何で御坐居ますか」と問うた。

陽明は、「病勢は極めて危篤である。まだ死なゝいもの元気ばかりであ何る。」といった。積は退いて醫を迎へ病を診し薬を勧めた。

二十八日の晩の泊に陽明は、何知かと問うたので、侍者は青龍舗と問へた。明日周積は師の召に應じて入って侍した所が、陽明は久うして目を見開いて曰うに「吾はもう逝くよ」と。

積は泣いて、「何か御遺言は御座いませぬか」と問うと、陽明は微笑して「此の心光明、何をか言はうぞや」と答へ、暫くして目を瞑して逝った。時に二十九日の辰の刻であった。

「此の心光明、亦何をか言はうぞや」此の如くにして千古の哲人は去った。彼は死に臨んで行雲流水何等の執着する所はないのである。

彼の平昔の死生観は、此に完々實現せられた。知行合一の真義は、最後の一刹那に至るまで、遺憾なく発揮せられたのである。

回顧すれば、王陽明の五十七年の生涯は、其の過半は疾病の連続であった。艱難横逆の続發であった。然るに、其の間に絶倫の精力は発揮せられた。向上不断の進修は高く聖域に達した。

彼の一生は、實に後人に対する活きた教訓である。さうして、其の教訓は彼自身の学説に依って炳として、日星の如くに開明せられて居る。吾人は又此に一辞を賛する必要を見ない。(了)

(43 43' 23)

  • 最終更新:2020-11-23 03:30:42

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